本日 6 人 - 昨日 36 人 - 累計 76484 人 サイトマップ
新年あけましておめでとうございます。洛南の部長さんにエッセイを寄せていただきました。なお下楠さんには以前、5句競作にもご登場いただきました(絵里(洛南)×瑞季(広島)×堀下(旭川東))。併せてご覧ください。




第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈言葉にできぬ、世界のはなし〉洛南高校2年 下楠絵里

 紅蓮とも呼ぶべき、真っ赤な夕焼けだった。
 今の私ならそう、表現するだろうか。

 少し古びてやぼったい、灰色のコンクリートでできたアパートが我が家であった。配管や外階段がごつごつと飛び出して、まさに郊外の住宅地特有の寂しさを体現したような佇まいであった。
 アパートの前には、キャベツ畑が広がっていた。窮屈そうに辺りを埋め尽くすキャベツは、お互いがお互いを傷付けているようで、茶色の葉も多々見受けられる。攻撃的で毒々しいという印象すら抱くほどの緑の葉は、美しいものとは思えなかった。

 私は二、三歳であったときのはずだ。左右の手をそれぞれ父と母に繋がれながら、慣れぬ徒歩に疲れ切っていた。
 妹が生まれ、両親に甘えきりでいることができなくなった頃であった。私は幼いなりに、寂しく思っていたらしい。久しぶりの両親と三人での外出にへとへとになりながらも、二人に遅れまいと必死に足を動かした。

 大通りを曲がると、そこにキャベツ畑が広がる。車線と歩道の境がないほど狭い、畑沿いの道の先に、ぽつんとアパートは立っていた。
 父と母に軽く手を引かれ、ようやく家にたどり着く、と私は小走りに角を曲がった。
 
 そこには、見たことのない世界が広がっていた。
 
 どきり、と胸が高鳴った。夕焼けだった。
 赤い、紅い夕焼けに照らされて、無機質で不気味な、黒々とした巨大な物体が浮かび上がっていた。
 目の前のキャベツはみな、逆光で影を作った面を私に向けていた。そして、鮮やかな赤い空の色を映し、繊細かつ渋みのある黄緑色となった葉は、まるで夕陽に向かって花開いているようにあった。
 見慣れたアパートは、美しい郊外の自然の中で、突如圧倒的な『人工物』として私の目の前に現れた。
 品もなく並んでいたキャベツは、夕陽に向かおうとする、それぞれが意思を持つ気高い『生』として私の目に映った。
 
 すべてを支配するかのような赤の世界で、全身の血が共鳴しているように、熱い何かがこみ上げた。私は黙って立ち止まった。そうすることしかできなかった。
 これが、私のもっとも古い世界の記憶だ。
 これが、私のもっとも美しい世界の記憶だ。
 
 今、このときと同じ風景を見たとして、私は同じ感動を得ることはできないだろう。
 おんぼろのアパートからあれほどの威圧感を受けることはないし、多くの生をはらんだ土のにおいと熱気を、あれほど近くで感じることはできない。
 どちらも幼児だからこそ得られた感動であった。
 
 そもそも前述の私の言葉は、あの瞬間に感じた衝撃を表現することには成功していないだろう。私が思い返している記憶が、そもそも間違っていてもおかしくない。
 今となっては、この私の記憶が美化されたものなのか、はたまた実際はもっと美しかったのか、もしくはこの記憶通りの感覚体験であったのか。確かめる術はない。
 
 なぜならそのときの私は、黙って立ち止まることしかできなかったからだ。
 それは、圧倒されたから、というだけではない。
 私は単純に、その感情を表現する言葉を、その感動を思考する言葉を、知らなかったのだ。
 
 喋りはじめて間もなかった私は、自分の得た感覚を言葉で表現することはできなかった。そして私の中に残されたのは、あのときの身体的な感覚と、視覚的に見た記憶だけである。
 けれど、言葉を知らず、表現できなかったことで、『ことばにできないほどのもの』として、私の記憶は一層美しくなったとも考えられる。
 そしてそれが、俳句なのかもしれない、と私は思う。
 
 高校生らしい、という言葉が不愉快であった。なぜ大人は高校生らしさを喜ぶのか。年寄りくさい句だと、意見されるのか。
 現在の高校俳句界に対し、人々が『高校生らしい実感に基づいた若々しさ』を讃美し、大人びたものを批判的な目で見る、そんな風潮を私は嫌っていた。
 
 でも、今なら少し分かるかもしれない。
 表現する言葉を知らないから、別のことばで表そうとする。あるいは別の描写をしようとする。
 それは、多くの言葉を知った大人にはできない、若者にしかできないことなのだ。
 
 年をとるということは、多くの経験を積み、多くの単語を知り、あらゆる瞬間にぴたりと当てはまる言葉を知っていくことなのであろう。そこから、揺るぎのない格調を持つ、より熟成した句が生まれる。知っている言葉に適切な表現がなくとも、若者よりずっと大きな言葉の引き出しの中から、自分の望むものに近いフレーズを探してこれる。
 対して若者は、経験したことのないものや知らない単語が多いぶん、適切な言葉を知らないことが多々あるだろう。自分の知っている言葉で、どのように表現するか。その試行錯誤の先に、句から溢れ出す若々しさ、というものが現れるのではないだろうか。
 
 もちろん、年輩の方でも若々しい句を作る方はいらっしゃる。意図的なものかもしれないし、新しい分野(最近で言うならばスマートフォンなど、年輩の方のほうが経験が少ないこと)を題にしていれば、それは自然なことだろう。
 若い人が年をとった人のような句を作ることもある。マニアと呼ばれる人は、年輩の方顔負けの経験や知識を、特定の分野において身につけていることがある。
 このように、経験や知っている単語の量と老若の関係に、私の考えが一概には適用されないとは思う。それでも、『生きてきた時間』というものは使う語彙や表現に明らかな差をもたらすだろう。
 
 そもそも、俳句とは言いたいことを言えないものだ。たくさんの言いたいことを17文字に落とし込む。言いたいことを直接言うことはできず、隠したり削ったりしたその先に、説明を越えたなにものかを見せ、生み出すのが俳句だ、と私は考える。
 
 私の冒頭の情景の記憶は、言葉を知らなかった当時の私によって、視覚的、身体的な実感の記憶として残されている。
 そして、できないことだと分かっていながらも、今でも時折あの感動を言葉にしようと、四苦八苦してみせる。この世界の美しさを思いだし、再認識してやる。
 私にとって、この夕焼けの記憶は、言葉にできなかった、いわば0音の『俳句』なのだ。
 
 なんのために俳句を作るのか、それは人によって様々だろう。
 ただ、私に関して言うなれば、自身が見たこの世界の美しさを私の記憶に留めておかんとするためだ。
 あまりにも簡単に、私はものを忘れてしまう。恐らく、私に限らずほとんどのひとはそうであろう。
 今の時点でそうなのだ、大人になっていくにつれて、私はどれほど、今見ている世界の美しさを忘れてしまうのだろう。永遠などないとしても、せめて私が生きているあいだは、私は私の大切な記憶を失いたくない。
 だから私は、自分が美しいと思った、私が見ることができた世界の一欠片に対して考える。それは私の言葉で表現しきることができるものではないが、何度も言葉を当てはめていくことで、私の記憶は確固としたものになり、最後に17音がある程度のかたちを作る。
 私はそれを記憶とともに大事にとっておく。そして、私の言葉の力がより成長したとき、もう一度その句と記憶に立ち返り、また17音を練り直すのだ。
 
 俳句を始めてから、私の記憶は、私の見た世界は、こうして俳句として残してきた。表現できないことを言い換え言い換え、自分が言葉にできる範囲にたぐり寄せようとした。
 表現できない夕焼けを、視覚的身体的記憶として焼き付けることにした、幼い私と同じように。
 俳句を始めたときは知らなかった、当時は表現できなかった言葉を今、使っていたりする。それでもなおある、自分の知っている言葉で表せないものを、自分で咀嚼して、どのように表現するのか。
 それを考えるのが、俳句を詠む人間のすべきことなのだろう。
 16歳の私が知っている言葉、表現できる方法で、自分が見た世界の一部を描き出す。人の生としてあまりにも短い16年は、どれだけ詰め込んでも幼いものでしかないかもしれないが、それが今の私にとってのすべてだ。そこから生まれた私の句から、若々しさ、ひいては高校生らしさ、というものが感じられるのであれば、甘んじて受け入れようと思う。
 
 高校生らしさ、と言う言葉が、少し嫌いではなくなった気がする。それは言葉を探して悩む若者のあり方だからだ。同時に年寄りくささ、という言葉も、嫌いではなくなった。それは多くの知識から言葉を引き出す学習者のあり方だからだ。
 
 ただ、叶うのであれば、若々しさ、年寄りくささ、そんなものではなく、『私らしさ』というものが滲み出る句を作りたいと願う。
 
 それは、自分の知っている言葉と経験を搾りぬき、自分の得た感動を、自分の見た世界を表現したいと願う俳人の、総意であろうと思っている。
 
 最後に、このような発表の場を用意してくださった旭川東高校文芸部様、お誘いくださった堀下翔様、あまりにも長い私の独り言にお付き合いくださった読者様に感謝の意を示させていただき、筆を置かせていただきます。


5句競作の第5弾です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈鈴の音〉下楠絵里/洛南2年

少女から乙女となりて寒椿

鈴の音を聞き比べたる花柊

滝凍る地球眠つてゐるやうに

眼裏に血の流れけり冬の濤

風花を抱きて舞台の終はりかな



〈跳んで冬〉青本瑞季/広島2年

夕焼にあらはなりけり船の基礎

人形にさす影ふたつ秋湿り

やはらかく平均台を跳んで冬

セーターは一本の糸解けはじむ

大焚火胸郭に音満ちるほど



〈国典〉堀下翔/旭川東3年

国典の発見さるる湯豆腐食ふ

まなうらに海鳴の来る炬燵かな

冬晴や映画館出てすぐしづか

屋根あれば下に人ゐるクリスマス

詩学より始めよ綿虫がいつぱい


画像画像画像

土佐高校の宮崎さんにエッセイを書いていただきました。なお宮崎さんには以前、対談にもご登場いただきました(堀下×玲奈(土佐高)「新しい俳句」)。併せてご覧ください。




第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈俳句といふ微笑〉土佐高校2年 宮﨑玲奈

 中学二年生の時に俳句と出会い、早くも三年が経とうとしている。始めて読んだ句集は大高翔さんの17文字の孤独だった。言葉の扱い方が繊細で、作品の持つ瑞々しさ、そして独特の“純愛”の世界観に一気に引き込まれていった。

 現在、高校二年生。好きな俳人 高柳重信・阿部青鞋。どうやったら大高翔から重信・青鞋へと続くのか。自分でもさっぱりわからない。しかし、既存の枠を逸脱し、破裂し、食み出し、俳句という短詩型文学の一種を自分の色に染めていった、そんな彼らの前衛的な姿勢に衝撃を受けたからではないかと考察する。

 そんな私の考える俳句の定義。俳句の「俳」の表記は「にんべん」に「非」。人に非ざると書く。つまり、人でないような人(俳人)が創作する人に非ざる文学(俳句)は第三者から見れば、訳の分からない滑稽な文学。俳句は笑いの文学であるとも解釈出来るのではないだろうか。

 ここでは、俳人でもあり、鋭い評論家でもあった重信を挙げよう。氏の評論「バベルの塔」は私にとって俳句を創作する際のバイブルであると言ってもいい。多行形式俳句の魅力、俳句の在り方を問い続けたストイックな一面と余りある優しさ。私の思う“新しい俳句”は彼の考えに近い。重信は著書の中でこう説いている。「俳句とは、別の言葉で言えば、俳人独特の心理に発した微笑のことである」これは福永武彦の一文をもとに考えられているのでそちらも紹介しよう。「日本人が困つた時、悲しい時に示す一種の微笑、それは日本人独特の心理に発してゐる。僕達はこの微笑の中に無限のニュアンスを汲み取ることが出来るが、外国人にはおよそ理解に遠いものとして映るに相違いない。日本の小説に多いのはこの微笑である。一つの文学的なテクニックだ。しかしそれは、人間なら誰にでも分るといつた種類のものではない。日本文学はこのやうな微笑で満ちてゐる。(一部省略)」

 重信のいう俳句とはつまり、芸であり、テクニックなのだ。しかし、俳句創作者の作り出す微笑(テクニック)を理解し得るのは、いわゆる俳句馴れした俳人だけである。

 今までの流れを総体的にみて、重信の定義には、私の定義と似た所があるのではないかと一つ、考えてみる。私の論ずる所の「笑いの文学」とは第三者的視点に立ち、俳句を見た際に言えることである。俳人がテクニックを有しているからこそ、俳人の作り出す微笑(俳句)は多くの人に紐解かれることはなく、難解なものと、私の言葉で言うところの人に非ざる笑いの文学とされるのではないだろうか。だからこそ、私は俳句を笑いの文学として定義する。

 定義した上で、私にとっての新しい俳句とは何だろう。まず、一つとして、例句を挙げれば、阿部青鞋の「かたつむりいびきを立ててねむりけり」のようなイメージによる季語の使い方ではないだろうか。第十六回俳句甲子園公式作品集の中から例句を挙げるならば、「まだあをき団栗拾ふ理系女子」(佐南谷葉月さん/金沢泉丘)。ステレオタイプとも言えるが、青い団栗をイメージで捉え直しているともいえるのではないだろうか。私が思うところのイメージで捉えるというのは、季語の本意、本情を捉えた上での話だ。土佐高校俳句同好会でも、俳句甲子園の季題が出た時には、まず季語の掘り下げ作業を行う。実際に肌で触れてみたり、匂いを嗅いでみたり、五感で感じながら、歳時記に載っている言葉の注釈付きであった季語の見方をそのものの形(本質)に近い見方にしていく。ここまでは、皆で行う作業なのだが、ここからの実感を言葉に変換していく過程でそれぞれのイメージによる季語の使い方が発揮されると思っている。実感そのものを俳句にするのではなく、実感を超えてのイメージを俳句にする。皆、一度はイメージが遠い時には、離れている、近い時には付きすぎていると言われたことがあるはずだ。新しい俳句とは、実感を超越した作者個人のイメージが、“ちょうどいい”具合に達した作品ではなかろうか。

 二つ目に、主観写生も、もっと表舞台に立っていいのではないかということだ。一概には言えないが、俳壇は現在でも虚子の説く客観写生に固執している節もあるだろう。皆もご存知のように、虚子はホトトギスの結社経営の為に客観写生の理論を制定しただけで、彼の作品の中にも客観写生で詠まれていないものさえある。一度、客観写生の定義を確認しておくと、客観写生とは事物を客観的に描写することによって、そのうしろに主観を滲ませるほうがいいという考え方である。例句を挙げれば、『春風や闘志いだきて丘に立つ』は虚子の主観写生の具体的な例である。きちんと身につけておくべき技法として、客観写生も取り入れるべきだとは思う。しかし、俳壇は虚子の説く客観者性の桎梏から更に解き放たれるべきだとも考えるのだ。

 中村草田男は「俳句芸術を一応体得するためには十年の実作経験を必要とす。作品作品を正確に観賞理解し得るためだけにも、約五年の愛情を以ての真摯な不断の勉強を必要とする。」と言っている中で、私は三年目にしてこんな大口を叩いている訳であるが、解き明かせない謎の一端をほんの少しだけ、ほんのちょっぴり動かせたように思う。

 私にとって俳句とは。未だに解き明かせない謎のようなものである。解明できないからこそ、創作活動も鑑賞も楽しいと思えるのではないだろうか。だからこそ、言葉を、イメージを、実感を、自分の内面を、他の言葉に単純素朴に換算する一種の遊戯に益々惹かれていくのだろう。

クリスマスですね! みなさんいかがお過ごしですか! 対談第8回をお届けします。テーマは、クリスマスにぴったりの「恋の句」です。登場は2年生池原、1年生渡部(琴ちゃん)&荒井(まなちゃん)の3人です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


池「それではみなさん始まりますよ~。リア充の二人が非リア充の私の妄想を聞くっていう対談になっちゃうかもしれないけど(笑) それではみんなで楽しく恋の句鑑賞していきましょう! それでは、まずこれから始めなくちゃいけないでしょ! っていう句がありますよね。神奈川県立厚木東高校伊村史帆さんの『手を繋いだっていいくらい夕焼けだ』。これは間違いなく恋の句でしょう! イケメンだって思った(笑)」

渡「これは女の人の立場で詠んでるんですか? 男の人ですか?」

池「男っぽくない? んー、でもどっちでもいいかも。なかなか手を繋いでくれない相手に業を煮やして、夕焼けにこじつけてなんとか言わなきゃ! みたいな」

荒「なるほど」

渡「私はこれは女の人っぽいと思いました。なんだか、夕焼けだから繋げるというか」

池「奥ゆかしいような? 私は男しか頭になかったなぁ、しかもイケメン」

荒「先輩、趣味がばれちゃいますよ(笑)」

渡「もしや、ジャニーズの誰かとかですか?」

池「そうだね、増田良君! 増田君が分ってくれる人がいれば嬉しい(笑) じゃあ、この句は増田君にしちゃおう(笑)」

渡「まなちゃんは女の人だと思った? それとも男の人?」

荒「私も女子かなぁ。私が女子だからかもしれないけど」

池「そっかぁ。確かに作者は女の子だよね。厚木東さんの句はたまにわっとなるようなインパクトのある、すばらしい俳句を作るんだよね。来年の俳句甲子園も楽しみ。話は変わるけど、私が疑問に思ったのは『手をつないだっていいくらいの夕焼け』って言葉。どんな夕焼けのことだろう?」

荒「繋いでいても分らないくらいの夕焼け、眩しすぎる夕焼けって感じですかね」

渡「手を繋いだっていう事実を隠しきれるくらいのすごい夕焼けとか……」

池「そうだね。中途半端な夕焼けで手を繋がれてもなんだこいつ、って感じにになるよね(笑) この句の中の主人公はすごい! これはぜひ全国の恋人たちに『手を繋いだっていいくらい夕焼けだ!』って言って手を繋いでほしい(笑) そんなカップルが見たい! 勝手な願望ですが(笑) では、次の鑑賞行きますか? 熊本信愛女学院の皆越笑夢さんの句『バカとだけ手紙に書いて雲の峰』。」

荒「……バカ?」

池「好きだかちょっかい出したくなる気持ち(笑) 二人はこの句を最初に見た時恋の句だと思った?」

渡「恋というか、恋になりそうな一歩手前な感じ。これから恋に発展していない関係っぽいなぁと思いました。」

池「友達以上恋人未満?」

渡「ひょっとしたらこれから恋に発展するかも」

池「いいね。きっと、この句は実は嬉しいんだよ。バカって書かれた紙を投げられても(笑) だから雲の峰。季語が合ってるね」

荒「もくもくと空に浮かんでいくような」

渡「手紙の便箋にわざわざバカって書いたんですか?」

池「いや、これはきっと要らないプリントの裏とかじゃない? それでくしゃっと丸めて投げる。相手はゴミかな? って思って開いたら『バカ』っていう! あ、あいつが犯人だって思うけど、そこは友達以上恋人未満だからね(笑) ちなみに、こんなふうやられたことある人!」

荒「私、友達にされたことありますよ(笑)」

池「あるんだ(笑)」

渡「なんだか、いつもの風景って感じがしますよね。日常茶飯事的な」

池「季語が雲の峰だしね。わりとどこからでも見られるような季語。ピタッと合ってるね。それがいいなぁと思いました。では次の句。岩手県立黒沢尻北高校の柿澤瑞生さんの句『失恋は団栗とポケットの中へ』。失恋しちゃいましたね、いきなり(笑) 甘酸っぱい恋の句ではありませんね、ブロークンハート。まず、なんで団栗なんだろう?」

渡「たとえばこれ、もうすこし大きなものだったら他に物が入らないからじゃないですか」

池「大きいものと言えばたとえば? りんご? りんごとポケットの中へ……」

渡「さすがにそれだと、失恋潰れちゃいますよ(笑) 同時に存在している感じ」

池「でも、実際に失恋は物じゃないよね」

渡「今はとりあえずしまっておこうとかそんな感じですかね」

池「でも、ポケットなんてそんな取り出せる場所でいいんだろうか? 失恋は鍵のかかった箱とかにしまっておいた方がいいのでは……」

渡「これは外でふられて、とりあえず今は現実を忘れておくためにポケットに入れておくのでは……」

池「外で見てしまった……いや、違う違う! ……ラブレターの、ダメって言われた手紙とか? そういうものが失恋かなっていうパターンも考えた。お断りの手紙をくしゃっとポケットに入れたみたいな」

荒「ポケットに入れたら思いもよらないときに見つけてしまって、こんなこともあったなぁって懐かしくなる要素も含んでいますよね」

池「だから団栗がきいているのかもね」

渡「確かに失恋ってふとしたときに思い出しますよね」

池「分る、それ。琴ちゃんはたまにそういうことがあるんだね(笑) 私もあるよ、確かに。この句いいよね。失恋ってそのまま言っちゃうところが高校生らしい。大人になったら失恋なんて言わないよ、きっと。ただの過去になっちゃうもん。では次の句行きますか? なんだか広く浅くの鑑賞になっちゃってるけど(笑) えーと、松本第一高校の渡邊まりさんの句『好きだよと突然言われゼリー振る』。これはもう絶対に恋の句だね」

渡「好きだよって言葉でもう恋ですよね。このゼリーはなんのゼリーだろう」

池「カップゼリー?」

荒「壊れやすいそうなやわらかい感じ……」

池「ゼリーは心の揺らぎなんだ!」

荒「主人公の動揺なのか、それとも弱い相手を振ったっていうことなのか。どっちだろう?」

池「『振る』と『フる』でかけてるのかな? 返事としてゼリーを振る。ダメっていうサイン(笑) きっと違うよね(笑)」

渡「私は違う解釈ですね。自動販売機で売ってるようなゼリー入りの缶ジュースって昔ありましたよね。それを持っていて、突然言われて振ったみたいな。動揺を隠しきれずに振ったっていう……」

池「ファンタのやつかな? また新しい鑑賞が出てきた(笑) 私は思いつかなかった。それはまた面白い鑑賞かもしれないね」

渡「そもそもゼリーって振れるんですか? 振りますかむしろ? 手に待ってるってなんか変だなぁと。」

池「ふるえるだと分るけど、振るだと激しい感じだよね。」

渡「動揺が伝わったってことかな?」

池「突然好きといわれる……。どんなシチュエーションだろう?」

荒「ゼリーって普段食べない物ですよね。私給食かなぁって(笑) でも皆がいる前で好きだよっていうのも……」

池「でも小学生だとなくはないかも(笑) ○○ちゃん好きだよ~!みたいな感じ(笑)」

荒「かわいいですね(笑)」

池「だとしたらなんでゼリーを振るんだろう? 謎だ(笑) 缶のゼリーの方が自然に思えてきた(笑)」

渡「だから道端とかかなぁ、と。すれ違いざまとか……」

池「好きだよって言って通り過ぎる……。ささやかれるのか、すれ違いざまに! なんか気持ち悪いね(笑)これはきっと違う! いくらイケメンでもキモイわ(笑)」

荒「ストーカーだ(笑)」

渡「至近距離で近づいてくるってことですよね?」

荒「好きな人だったらいいけど、好きじゃない人だったら引く……」

池「引くー!」

渡「この句の鑑賞じゃないですよね(笑)この句はもっとはっきり言ってる感じ」

池「そうだね。ゼリーの透明感と合わないよね、ささやきだと(笑)」

荒「ドロッとしてるゼリーになっちゃいますね(笑)」

池「下心丸見えだね(笑)サラッとした告白であることを願います(笑)では次の句に行きます! 飛騨神岡高校の尾上緋奈子さんの句『花火咲く君の指先触れもせで』」

荒「なんかあれを思い出した。国語科のO先生が授業で言ってた与謝野晶子の短歌」

池「あぁ、こういう文法使いそうだね。与謝野晶子」

荒「『やは肌のあつき血汐にふれもせでさびしからずや道を説く君』という歌っぽいなぁ、と」

池「花火咲くは打ち上げ花火かな? それとも手花火かな?」

荒「私は打ち上げ花火だと思う」

池「花火大会かな? 二人で見ててひそかにこう……」

渡「これはどういう感情なんでしょう?」

池「なんだろうね? ちょっと離れすぎてて分らないや……。触れもしないでってことだよね? でもこういうカップル花火大会にいそう」

渡「これは自分が触れもしないってことですか?」

池「そうだね。相手も触れてないなぁって気づくよね。魔性の女だね(笑)」

渡「じゃあ、自分が触れられないでいる、ぐちゃっとした感情ってことですね」

池「花火咲くが花火過ぎてるかなって感じるけどこの句は分る! 手を繋いだっていいくらい花火がきれいだ! それで手を繋ぐってだめかなぁ(笑) では次の句行きますか? これは他の人に恋の句じゃないって反対された句です(笑)松山西中等教育学校の河野佑芽さんの句『手話の指「蝉の居場所を知っている」』。」

堀下「これは恋の句じゃないと思います!!」※堀下乱入

池「えーなんでですか!?」

堀「なんでって! 『蝉の居場所を知っている』のどこが恋なんですか?」

池「その人だけに伝えにきたってこと?」

堀「お、おぉ……」

池「……連れ込む?」

堀「連れ込む!?」

池「そんな! 変な意味じゃありません!」

堀「二人で一緒に行くっていうことですね」

池「すぐそうやって……変な方向に解釈するのやめてください!(笑)」

堀「ここはカットしてね(笑)」

池「これは恋の句だと思いますよ~。私、手話でできるかな? 指文字は昔できたんだけ……。この人は手話を使える人なんですね。こう言ったら語弊があるかもしれないけど、手話は閉じた感じがする。知らない人には伝わらないっていうか……。二人で手話でやり取りしているところ見たら何してるんだろう? って不思議に思っちゃいますよね。 二人だけの世界っていう気がする。だから私は恋の句かなって思った。だから『蝉の居場所を知っている』っていうのはきっと口実なんだよ(笑)」

渡「家の中に閉じこもっている子を窓の外から呼んでるっていう感じがします」

池「連れ出して二人で仲良く蝉を見に行くかぁ。いいね」

荒「いいいですね。そう考えたら恋の句に思えてきた」

渡「ひと夏の偶然の出会いっていう感じがしますね」

池「個人的な話になっちゃうんですが、このあいだ『金魚奏』っていう漫画を読んだんですよ。花とゆめっていう漫画誌の紹介を見て買って読んだの。手話を使う太鼓奏者の人を好きになる女の子お話で、それを最近読み直したばかりだからどうしてもこの句が恋の句に思えちゃう。堀下先輩が恋の句に思わなかったのはなぜ?」

堀「この句は、恋とかそういうものを知る前の少年の句だとおれは思った。今は幼稚園児がチューとかしちゃうご時世だけどさ」

池「してたんですね(笑)」

堀「まぁ、それは置いといて(笑) 純真で、蝉で頭がいっぱいの少年なんだよ。そんな純真んば少年が伝えたかったんだよ。そのあとに女の子と見に行くのもまぁいいと思うけど」

池「そうですね。きっと作者は恋の句と思わないで作ったんだろうと思います。だって私以外に恋の句だと思った人いないと思う(笑) 池原的恋の句に認定! 話は変わるけど、これは蝶とかじゃきっとダメだよね。蝉がいいよね」

荒「蝶だと飛んで行っちゃう」

池「『少年の日の思い出』を思い出した(笑) ここにクジャクヤママユがいるよ、みたいな(笑) なんかちょっと違う。ただの昆虫標本仲間だね。やっぱり蝉だよ。祖父母の田舎に行ったとき、地元の子が蝉の居場所を教えてくれたっていう、ひと夏の恋のストーリー! どうかな? 二人もどんどん妄想語ってね(笑) じゃあ、次の恋の句に行きますね。松山中央高校の丸本勝典君の句『さよならを交はして夏の海深し』。これも失恋?」

渡「その可能性はあるけど、また会おうねって感じもしますね」

荒「交はして、という旧かなが意味深というか、友達だったっていう感じをうかがわせないような何かがありそうです」

池「さよならかぁ。また会う日までって感じ? 夏の海深し、という言葉に何か感情がありそうだけどどうかな?」

渡「なんだか沈んで行ってしまいそうな感じ。周りに魚もいないような状態でただただ沈んでいくような……」

池「深しだもんね。一言で表現できないなぁ……。国語の文章問題みたい。主人公の気持ちを60字以上で説明せよ、的な。ちょっと不安な感じがするよね。さびしさと不安と……。夏の海の句にしてはさみしい句だね」

渡「また明日遊ぼうねって感じではないですよね」

池「今まで見てきた夏の句はわりかし明るい句が多かったよね。こういうせつない夏もあるんだなぁって思いました。次に行きますか。あ、いい句発見! 福岡県立三井高校の高﨑杏樹さんの句『恋心夏怒涛にも負けやせぬ』。めっちゃストレート!」

渡「猪突猛進な感じですね」

荒「一歩道を踏み間違えたらヤバい方向に行っちゃいそうな不安定さの句」

池「健康的な句にとらえたいね(笑) 夏の海でもいいのに夏怒涛にしちゃったかぁ」

荒「夏の海でも力強いのに、さらに力強い夏怒涛を持ってきたかって感じ」

池「肉食系女子全開だね(笑)」

渡「肉食系越えてませんか?(笑) 相手を絶滅させてしまいそう……」

池「自然災害系女子だ(笑)」

荒「(爆笑) 新しい言葉ができた(笑)」

池「地震雷火事自然災害女子みたいなね(笑) 誰にも止められない! 負けやせぬっていう言い方がね」

荒「粋な感じですね」

池「好きな子にガンガンアピールするんだね」

渡「漫画っぽいですね」

池「そうだね。漫画のコミカルさを抜いたらこの句は怖いね(笑)」

荒「こんな人周りにいませんよね!?」

池「詩人ハイネが『恋とはすでに狂気なのだ』って言ってたのを思い出した。こんなに恋に真剣になれるってすごいと思う。夏怒涛と張り合ってどうするんだろう?」

渡「なんだか松岡修造を越えそうな勢い(笑)」

池「……松岡系女子?」

荒&渡「(爆笑)」

池「やだー、アツすぎる(笑) どう? 松岡系女子?(笑)」

荒「暑苦しい……(笑)」

池「海干上がりそう(笑) でも、真剣に恋してるから応援したくなっちゃう。恋のライバルにはいてほしくない! こんなライバルがいたら負けを認めざる得ない(笑) 松岡系女子に彼氏をとられちゃうという(笑)」

荒「こんな熱血系女子だったらしょうがないですね」

池「自分の力不足だね。中途半端にとられれるよりはマシかも。まったく句に関係ない話しちゃった(笑) では次、八重山商工の下地壮君の句『未完成な恋の色したゼリーかな』。恋とゼリーの句! 未完成な色したゼリーってどんな色かな?」

荒「薄いオレンジ……?」

渡「薄い感じかなぁとは思います」

池「そうだね、暖色だね。オレンジとか黄色とかピンクとか。薄そうな感じがするね。こういう表現でたとえるってことは作者も中途半端な恋をしているのかな? 未完成な恋の色って言葉が読者に想像をあたえさせるね。この句は想像の余地があるって言う人と具体性や景がないって言う人で意見が分かれそう」

渡「未完成な恋に対して具体性があるっていうのはちょっと微妙な感じがします」

池「なるほど。なんで?」

渡「人によってしてる恋は違いますよね。恋に形を決めちゃったら一方的な句になってしまう」

池「句の共感が得られなくなるってことかな? 私はこの作者とお知り合いなので好き勝手に鑑賞できないかも(笑)先入観を持ってしまう。彼はいろいろ恋してそうだし(笑)本人に今度聞いてみます。下地さんはこの句は何色なんですか? って。ではこの句の鑑賞は終わりましょう。他に恋の句ない?」

渡「恋の文字が入った句ありました」

池「本当? あっ、これは『さよならを交はして夏の海深し』と同じ作者の句ですね。松山中央高校の丸本勝典君の句『恋愛の芯はどこかにゼリー噛む』。この人は恋多き男性ですね。最近なにかあったのかな、勝手に想像(笑)」

渡「こんにゃくゼリーっぽい感じがしました」

池「しっかり噛まないと窒息しちゃう感じ?」

荒「芯は固いものだし……」

池「恋愛の芯ってなんだろう? 恋愛の芯を確かめてこの人は何をしたいんだろう? この句も抽象的で分りにくいね……。恋愛の芯かぁ。あの人と別れるか別れないか、違うかぁ……。リア充の人たち、ちょっと語ってよ!」

荒「……原動力?」

池「原動力? 恋をする? 琴ちゃんはどう思った?」

渡「私はただこんにゃくゼリーの句だなぁ、と(笑)」

池「これも面白い句だよね。ゼリーに芯は絶対にないのに、芯を探すっていうあたりがね。逆転の発想というか」

渡「この句はゼリーの中に恋の芯を探しているんですか?」

池「どこかにあると思ったんだろうね。でも一向に見つからない。その曖昧さかな? それとも恋愛の芯ってなんだろうって考えながらゼリー食べてるのかな?」

渡「いや、やっぱりどこかにあるだろう、とぼんやりしながら噛んでると思います」

池「恋愛の芯……まだ分らないなぁ。大人になったら分るかな?」

渡「大人になったら分かるんですか?」

池「大人の恋愛はドロッとしてるだろうね。高校生だからゼリーで済まされるけど、大人になったら違うものだね」

荒「たとえばなんですか?」

池「血が流れるレアステーキとか?(笑)半分生肉の……」

荒「怖い(笑)」

池「切ったら血がジュロッと出てくるような」

渡「私レアステーキ食べれないのでちょっと分らないです」

池「私も写真で見たんだけどね、赤いのが赤いのが……」

荒「肉汁のことではないんですか?」

池「肉汁が赤いのも怖くない?(笑)まぁ、大きなスペアリブでもいいか。肉々しい感じだね、大人の恋は。ゼリーじゃないと思う! 恋愛を食べ物にたとえると楽面白いね。他はなんだろう?」

渡「ザクロ。なんか気持ち悪くないですか?」

池&荒「ザクロ(笑)」

池「裂けた感じね(笑)三角関係のなれの果てはあんな感じかも(笑)」

荒「チーズとかですかね、どろどろしてるから……」

池「チーズ嫌いなの? 初めて知った~」

荒「ドロドロしていて気持ち悪いかなぁ、と思いました。人のを見てるぶんには楽しいけど、自分の恋に対してはどうなのかなぁ、と。チーズは柔らかいのもあれば固いのもあるし」

池「裂けるチーズもあるし、カオスだわ(笑)裂けるチーズのようなれんあいって誰かに説明してほしいわ(笑) きょうちゃん(木村)説明してー(笑)」※木村乱入

木村「何本にも分れる恋ですか……?(笑)」

堀下「偽物みたいな愛。チーズって言ってるわりにはチーズの味がしない。作り物!」※堀下乱入

池「作り物! きりがない作りものの恋!」

堀「パッケージングされた恋」

池「意味わかんない(笑) 二次元みたいでやだ~(笑)」

荒「チーズだったらなんでもいいじゃないですか(笑)」

池「話を戻しましょうか(笑) じゃあ琴ちゃんセレクト! 福岡県明善高校の畠山瑞歩さんの句『波が消すハートの軌跡夏の海』。これどういうことかな?」

渡「砂浜に枝とかでハートを描いたんでしょうね。それが消されちゃった」

池「なんか不吉だね。消すっていう言い方が……。まなちゃんはどう思う?」

荒「私は二人で体育座りしていて、片方ずつ描いた。そしてそこからいなくなって波がそれを消してしまったと考えました」

池「恋の儚さだね、いいね!」

荒「ちょっといびつな形で」

池「もっと推敲してもよさそうだね。『夏の波ハートを消しにけり』とか、いろいろありそう」※池原は破調推進派である

荒「波と海が近いですよね。二回言わなくてもよかったかなぁ……」

池原「そうだねぇ。では、次の句に行きますか。この句は『ギャ句゛』の対談(第4回)でも取り上げてたね。開成高校Aチーム大塚雅也君の句『夕焼坂幼なじみはをとこ連れ』。琴ちゃんセレクトです。私はこの句、二つの解釈があるんだけど、話すね。一つ目はみんなが想像する通り男の子が、女の子の幼なじみが彼氏と一緒にいるところを見ちゃったって景だよね。幼稚園一緒だった女の子が彼氏と一緒にいて、ちょっとさみしいなぁって思ったのは分る。でもさ、よく考えてみて。この幼なじみが男だったらどうする? これは私だけが思いついたんだけど(笑)私、腐女子じゃないからねっ! でも、そういう可能性もなくはない(笑)」

荒「作ったのは男子ですよ!!」

渡「可能性として主人公も幼なじみも女の子かもしれませんよ」

池「あ、それもある。○○ちゃん大好きでずっと一緒だと思ってたのに、すれ違ったら男連れで、あ……っていう。同性愛チックな感じ。ダメですか……? この、をとこ連れって字がいいよね。普通な感じしないよね」

荒「なんかありそうですよね」

池「はっきり言うと官能的(笑)」

荒「言っちゃっていいんですか?(笑)」

池「まぁいいでしょ。このくっつきの『を』もいいし、夕焼坂もいいよね! どう坂?」

渡「坂の上から遠い幼なじみと彼氏を見ているのかな?」

池「私は坂を上ってて、ふっと振り返ったら、見知った顔が誰かと歩いているのが見えたの。あ、あの子だ。男連れじゃん、みたいな。この句の鑑賞はこれくらいにしておいて……。まなちゃんいい句あった? 披講をお願いします。じゃららん♪」

荒「『ゼリー食ひ恋を忘れる昼下がり』。高田高校の菊永久美さんの句です」

池「確かに恋だ」

荒「なんだろう、子供ってぎゃんぎゃん泣いても好きなもの食べたら忘れるってあるじゃないですか。そういう気持ちかな、と」

渡「じゃあ、これは子供の句?」

荒「うーん、子供っぽいとは思わないかな。主人公が女子か男子か分らないけど、あ、女子かな……。すごく落ち込んでたけど食べてあぁ、よかったなぁと思って忘れたのかな」

渡「私は、心はどんよりしてるけど、ひたすらにゼリーを食べてる。ゼリーを静かにすくって食べて、またすくって食べての繰り返し。機械みたいになっちゃってる」

池「そういう忘れ方というか、無心で食べているから忘れられるんだね。昼下がりって言葉がそう思わせるのかも。あ、でも明るく、男なんてごまんといるんだわ! っていう忘れ方もありかな? 素敵な句だね。ゼリーには人を明るくする作用があるかも。旭川東のチームにも『泣き虫の喉に落ちゆくゼリーかな』っていうきょうちゃんの句があったでしょ。ゼリーでみんなが元気になるんだね。他に恋の句はありますか? そろそろオオトリに行きたいのですが」

渡「オオトリなんですか?」

池「はい。では行きますか。旭川東高校の渡部琴絵さんの句。披講をどうぞ!」

渡「そんな(笑)『いいよともいやともいへず夕焼空』。私、最初の方はお口ミッフィーちゃんの方がいいですか(笑)」

池「これは対談なので、恋の句前提で琴ちゃんも話してください(笑)最後に真実を話してください(笑)というわけで、これを恋の句だと思った人がいたんだよね! 告白されて、相手が微妙だったのか、いいよともいやとも言えずに夕焼空の中にいたのかなっていう。すごく分りやすい句だよね。なんとも思ってなかった相手に好きって突然言われてさ。悪い人じゃないんだけど……、うーん……みたいな」

荒「そういう人いますよね。悪い人じゃないけど恋人にはなれないかなって思う人。」

池「ひたすらに夕焼空で、悲しい青春の一ページのような感じ。どうかな?」

荒「中途半端が一番悲しいですよね。いやならいやと振られるならすっきりするし。どっちの答えももらえないって悲しいですよね。相手がかわいそう」

池「あなたのこと好きだったの、と同じくらいにもやっとするよね。過去形かよ! みたいな。「I loved you.」(笑)いまさら言われてもちょっと……。『耳をすませば』って観たことある? 雫ちゃんっていう主人公なんだけど、雫ちゃんの女の子のお友達が好きな男の子がいるの。杉浦君っていう野球部の男の子でね? それでその男の子から雫ちゃんはコクられちゃうわけですよ! いきなり神社で! 夕焼けではなかったんだけど。『月島! お前が好きなんだ!』って!! 面白い映画ですよ。雫ちゃんは聖司君っていう男の子に心傾いてるから、杉浦君はいい人だけど……という気持ち。あの感じですよ! 杉浦君ちょっとかわいそうって思った。『いへず』もいいよね。この効果はなんだろう?」

荒「旧かな使ってもしっくりくるっていいよね。私は旧かなで作って成功したことがあまりないので」

池「これはきっと日がしずむ直前の夕焼けだね。しずむまでに選択しなくちゃいけないってせまられてる感じ。帰りたいよね。もしこうなったらどうする?」

荒「逃げます!(笑)フるわけじゃないけど、答えるのは無理! みたいな」

池「琴ちゃんはどう?」

渡「分らないかな……。一日考えちゃうかも」

池「そっかぁ。じゃあ、恋愛マスターに訊いてみますか(笑) 恋愛マスター!」

堀「はい! なんでしょうか!?」※本日三度目の乱入

荒&渡「(爆笑)」

池「この句のシチュエーションになったらどうしますか?」

堀「さあ……いま大事な人がいるので考えられませんね……」

三人「キャー!!(悲鳴)」

堀「恋人がいるので君とは付き合えません、って言う」

荒&渡「(爆笑)」

堀「君たち、笑い過ぎだ!」

池「バカにしてませんよ! でも恋人がいなかった時のことを思い出してくださいよ!」

堀「そんなの何十年も前だもんなぁ……。いなかったら、ガツガツ『いいよ!』って言う(笑)」

池「人柄が出ましたね」

堀「待って! 今のはカット! おれの印象悪くなっちゃう!」

池「いいじゃないですか、ぎらぎらしてて。 ギンギラギンにさりげなく~みたいに。近藤真彦! そいつが俺のやり方~♪ 男子的にはどうですか?」

堀「やっぱりいいよ、って言っちゃうかも。誰であってもフラれたら悲しいっていうのは分ってるし、もし自分に彼女がいないんなら、相手を悲しませたくないからいいよ、って言っちゃう」

池「女子はそうは思わないよね……。迷っちゃう。かわいそうだから付き合うって、相手が傷つくの分んないの? 」

荒「そうですね、好きじゃない人と付き合うなんて自分がやだ。堀下先輩は大人ですね」

池「そう? きれいごとに聞こえる……」

堀「結構本音ですよ」

池「ほんとですか(笑) ……話を戻す(笑) 私の友達はこういう経験をしたことがあるそうですよ。その子はちょっとギャルっぽい子なんだけど、次の日私に相談してきたの! 5W1Hを事細かに(笑) それでは琴ちゃん、真相はいかほど?」

渡「私がこの句を作ったときは恋の句ではありませんでした」

池「楽しみにしていた人残念でしたね! これ読んでがっかりしたらごめんね(笑)」

渡「でも、恋の句と捉えようと思えば捉えられますよね」

池「そうだね。句合わせの時には私も全然思わなかったんだよね。いろんな人と交流しているうちに色んな見方があるんだなって知った。琴ちゃんありがとう! この句ディベートしたかった!」

渡「ありがとうございます」

池「今回は一人で私がしゃべっちゃったね(笑) 非リア充なのに(笑) リア充トーク残ってない? まなちゃんある?」

荒「そんな! ありませんよ(笑)」

池「高文連で札幌に泊まったときにちょっと話してなかったっけ? 女子会したとき」

荒「しましたっけ?」

渡「寝ぼけてたから覚えてないかも……」

池「深夜テンションやばかった(笑) 今のろけていいよ」

荒「一か月以上会ってないのでお話しすることありません(笑) 学校違うと会えないんですよ」

池「そっかぁ、遠距離なんだぁ」

荒「家は近いですよ。普段はメールかな」

堀「なれ初めは?」※本日四度目の乱入

荒「なれ初めってなんですか?」

池「付き合い始めたきっかけのこと。堀下先輩、『新婚さんいらっしゃい』じゃないんだから(笑)」

堀「『新婚さんいらっしゃい』やるか(笑)」

池「まだ結婚してませんから(笑)」

荒「なれ初め……」

池「なんで付き合ってるの?」

堀「この先輩怖い!(笑)」

池「違いますよ! 聞き方が悪かった(笑) 琴ちゃんはないの? あるよね?」

渡「無理です(笑)」

池「個人が特定されない程度ならいいよ(笑)」

渡「池原先輩は無いんですか?」

池「私はないよ~。まなちゃんの話に戻ろっか(笑)」

(以下、長々と恋バナ)

荒「私、もう話すことないよ!」

池「よし! 琴ちゃん行こう!」

渡「流されてたと思ってたのに!」

池「はい、まずなれ初め」

渡「そんな……」

(以下えんえんと恋バナ)

池「載せていいのこれ!?」

荒「え、これ載せるの!? リア充トークを!? 載せないでください!!」

池「人の恋バナは人間の大好物だからね(笑) で、琴ちゃん、話を戻すけど……」

(以下、ずうっと恋バナ)

池「いいよともいやともいへずではなかったんだね(笑) ……なんかいじめてるみたい(笑)そろそろ終わるか。彼氏自慢も済んだし」

堀「池原さん、好きな人は!?」

池「好きな人ですか? ジャンルが違ってきますよ(笑) ジャニーズになっちゃう(笑)」

堀「テレビ画面の中かよ(笑)」

池「顔が濃い人が好きですとか……。ここはジャニーズの魅力について語る場所じゃありませんね(笑) 」

堀「片思い中の人とかは?」

池「いないです」

渡「過去に好きだった人の話とか……」

池「ないよ、そんなの~。はい、これで対談を終わります!」

荒「本当にこれカットしてくださいね」

池「恥ずかしがってる~! 非リア充がみんなをいじめてごめんね! では、本当におしまい。ありがとうございました~」

荒&渡「ありがとうございました~」


対談は部室で行われた。 編集:木村・堀下

5句競作の第4弾です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈Homines〉荒井愛永/旭川東1年

風冴ゆる色変わりした神話集

友はみな悪運強し冬の月

冬深しクラブの6のなきカード

背を合はせ語らふ聖樹の下で

ポインセチア孤独を好む人とゐる


〈夏が​一番好き〉吉田拓馬/浦添2年

恥らへば団子の落つる花見かな

春メリーゴーランドは三拍子

焦らされて焦らされて鈴虫の声

初雪や船頭は肩患いぬ

肉飯や寒い日のアナタと私

画像画像

仙台白百合の西村さんにお願いした鑑賞文、後篇です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈旭川東A・俳句批評鑑賞文〉仙台白百合学園・西村葉月

泣き虫の喉に落ちゆくゼリーかな 木村杏香
悲しいことがあって、ひとしきり泣いた後にとりあえずゼリーを食べてみる。ゼリーの甘さや冷たさにまた涙が出そうになる。ぽろぽろ泣きながらゼリーを嚥下する。喉元をすぎてゆく爽やかな食感に、すこしだけ慰められているような気がする、落ち「ゆく」に動きがあって臨場感がある。

夕焼けや鞄の底に定期券 木村杏香
定期券は使ったすぐあとは鞄の上や、内ポケットなどのすぐに取り出せるところにあるが、一日を終え帰るときは荷物の下に隠れてしまっている。家と学校(または勤め先)をつなぐ存在であるともいえる定期券。見えないところにだがしっかりとあって、日々の生活に寄り添っている。

団栗や歩幅の広い父と行く 木村杏香
団栗の並木道を、自分より歩幅の広い父と歩く。作者は、父親とふだんあまり出かけることがないのかもしれない。歩幅の広い父親に、言葉少なについていく作者の様子、そしてなにか話さなくてはと思いつつも言葉を探しあぐねる父親の様子、ぎこちなくも微笑ましい親子の様子が浮かぶ。

結末は既に決まって蓮の花 渡部琴絵
何の結末なのか。物語なのか、それとも自分がいま関わっている出来事なのか。いずれにしても、どこか諦観しているというか、上の方から俯瞰しているイメージと蓮の花の神秘性がよく響きあっている。

いいよともいやともいへず夕焼空 渡部琴絵
はっきりとした返事ができず、つい流されてしまう。だめだとわかってはいても、なかなか直すことができない。そんなちょっとした劣等感を感じながら歩く帰り道。だが、夕焼空を見るとなんとなく背中を押されるような気がする。もうちょっと頑張ってみようかな。そんな気持ちにもなる。

冬の星指をさしては名づけけり 渡部琴絵
頭上に広がる数多の星。どれも同じように見えるが、どれもひとつひとつ生まれていつか消えていく、物語のある星々だ。そんな星々にひとつひとつ名前をつける。存在を見出してあげるように。冷え冷えとした冬の空が輝きだすようなイメージ。

夏の岬寝返りひとつ風を待つ 矢崎雄也
夏の岬の解放感、涼しい風などが感じられるところで、作者は解放感のあまり寝転がっているのだろう。ただ、それだけに「風を待つ」としてしまうと、解放感が満点すぎて少しくどくなってしまうような気がする。

夕焼に見つからぬよう帰る道 矢崎雄也
夕焼の空は大きく、それから隠れることはできない。そんな夕焼からも見つかりたくない作者は、なにか後ろめたいことを抱えているのだろうか。

雨の月紙の匂いの中にいる 矢崎雄也
雨が降るので、部屋にいる。本を読んでいる、ではなく、紙の匂いの中にいる、という表現が、ひたすら本の世界に埋もれる感じ、閉鎖的な感じをよく出している。

仙台白百合の西村さんとの鑑賞文交換、後篇です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈仙台白百合さんへ〉旭川東・堀下翔

夕焼けや錆びた手すりに身を寄せて 熊本みな子
夕焼けは事象ではあるけれど、一方で、時間のことでもあるだろう。家に帰る時間だったり、部活の終わる時間であったり。詠者の場合は、誰かを待つ時間。待ち人が遅れているような雰囲気。まさか、昼からずっと待っていたんじゃないだろうな……。いや、それはあまりにひどい話だから、ちょっとだけ待たされている、ぐらいで考えよう。詠者と待ち人の時間は、夕焼けのあとから始まる。ちょっと大人。そういえば「錆びた手すりに身を寄せ」るなんて、オトナがするポーズだ。

遺失物届出用紙秋の蝶 熊本みな子
何を失くしたかは知らない。それが大事なものなのか、無くても死にはしないようなものなのかは分からない。けれど、そのものを失くした証明として、遺失物届出用紙は、ずっと残る。失くしたっきりにしてしまえば、それきり思い出すこともなかったものを、この書類を貰うことによって、それを失くした事実は、確実で、かつ、忘れようのないものになる。証明というものは、時にばかばかしいと思う。たとえこの場合の遺失物届出用紙が、何気なく申請したものであったとしても。このおろかさは、あわれであり、この点で、秋の蝶に接するんだと思う。この句、今年の仙台白百合さんで、一番好き。

指切りをした神社から夏の雨 熊本みな子
「から」ってのが不思議なんですよ。「指切りをした神社から夏の雨(になる)」? 「指切りをした神社から(誰かが来るね)夏の雨」? 「指切りをした神社から(再開発で取り壊されていくんです)夏の雨」? 「指切りをした神社から(何か始まるんだ!)夏の雨」? あ、これっぽい気がしてきた(雰囲気で)。指切りをした場所から何か始まる。いい感じ。劇的だ。そのうえ、場所が、神社。空気がすがすがしい。「指切り」「神社」「雨」と、シーンとして、出来過ぎている感じすらするが、このドラマチックぶり、好きです。

涼風やOKの指高々と 眞壁千里
これは断然、告白の句だと読みたい。きゃぴきゃぴ女子高生が、好きな男子に、告ろうか告るまいか、友だち連中に相談。で、みんなに背中を押され、「じゃあ、あいつんところ、行ってくるわ」。友達連中、「ウチらは先に玄関で待ってるね!」。三十分くらい経って、女子高生、玄関から飛び出してくる。そして、OKサインを高々と。これはもう、涼風の気分。セーラー服をぶわっと風が吹き抜ける。青春! 以上、男子高校生による勝手な女子高生像でした。

コピー機に紙詰まりたる晩夏かな 眞壁千里
晩夏になるといろんなことがもどかしくて仕方なくなる。高校生なら、勉強のこと、友だち関係のこと、恋のこと、その他、あらゆることが頭の中に溢れてきて、嫌になる。夏休みがあるからだろうか。夏休みの収支決算。長くて仕方がない夏休みの間に抱えた、失敗、やり残し。とにかく、晩夏はもどかしい季節だ。
コピー機に紙が詰まる。晩夏という言葉が先にあって、そこから膨らむイメージから出て来た景ではないか。何かを生み出そうと力を出すのに、うまくいかない。やりたいことができない。紙を詰まらせるコピー機は、若い作者自身だと思う。

三つ編みをほどいた後の夏の海 眞壁千里
三つ編みをほどいて入る夏の海、ではない。三つ編みをほどいた後の私の目に映る夏の海、だ。これがいい。準備は万端。あとはもう、飛び込むだけ。海の前に立つ詠者の気分のよさ。

団栗が街の明かりを見つめてる 荒舘香純
人の営みのぶんだけ光がある。だから光の多彩さは、人の営みの多彩さである。そしてそれらが混ざって、「街の明かり」というひとつのものになる。
けれどもその中に、どうやら団栗は含まれていないようである。秋のもの寂しさがそのまま形になったような団栗は、街の明かりに含めてもらえなかったのか、はたまた自分から拒否したのか。どちらにせよ、結局は羨ましげに、街の隅、たとえば道端とか、誰もいない部屋の机の上とかで、街の明かりを眺める。もし団栗に眼があったとしたら、きっと目を細めながら、だろう。個人的に、擬人法はどちらかと言えばユーモラスな句に用いられている印象があったが、この句のように、静けさを効果的にすることも出来るのか、と、ちょっとした発見をした気分である。

古書店の紙の匂ひや夏の夕 荒舘香純 
神保町へ行って古書店巡りをすると、それぞれの店で、匂いが違うことに気づく。黴臭いこっしょこしょ(いま思いついた造語)の店もあれば、インクの匂いの強い店もあり、古書店なのにあたらしい紙の匂いのする店もあり、ドアが開きっぱなしで外の匂いがそのままする店もある。
神保町はたくさんの店があるから較べられるけれど、ふつうの街には、古書店はせいぜい数軒しかない。となると、人間には、「自分にとっての古書店の匂い」が、「母の味」のような固有性でもって存在するのだろう。この句は、人それぞれの嗅覚を刺激する。眼にする「古書店の紙の匂ひ」というフレーズは同じでも、感じる匂いは違う。ことばのいいところだな、と思う。

あこがれはあこがれのまま夏の海 荒舘香純
夏の海での出来事はなんだって、華やかで、ときめくものでありそうな気がする。夏の海に来てしまえば、全部がいい思い出で終わるんじゃないか。そんな明るさを夏の海から感じる。だからこの句は、「あこがれはあこがれのまま(でいいや☆)夏の海」なんだと思う。「あこがれはあこがれのまま(にしておけばよかったわ。まさかあの人があんな人だったなんて……)夏の海」では、さみしい。あこがれの人と海へ行く。デートではなく、何かの機会で偶然決まったメンツの中にその人がいた、くらいだろう。海でたのしい一日を過ごしたけど、結局告白するまではいかなかった。これから先もその機会はなさそうだ。けど、まあ、楽しかったしいいか。あこがれは、あこがれのままで、いいや。恋の句は、甘すぎず、このくらいがちょうどいい。

対談第7回。二年生池原と一年生木村(愛称:きょうちゃん)が登場です。池原は人体が大好き。趣味は献血。句材にもよくよく人体関連のものが出てきます。そんな池原ワールド全開の鑑賞に木村が付き合う回です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


池「それではこれから対談を始めますー。テーマは『人体俳句』(≧∇≦) 唐突だけどなぜこのテーマか? きょうちゃん、どうしてだと思う?」

木「人体俳句ですね! それはもちろん池原先輩が人体俳句のスペシャリストだからですよ! ところで、人体俳句の定義とはなんですか?」

池「ありがとう♪ 人体俳句とはまあそのまんま、人体が詠み込まれている句のことを言うんだけど(編集者註:池原が勝手に提唱している俳句の分野である)、人体俳句のすばらしいところは『自分の五感で感じたことを生々しく詠むことにより景が鮮明になるところ』なんです! 今回は、そんな鮮やかで魅力的な句を鑑賞していきましょう!わたしからいきます。『夕焼や耳の奥より熱き水』(米林修平さん/洛南高校B)。鑑賞をどうぞ^^」

木「なるほど、生々しいことが大事なんですね。夕焼や耳の奥より熱き水。私、この句を初めて見たときはプールあがりの時のことかな? と思いました。耳の中に水が入ってしまったあの感覚。その水がふわりとこぼれてくる。そんな景だと思いました。夕焼の季語も、泳ぎ疲れて家に帰る一日の終わりのようでしっくり来ました。一見そんなほほえましい句に見えますが、これは人体俳句ですもんね! 熱き水はもうプールの冷たい水ではない。一度体の一部になったものがまた離れていく、その奇妙な生々しさも感じられました。プールあがりと解釈したのは私だけでしょうか(笑) 池原先輩はどう鑑賞しましたか?」

池「解釈ありがとう! わたしも最初プールから帰ってきて寝ころんでる景なのかなと思ったよ。でもシャワーっていう選択肢も……。いや、でもプールだわ多分。耳から水がつつと出てくる瞬間の温度にびっくりする。自分の体の熱を実感して。そしてまた、夕焼っていう季語がいい。あの色がないとこの人体俳句は成り立たない。静かな生命の実感の句だなと思いました」

木「句の色ですか、なるほど。夕焼という季語の色を特定しろと言われても私はできません。でも、確かに色はありますよね。一人一人が夕焼けの句を作りましたが、それらの夕焼もきっとそれぞれ違う色を持っていると思う。この句は自分だけの色を表すぴったりな切り取りをしていると思います。夕焼けには生命の実感を表現できる力があるんですかね?」

池「一般概念かどうかは分からないけど、夕焼→赤→血→人体なのかも。渋川女子高校の林楓さんの句で『夕焼けは静脈血まみれの空』ってあるじゃない! これどうですか?」

木「林さん! 松山で一緒に句会しましたね。真っ赤な句ですね。言い切りにどきっとさせられます。取り合わせではなく、きっと夕焼けがなにかの象徴や暗喩だと思うんですがなにを表現しているんでしょう?」

池「あまり良いものではないものの暗喩や象徴の気が……。色でもない気がする……。俳句甲子園にしてはギリギリの人体俳句だね(笑) 次の句はきょうちゃんが用意してください!」

木「人体俳句は奥がふかいですね。では、私が気になった人体俳句の鑑賞に行きます。岩手県水沢高校佐藤和香さんの『胎盤を捨てた呼吸や蓮の花』」

池原;胎盤、わたしも選んでました(笑) 胎盤はすっごい大きくて意外に重たいもの(500~600g近くある)。シンクにどさっと。そんな感じ。胎盤という生々しいものとそれとはかけ離れた蓮との取り合わせかな? あっ! なんか『ふうっ』っていう呼吸から蓮が生まれたみたい! 胎盤だけでなくどうせなら胞衣にしてほしかったとちょっぴり思いました」

木「呼吸から蓮の花が生まれる! すてき! わたしは全くイメージできませんでした(汗)。わたしは胎盤という重みのあるものと蓮の花が軽やかに咲く様子の取り合わせかなぁとしか考えていませんでした。でも、胎盤にも蓮の花にもそれぞれの生命力がありますよね。胞衣もあるといいと思ったのはなぜですか? 知識があまりないもので(汗)」

池「なるほど! 胞衣は『えな』って言って後産のときに出てくる胎盤や臍帯や羊膜の総称です´`」

木「あぁ、臍の緒とかのことですね!」

池「実際は胎盤だけじゃないかなと思って。でもよく考えてみたら、『胞衣捨てしいきづかひかな蓮の花』ってなんか不自然だし、胞衣って言葉が伝わりにくいかも……。やっぱ胎盤だけでいいですm(_ _)m」

木「胎盤以外にも想像されますが、やっぱり胎盤という言葉の強さですかねぇ。佐藤さんはゼリーの句も生命力が感じられる句です」

池「『静脈のやはさに似たるゼリーかな』だね´` 静脈俳句多い! ぷにぷに感が似てるのか……」

木「池原先輩の句にも静脈の句ありましたね。『全身に静脈這うや夏の海』。さっきの林さんの句もそうですが、今年は血管ブームなのか(笑) でも、三句とも違う季語だから、言葉同士が近いわけではないんですよね。不思議」

池「血管のみならず人体俳句がなんだかいっぱいあった今年の俳句甲子園! ブーム来たかって感じo(^-^)o 余談ですが、わたしは最近、角膜、虹彩、肝臓、耳とかで作ることが多い」

木「角膜、肝臓……。そういうもので俳句を作ろうって考えたことありませんでした(笑)どんどんジャンルを増やしてますね、池原先輩((o(^∇^)o))」

池「だからそのぶん、類想感のある句は作れないねー。次は少し違った人体俳句。『蓮咲きて前歯のほろと抜け落ちぬ』(水谷衛さん/洛南高校A)。どうぞ」

木「さっきまで鑑賞してきた句とはまた違う雰囲気の句ですね」

池「突然だけどきょうちゃんはこんな風に簡単に乳歯が生え替わった? わたしはいつもぐりぐりして少し痛い思いをしながら抜いていたから……」

木「私もぐりぐり派でした(笑) 歯が抜ける時って結構激痛ですよね。ほろってどういうことなんでしょう。抜こうと意識せずに、何かの衝撃で歯が抜けて、あっ、と思って口から出したときに小さな歯がほろり……かな? そして歯が抜けるということは小さい子どもなんでしょうか?」

池「授業中とかにぐりぐりして抜いてた(笑) 懐かしい´` 小さい子の話だよねきっと。お年寄りかもしれないけど。ひとつ分からないのは蓮との取り合わせ。どういう感じなんだろう? ね?」

木「前歯が抜けるってちょっと滑稽な感じ。でも、ほろという言葉や季語が奥行きを作っている句だと思います。歯が一本ずつ抜けて、生えて、確実に成長していくというか。だから私には落ち着いた句に見えて……子どもがあまり見えてこない(>_<)」

池原「落ち着いた感じで子どもを詠むっていうアンバランスさがこの句の魅力なのかもね。同時に硬質な歯と柔らかな花弁という真逆のものを取り合わせている。あと、ほろ、が歯が抜けることで少し無防備になってしまった感じを出していて、いいなと思った。よし、最後の一句! きょうちゃんセレクトでo(^-^)o」

木「アンバランスさで取り合わせの句を作るって新しい。では、最後の句です。『灼かれても白き骨なり蓮の花』(西原裕希さん/浦添高校)。これは、人体俳句になりますかね?」

池「骨は人体の一部です! 火葬のあとのお骨かな。そうだとしたら言葉どうしが少し近いかも……死に蓮か……」

木「ディベートでも話にのぼりましたね。火葬ということは分かるんですが、私火葬に立ち会ったことがまだないんです。実際はどんな感じなんですか?」

池「大きい炉みたいなのに棺を入れるのをみんなでお見送りして、その後は骨壺にお骨を入れる。わたしはちょうど今年の二月に祖母の葬式があって、そういう場にいたよ。確かな骨は白かった。でも、骨が白いのは当たり前のようなのに、ここでわざわざ白き骨なりって言ったのには何かしらの感情があるんだねきっと」

木「なるほど。知りませんでした。私は白に加えて光も見えました。夏の日の光。お葬式ってなんだか夏のイメージがあるんですよね。だからこの句の白は生を感じさせる。生に気づいたことで死を実感するというか……」

池「わたしも同感。人それぞれかもしれないけど、わたしはお葬式と言えば夏です。わたしはこの白は成仏だと思った。白が象徴するのは純潔や永遠などだから。光が見えたって言ったのもわかる! 極楽浄土に行ってくれた気がするね。でも骨の白さって生きている今現在で感じること少ないかも……(むしろ血液の赤はたびたび感じてる)」

木「そうですね、自分の骨は焼かれるまで現れないから、ほとんどの人間は自分の骨の色を知らずに死んでしまう。血はケガや献血の時に目にしますからね。骨も血も体の一部なのに、それぞれ自分自身との距離感が違う。ところで、私が気になったのは灼くという漢字です。一般的には焼くですよね。なんでですかね?」

池「そうだね、よっぽどの大怪我をしなければ自分の骨の色なんてわかんないよね。献血(笑)わたしに毒されてきたな(笑) 漢字ね。うーん。なんか、いきなりはだしのゲンを思い出してしまった。」

木「焼くだと炎がちらついて、せっかくの白の光りや蓮の花がいきてこないからかなぁ、と思ったのですが、灼くである必然性は思いつきませんでした。はだしのゲンですか。一体どんなところから?」

池「重々しい話になるけど……原爆が投下されたあとの町の至る所で犠牲者を山のように積んで死体を焼くって場面があって。ショッキングだった。あの漢字から真夏の暑い日と炎を連想してしまって、空襲直後や原爆投下後の町を想像した」

木「戦争や原爆投下があったから、日本のお葬式は夏のイメージなのかも。この句は火葬の一場面しか切り取られていませんが、その後ろに大切な人の死があったという大きな悲しみがあることをふまえて読む必要がありますね」

池「大切な人の死を悼むのと同時に冥福を心から願う気持ちが蓮の花に託されているのかもね。高校生なりの死の受け止め方があるんだよと教えられた気がします。……これで予定の句は全て終わりました! 最後に感想!」

木「私は物を詠むことが多いので、体の一部で俳句を作ることは今まであまりありませんでした。同世代の人体俳句を鑑賞して、ぜひ作ってみたいと思いました。鑑賞のいいところはこんな句もあるんだ、作れるんだ! ってことと、自分が思いもしなかった読みを知れることですよね。楽しく充実した対談でした。ありがとうございます(*^^*)」

池「わたしもたくさんの人体俳句を鑑賞できて楽しかった! ほんとはもっと鑑賞したい句があったんだけど……(^^;) とにかく刺激をもらいました! そして、この対談につき合ってくれたきょうちゃん、ありがとう! うちの部どころか全国探してもこんなにわたしの人体話につきあってくれる人、そうそういません(笑) 本当に感謝^^ これで対談を終わります\(^ー^)/

対談はメールで行われた。編集:池原・堀下

鑑賞文交換第3弾です。仙台白百合学園3年生の西村さんにお願いしました。嬉しいことにたくさん書いていただいたので、分割して掲載いたします。つづきは後日。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈旭川東A・俳句批評鑑賞文〉仙台白百合学園・西村葉月

夏の海おほきな旗の揚がる音 堀下翔
旗は、大漁旗だろうか。旗が翻る音、旗の色彩の鮮やかさ、そして広がる夏の海。「おほきな」とわざわざ入れたところにも、どこまでも広がっていく希望や光あふれる夏の季感がとても感じられる。

一雨の来さうな感じゼリー食ふ 堀下翔
個人的にこの句が好きだ。この感覚はとてもわかる。ゼリーの少しくもったような半透明の輝きは、これから雨を連れてきそうな空模様ととても響きあう。そして、一雨来そうだな、と思ってはいるが、そのことを気に病んでおらず、むしろ静かな気持ちでゼリーをすくって食べている様子が感じられる。時雨、五月雨など、古来より様々な名前で雨を区別し、風情のあるもののとして雨を愛してきた日本人の精神が確かに生きている句だと思う。

白蓮や題箋揮毫たのまるる 堀下翔
書道が好きな作者らしい句。題箋、つまり題字は書物や作品の顔ともいうべき重要なところ。その揮毫をたのまれる。喜びと誇らしさ、そして緊張。ひきうけるではなく、たのまるるとあるところに、彼に題箋揮毫を依頼した他の「誰か」の存在が見える。ぴりっとした緊張感がこのたのまるるから確かに感じられる。そして、白蓮の効果。心を無にして筆を持ち、題箋を書くことは、どことなく神聖な儀式のようなものを連想させる。朝明けの仄かな光にぼんやりと浮かび上がる白蓮の姿は、心地良く張り詰めた緊張感の中で題箋揮毫に取り組む作者の姿をうつしているかのようだ。

紙芝居終はりて百日紅残る 堀下翔
紙芝居をみている間は、物語の世界に引き込まれ、現実の世界を離れて酔うことができる。しかしそれだけに、紙芝居の終わるときはさびしい。今まで紙芝居を聞いていた子供たちも散り散りにいなくなる。先ほどまで物語があったところには、真っ赤な百日紅だけが所在無げに咲いている。あえて紙芝居が「終わった」ところに視点を向けたところが好きだ。

全身に静脈這うや夏の海 池原早衣子
静脈は全身に通っている。そんな当たり前が、生きているということが、夏の海の輝きやいきいきとした力強さに触れて改めて素晴らしく感じられる。静脈と冬を取り合わせた句はたくさんあるが、静脈と夏という取り合わせが斬新。動脈では当たり前になってしまうところを、静脈のしずかな息遣いを持ってきて、夏の海と取り合わせたところが素晴らしい。

目も口も大きなる子や夕焼雲 池原早衣子
小さな子供は顔のパーツのひとつひとつが大きく、輝いていてとても印象的だ。目と口、一番思いを伝える場所が大きく印象的であることから、若々しい生命の輝きを感じられる。夕焼雲を背に、母親の手に引かれて帰る子供の様子が浮かぶ。

団栗のラテン語のごとく転がりぬ 池原早衣子
ラテン語のごとく、というのが少々わかりづらい。英語やフランス語ではなぜだめなのか。ディベートに頼る句ともいえるかもしれない。

仙台白百合の西村さんと、お互いの部の句の鑑賞文交換。こちらも分割掲載です。残りは後日!



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈仙台白百合さんへ〉旭川東・堀下翔

母のような人になります夏怒涛 西村七海
詠者はきっと、母が大好きで、尊敬する人を問われたら迷いなく「母です!」と答えるような人だ。中七のあとに「!」マークがついているのではないか。「母のような人になります!」。ストレートで高らか。母に直接言うには気恥ずかしい叫びではあるが、夏の海の波音にまぎれさせたら、好きなだけ大声になれる。夏の海は、誰かに何かを叫ばせる性質を秘めている気がする。

夜の秋手紙破いてまた書いて 西村七海
手紙を破るのは、一見、感情的な行為のようだけれど、実は合理的なんだと思う。たくさん書いて、たくさん考え直して……いちいち破っておかないと、あとで間違えて、送らない筈だった方まで送ってしまう。「好きだ! すぐ会いたい!」なんて書いて、やっぱり恥ずかしいからやめて、「そのうちお食事でも……」ぐらいにしておいたのに、あーあ、うっかり「好きだ!」の方を……なーんてことに。静かな夏の夜、詠者はどれだけの思いを手紙にぶつけているのだろうか。

指揮棒の置き去られゐる晩夏光 西村七海
鷺沢萠の短編に「ティーンエイジ・サマー」(河出文庫『少年たちの終わらない夜』所収)というのがある。十九歳の主人公は、「十代最後の夏を見送る」ことを目的に、8月31日の夜、仲間と母校のプールに集まり、泳ぐ。西村さんの句を読んで、この小説を思い出した。この句の主人公たちも、なにか自分たちにとって大切な夏を見送ったのではないか。夏が終わるのは、妙にかなしい。誰もがそれぞれに、なんらかのかたちで、夏を見送ったことがある筈である。彼らは、みんなで音楽をすることによって。夏が終わって、彼らはどこか次のステップへと進んでいく。

セーラーの襟夕焼けに濡れてをり 西村七海
どきっとする。そもそも筆者はセーラー服を見慣れていない。旭川東は私服高校なのである。だからただでさえセーラー服にはどきっとするのに、まして夕焼けに濡れているだなんて、どきっの二乗である。光が濡れている。神野紗希の「光る水か濡れた光か燕か」の句を思い出す。こっちは、一瞬で通り過ぎてゆく光。ハッとする。西村句は、家につくまで、ずっと濡れている。ちょっといい気分になる。夕焼けに濡れているあいだのゆったりとした時間が愛おしい。

紫蘇を摘む指や最後の夏休み 野川奈桜
最後の夏休み。その最後の日、という感じさえする。彼氏とどこかへ行くわけでもなし、かといって宿題に追われているわけでもなし。あ、最後の夏休みということは、受験生か。けど、根を詰めもせず、紫蘇を摘む。落ち着いた人だ。夏休みが終わって、そのうち大人の世界に入っていかなければならない時期が近付いている。けれど詠者は、実は、すでに大人になっているのではないか。高校三年生。大人になるには、充分な歳である。終わっていく夏の中で、ふと自分の指を見つめると、そのほっそりとした指は、子どもの指のようではなく見えるのかもしれない。

東京の上に夕焼け鎮座して 野川奈桜
東京が好きだ。夏休みになると毎年、用事がある訳でもないのにひとりで東京に遊びに行った。できたばかりのスカイツリーにのぼったり、博物館めぐりをしたり、あちこちで買い物をしたり。どこへ行っても人がいっぱいだった。そのいっぱいの人々の誰もが自分のことを知らない、と思ったら変な気分だった。もちろん自分の街だって、すれ違う人なんて誰ひとり知らないのだけれど、東京の人の多さは、余計にそれを感じさせた。大勢の人がいて、その殆んどがお互いを知らない。東京の人たちの間に共有点はなさそうである。強いて一つ挙げるとしたら、同じ夕焼けを見ていることくらい。大きな東京に、大きな夕焼け。今日は夕焼けが綺麗だな、と、共通の感動が生まれたりして。そんな東京の人々を、夕焼けはひとしく見守っている。

切り絵から飛び出す団栗夕焼けて 野川奈桜
兼題「団栗」に対して、だから、その点はちょっとアレっ? と思った。けど、これ、「切り絵から飛び出す」って、すごくいい表現だと感じるんです。切り絵って、高じると、かなり精緻な図柄を作れる。が、この句で作っているのは、団栗。単純な形だから、すぐに、ポンってできる。まさに飛び出す感じ。言い得てるなあ……とホレボレした。で、団栗が飛び出して、その勢いの先にあるのが、夕焼け。ポンッと飛び出して、そのまま夕焼けに包まれる。光を浴びて、そのうち芽が出てくるかもしれない。

対談第6回。俳句甲子園のテレビ特集にも出演されていた宮崎さんにご登場願いました。お相手は堀下。いったい青鞋、重信を目標にして句作する高校生俳人が彼女のほかにいるでしょうか。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


堀「こんにちは! 他校対談第3弾! 今回は土佐高校2年、宮崎玲奈さんに来ていただきました。よろしくー(⌒▽⌒) 今日はどんなテーマで話そうか?? 一言でお願いします」

宮「よろしくー(^O^) んー、一言で言うとー『新しい俳句とは?』かな』

堀「あたらしいはいく。じゃーレナさんの思う新しい俳句はどんなのか、ひとつ教えてー」

宮「んー、新しい俳句。今年の俳句甲子園の句で言うと『泣くための静寂トマトゼリー噛む』(森優希乃さん/ 松山東A)とかかな」

堀「おー森さん。おれ、森さんの句大好き。この句、感情が強く出てるよね。俳句甲子園の句はあんまり感情を押し出さないのが多いけど、この句はまず泣きたいんだ! って主張する」

宮「そう。俳句甲子園の作品集を見てみると、やはりどうにも情景句が多い気がするんだよね。高浜虚子が、客観写生を唱えたりと、現代の俳句界で最もメジャーな俳句の作り方だとされているからかなぁ。そういう中での、この森さんの句は象徴的な心情句。トマトゼリーという季語の斡旋も効いてるし」

堀「水があふれるようなトマトゼリーと、涙。そして『噛む』がいい。ゼリーはふつう噛まないんじゃないか。喉に落とす感じ。噛む、もまた感情の強さを出す表現よね。感情を出す句が、レナさんの思う新しい俳句?」

宮「んー、皆、虚子の客観写生に固執しすぎている気がするんだ。虚子はホトトギスという結社の経営の為にこの理論を制定しただけで、彼の作品の中にも客観写生で詠まれていないものだってある」

堀「それはそうやね。虚子を読むとバカバカしいのもあるしなんだかよく分からないのもある」

宮「そんな俳句界に求められる新しさって例えば感情句であったり、阿部青鞋の『かたつむりいびきを立ててねむりけり』のようなイメージによる季語の使い方。俳句を一面でしか捉えてないのはモッタイナイんじゃないかって思う」

堀「青鞋は新興俳句の人やね。なるほど、レナさんの目指すところが見えた気がする。作品集見たら宮崎レナの句は異彩を放っていた(笑) 『内部犯行説の団栗散らばりて』『ゼリーにはペパーミントの正論を』とか。……おれ、虚子の散文はほとんど読んでないから、虚子自身が直接言った客観写生がどういうことか、よく分からないんだけど、虚子の客観写生は自然だけが対象だったの? 人間も写生してよかったの?」

宮「客観写生は、事物を客観的に描写することによって、そのうしろに主観を滲ませるほうがいいという考え方。虚子の唱えた客観写生は花鳥風詠のための技法であり、花鳥風詠が実作の方針だったらしい。その対象である自然には人間も含まれていて、人間も自然の一部とみなすよ。有名な『春風や闘志いだきて丘に立つ』は虚子の主観写生の具体的な例だね。私もきちんと身につけておくべき技法として、客観写生も取り入れるべきだとは思うけど、俳句って人に非ざる文学と書くじゃない? だとしたら、表面的ではあるけど、俳句の本質って、さっき挙げた青鞋の句や昭和の新鋭的な俳人高柳重信なんかにあるんじゃないかって。私たちが現在捉えるべき俳句の本質は、昭和の俳句史なんかでも、メジャーだとは言われなかった新鋭的な彼らが捉えていたのではないか、と」

堀「オッケー、だいたいわかった。ただピンとこないのは『俳句の本質』ってところ。客観写生にはなくて、青鞋や重信のほうにはある『俳句の本質』って、なあに」

宮「色々ゴチャゴチャしてしまったorz 重信や青鞋の俳句って、『人に非ざる』と書くから、ある意味笑いの文学に通ずるとこがあるんじゃないかって思う。『かたつむりいびきを立ててねむりけり』。この季語の使い方面白いでしょ? 皆が共感出来るような、実際に見た実感などをそのままストレートに表現するのも一つだけど、人に非ざる文学なんだったら、皆がしないようなものの見方を詠むのもいいよね。ってことだ」

堀「ふーむ、面白さ。俳句甲子園でそれを真剣に追ってる人はほとんどいないよね」

宮「たしかに、あまりいないのかもしれないね。例えば、開成さんとかは私とは真逆の『実感を大切にする』ということに重きを置いているものね」

堀「どうしてレナさんは俳句をそういうふうに考えるようになったの?」

宮「んー、なんでだろう。高柳重信や阿部青鞋、御中虫がこんな俳句の読み方もあるんだよって示してくれて、それに感動を覚えたからかな。単純に、皆が同じ方向を向いている中で、違う方向を見つけて、こっちにも面白い見方はあるよって示したい、と」

堀「なるほどー、青鞋、重信、御中虫へのリスペクトか。うーむ、たとえばさ、旭川東も御中虫ファンのチームだけど、じゃあおれたちも御中虫を目指して甲子園に行こう、とはならなかった。それは『誰かに影響されない』という意味合いじゃなくて、『御中虫だから目指さない』ということ。理由はたぶん、勝てない(かもしれない、未知数である)からだよね。『結果より過程と滝に言へるのか』(御中虫)にはたして審査員は旗をあげてくれるのだろうか、って。だから正直、レナさんは俳句甲子園では、異端児(⌒▽⌒)  俳句観の話を聞いていたら肝心の鑑賞を忘れていました(笑) ではそんな青鞋的な俳句を目指す高校生俳人が見た今年の俳句甲子園、ということで鑑賞をやってきましょー。ここまで聞いてきたところで森さんの俳句に戻ると、レナさんがこの句をいいと思うのは、季語としてのトマトゼリーの、実物以上の存在感、ということかな」

宮「そうだねー。俳句甲子園の兼題の中でもゼリーって本当に難しいと思った季語で、ゼリーという物自体を一物仕立てで詠むよりも取り合わせとして読んだ方が成功しやすいと思った。なかでも、取り合わせの俳句で成功例を挙げると森さんの句だと思う。カケル君が言ったように、ゼリーの瑞々しさと噛むという行為があいまって、作者の感情を助長している」

堀「ゼリーは例句がなくてなくて……(^-^) 作品集を見ると、みんな困ったようで、恋心にからめたり、空模様にからめたり、と、発想も似通ってしまう部分がたくさんあった。森さんのような思春期のあぶなっかしさにぶつけたのだってたくさんあった。その中でこの句がいいと思えるのは、ひとつには静寂に注目したところもあるのかな、と思うんだ」

宮「静寂に注目したとは?」

堀「他の句はわりと『ゼリーだね! ふるふるだね! 思春期だね!』で、ゼリーだけ提示しておしまい、みたいな。この句の空間には、ゼリーのまわりにでっかい静けさがある。この静寂が空気をさらに透明にしてるから、映えるんじゃないかって」

宮「カケル君が言いたいことすごくわかる。この句他の句とちがうんだよね。静寂があってゼリーという季語が生きてる、みたいな。ゼリーという物を通して作者の思いが反映されている」

堀「思いを全面に押し出すのはすごくむつかしいけれど、できないわけではない。それを示してくれる句でした。他の句ではどれが気になる?」

宮「がらっと感じは変わって『親指を血はよく流れ天の川』(吉井一希さん/灘)。さっきは私からだったのでカケル君からどうぞ」

堀「灘! 灘の初登場は衝撃だった。そしていきなりこの句で賞を取った。最初はさ、えーなんか血と川は近いんじゃないのって思ったんだけど、違うんだな。見上げてるんだ。もう、ちっちゃい光がうわわわわわーってたくさん。見てたらさ、もう無心なんだ。無心で見上げてるから体の感覚はない。で、ふっと気づいたら、親指が脈打ってんのね。今まで星にばっかり気を取られてたぶん、この脈動が妙に気になる。この血は、ぶわーって、天の川へと向かっていくのかも。天の川を見てると、体の中のものがぜんぶ吸い上げらちゃいそうな気がする。天の川を見る感覚を体を使ってうまく表した句だと思った(⌒▽⌒)」

堀「私もだいたい同じ感じ。上五、中七の親指を血はよく流れのフレーズからは当たり前のことではあるが、改めて自分の体を血が流れているんだという生命力に対する実感。加えて、下五に天の川とくる。キラキラと星が幾千と瞬く。美しい季語だと思う。流れているんだ、という繋がりだけで作ったとは言い切れない感じ。天の川という美しい季語であるが故の『親指を血はよく流れ』の意外性。この句は優秀賞に選ばれてるけど、天の川という季語に対しての意外性、今まで、天の川って季語のこんな扱い方見たことないよってので、審査員の先生は選んだのかなーとか色々考えてみたり」

堀「レナさんがこれを取り上げたのはなんで?^_^」

宮「季語の斡旋が新しいと思ったからかなd( ̄  ̄) こんな天の川の使い方は見たことない」

堀「ふうむ。たとえば身体感覚の天の川で言えば『子を負うて肩のかろさや天の川』(竹下しづの女)とかがある。となると、この句の斡旋の新しさはどこだろう」

宮「親指自体に視点があって、血が流れ、脈がどくどくと高鳴っているという詠者の実感。一方、竹下しづの女の句は読者には子を背負った母の姿が想像でき、母の天の川の美しさに魅せられ、背負った子までも軽く感じられるという詠者の実感がある。しづの女の句はどちらかといえば天の川に視点の重きが置かれるが、親指は天の川だけでなく、前のフレーズもズキューンと衝撃的な感じでない?」

堀「なるほど……そーゆうことね^ - ^」

宮「次の句いきますか? 『まだあをき団栗拾ふ理系女子』(佐南谷葉月さん/金沢泉丘)。
この句も新しいよね! 目を引くのが理系女子というフレーズ。写実なんだけど、理系女子ということで、写実の裏で私たちに伝えてくるものがあるよね。理系女子だからこそ青い団栗を拾う。皆が着目しないような所に注目する理系女子みたいな」

堀「これはわかりやすく新しい。ステレオタイプじゃん。ステレオタイプをわざわざ押し出してくるから面白いし新しい」

宮「うんうん。同感!! カケル君は何か気になる句ある?」

堀「おれはねー『皿にゼリー再放送に泣いてをり』(上川拓真さん/開成B)。再放送だけど、自分が見るのは初めて。こんなドラマがあったんだ。もしかしたら、自分が生まれる前のものかも。こんな古いものでも、泣ける。なんかさ、自分の小ささを感じるんだよね」

宮「シンプルだけど、深みがある句と言ったらいいのかな。一見報告のような気もするんだけど、泣くって動作にポイントがあるのだと思う。さっきの森さんの泣くとはまた違うんだけど、この句にも作者の感情を感じるよね。ゼリーという脆い食べ物と詠者の涙腺の緩みの取り合わせ。皿にゼリーとここで一度切れが入ることによって私とゼリーとの二物の距離感が上手く描かれていると思う」

堀「そう、距離感。ただごとなんだよ。皿にゼリーのあることも、再放送も。そんなただごとに泣いてしまって、ちょっとした感覚のズレを読者に与える。距離感が、ちょっと変てこで、だからこそ成り立つ。あとこの句、日常に溶け込んでるのがいいな、と思う。ゼリーに限らず、俳句を詠もうとしたら、絶対、パッと驚くことを言いたくなるんだけど、この句はそうじゃない。日常に徹して、そのなかで異質な雰囲気を立ち上げる」

宮「確かに日常の切り取りやね。その中にある、カケル君が言う異質な雰囲気こそが、この句の深みなんだよなぁ。インパクトがある句ではないんだけど、哀愁があるというか。この作者の句を一通り見てみたんだけど、どの句も作品の中に作者の一部が潜んでいる。例えば『捺印の指に力や秋暑し』(上川拓真さん)。これも作者自身の感覚だよね。ある空間があって、それを見るのがカメラの眼、みたいな作品ではない。さて、一区切りついた感じ?」

堀「せやね。じゃあ最後になんか一言!」

宮「月並みではありますが、今回の対談非常に楽しかったです! やはり俳句は詠む人がいて、鑑賞する人がいて、一つの句に対しても多面的に考察しがいがあるというか。改めて、最短の文学でありながらも、奥深いなぁと。いや、凝縮された文学だからこそ深いのかなぁと思ったり。なかなか俳句自体の本質や全体像を掴むことが出来ないからこそ、私たちは俳句を創造して、俳句を鑑賞して、という作業を繰り返す中で、新しい発見を得て、うわぁーやっぱ俳句ってすげえ、楽しいって思うのかな。何よりカケルくんをはじめ、これからも色々な学校、結社の皆さんと交流する中で、新しい俳句を追求し続けていきたいと思います。今回はありがとう!」

堀「レナさんの言うことはなかなか本格的で、あっ、こんなふうなことを俳句に求めてるひとが俳句甲子園にいるんだ、というのが衝撃でした。うちの部はわりあいに不勉強で、「重信? 誰それ」なんてヤツもいるわけで、いい刺激になればな、と思うよ(^-^) また機会があればお越しください。ありがとうございました」

附記:正直に申し上げると、レナさんの話はなかなかにむつかしくて、ついて行ききれない所もありました。そこで彼女に「わたしの俳句観」をテーマに一文を依頼しています。本企画が終了した後の掲載になると思いますが、原稿をいただき次第掲載するので、そのときには併せてご覧ください。

2013.11.30~12.4 対談はメールで行われた。 編集:堀下

水沢高校の和香さんにエッセイを寄せていただきました。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈16のわたし、18の私〉岩手県立水沢高校 佐藤和香

 東日本大震災の発生から早くも3年が経とうとしている。震災発生時の私は、卒業を控えた中学生で、高校すら決まっていない時だった。それから数ヵ月後、運命なのか偶然なのか、俳句と出会い、俳句甲子園に出場したことで、震災と思わぬ形で関わることとなる。

 震災の被害をあまり受けることがなかった私も傍から見れば、“被災地岩手に住む高校生”。
「震災の俳句は詠みましたか?」「震災についてどう思いましたか?」「震災について詠んだ俳句を教えてください!」
 俳句甲子園への出場が決まってから何度も向けられたこの言葉に、私は一度も答えられなかった。もちろん、連日ニュースで報道される被災地の現状を見て、何も考えていなかったわけではない。友人達の中には親戚を亡くした人も少なくなく、被災地ほどではないが、震災について感じることは多かった。けれども、被災者ではない私が震災を俳句にすることは、どこか違和感があったのだ。先輩達が口々に「震災を詠むことなんて出来ません。あの現状を見たら、俳句とかそういうことで綺麗に片づけてはいけないと思います。」と言っていたのを思い出す。

 その年の俳句甲子園は、震災の影響を強く受けていた。「ことばの力を信じて」というスローガンが初めて掲げられ、被災地岩手から大槌高校が招待された。けれども、私は四国初上陸に少し浮かれ、その後、ある衝撃に出会うなんて考えてもいなかった。

 その衝撃とは、自分と同じ高校生が震災についての俳句を詠み、震災について必死にディベートをしていたことである。それと同時にやはり違和感を感じた。やっぱり違う、何かが違う。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと悶々とした。岩手に帰ってきても悶々とした。この違和感はなんなんだろう、どうしてこう、言葉に出来ないものがあるのだろう、と。

 その後、様々な震災俳句を読み、震災俳句に対する意見文も読んだ。いい句も多く、共感するものもあった。けれど、自分が詠むのは違う気がした。

 そして私にとって最後の俳句甲子園となった今年の夏。私は今年もまた、震災俳句と出会って、悶々としたまま大会を終えてしまうのだろうか、そんな不安が心のどこかにあった。震災を題材にしているだけで、俳句としての良さはどの句にもある。それが分かっていても受け入れられない。そんな自分が嫌でもあった。

 ウェルカムパーティーの際、顧問にいつまで席に座ってるんだと怒られ、大好きな俳人たちがいる審査員席へ向かうために席を離れた。岩手県立水沢高校です、と挨拶をしたとき、あらあらと稲畑汀子先生が話しかけてくださった。
「震災どうだったの?」私たちの地区は幸い被害がなかったんです。「あらそうなの?」はい。「それでもあなたたちはいい経験したわね。被害は受けなくても感じることはあったでしょ。それをね俳句に詠みなさい。俳句はね、綺麗なことだけじゃないの。自然は美しいけど、時には残酷なことだってある。感じたことを素直に俳句に詠みなさい。」
 この時、違和感の正体が少しだけ分かった気がした。震災という大きなものの前では、頭の中で作った俳句など、違和感の塊でしかない。感じたことではなく、考えたことを詠んでいる句が震災俳句には多かった、だから受け入れることが出来なかった。

 震災俳句は自己美化や自己満足だと批判されることも多い。しかし公式文書やレポートでは残せない、実感としての震災を残す力が俳句にはあるのではないかと思う。
 素直に感じたことを詠む。それは簡単なようで案外難しいことだけれど、震災から三年が経とうとしている今、ようやく震災について俳句を詠んでもいい気がしてきた。

 5句競作の第3弾です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈冬日​和〉大池莉奈/吹田東高校3年

小春日の待合室や友といる

柿落葉声変わりしたらしいわね

ももいろの母の毛布を奪い合う

ユーラシア大陸描く蜜柑皮

手の中に全世界あり初時雨


〈白い夢〉杉山葵/能代3年

白雪の言の葉の降る森林地

息白くしてバスを待つ日常

霙降るマリオネットのかなしさに

初雪にふととけさうな恋心

冬薔薇愛を捧げる人居らず


〈てのひら〉 木村杏香/旭川東1年

手鏡のおもては下に十二月

寒椿白衣に似合う靴を履く

左足と右手から入る冬野かな

ポケットのリップのぬくき冬の雨

手袋を履いて幼くなる十指

画像画像画像

 八重山商工の素敵なお兄さんがこれまた素敵なチーム猫耳の鑑賞記を書いてくださったので、わたしも拙いながらですがお礼の気持ちをこめて書きました。(池原)



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈八重山商工の句の鑑賞・みづのにほひ〉 旭川東・池原早衣子


夏の海握る釣り竿の熱さかな 米盛海都
夏は海が一段と煌めいていて、そんな海で魚釣りをするのって気持ちがいいですよね。主人公が真剣に釣りをしていることがストレートに伝わってきました。欲を言えば中八は推敲した方がよかったのかもしれません。

君がため作るゼリーの脆さかな 小濱歩
「君」ってきっと大事な人なんでしょうね。ゼリーを冷蔵庫から出して型を外した瞬間に、まだ固まりきれていなくてどろっとしてしまったのでしょうか。主人公と「君」のうまく気持ちが伝えられない二人の関係が見えてくるようでした。

アルバイト上がりの帰り道に蓮 下地壮
一目見たとき、感動が電気のように体に走りました。非日常の蓮と日常のアルバイト。こんなにも相反する位置にあるものがぶつかって、尚季語がとても生き生きとしている句、他にありません。これは、歳時記の例句に掲載されるべき作品だと思いました。

団栗と一緒に回す洗濯機 武井久美
可愛らしい。ポケットに団栗を入れたまま洗濯機を回してしまった景と解釈しました(間違ってたらすみません)。大いに共感できる句です。団栗の姿形だけでなく、こういうのも一つの秋の風物詩だと思いました。

ぬらくらと指から抜けるオオウナギ 前田竜一
当たり前の景のような気がしますが、何故か気になってしまう句です。「ぬらくら」というリアリティ溢れる表現がものすごく効いているからなのでしょう。このオノマトペにはまってしまいそうです。これだけシンプルな構成で、景を充分に伝えられる力がすごいです。

 お互いの部の句の鑑賞文を書き合う企画、第2弾です。今回は南の地から八重山商工高校の下地壮さんに私たちの北の俳句を鑑賞していただきました。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈旭川東の句の鑑賞・最南端から愛をこめて〉 八重山商工・下地壮

一雨の来さうな感じゼリー食ふ 堀下翔
感覚的に通じる所のある俳句でしたね。一雨来そうだと感じる、動物的直感。濁った雲が迫り、少し肌寒くなってくる。ゼリーを食べている最中の、何気ない発見。
一雨来るという何気ないことも、何かしらの行為があってこそ分かるものだと思います。ゼリー美味しいよなあ、何味のゼリーだろ。気温的には暑くもなく寒くもなくって感じがする。情景が身に迫るような句で、好みでしたね。

全身に静脈這うや夏の海 池原早衣子
静脈が這うって言い方に惚れ惚れしましたね。手首から段々と心臓へ向かっていく静脈の青さに対比して、しっかりと血は赤いですからね。夏の海の内面を眺めるような。自らという生命の内側を眺めるような、そんな句だと思いました。そして素潜り漁をしたくなりました。魚も私になるという生命の連鎖が頭から離れない。

団栗のラテン語のごとく転がりぬ 池原早衣子
団栗が転がる。しかもラテン語のごとく。最初の印象は「説明できない面白さ」でもそれだけじゃあない。
ここから長くなります。
元々は古代ローマ共和国の公用語として普及した言語ですね。
そして、西ローマ帝国滅亡後もローマ文化圏の古典文学を伝承する役割を果たしていたラテン語です。更に大躍進、キリスト教会を通してカトリック教会の公用語として今度はヨーロッパ各地に広まり祭祀宗教用語として使用されるようになり、中世には中世ラテン語として成長しました。ルネッサンスを迎えると自然科学、人文科学、哲学の知識階級の言語となり近世のヨーロッパまで学術用語として発展存続をし、現在はバチカンの公用語……。そしてまだ、各種学会や医学、工業技術等の各専門知識分野では世界共通の学名としてラテン語名をつけて公表する伝統もあり。
私が工業技術高校で、尚且つラテン語に興味が無かった場合「何となくで選んだ句」で終わりますよこれ。
本当はまだまだありますが割愛。
こういった様々な用途に転がっていくラテン語と、団栗の丸みを生かした転がり具合。そういった掛け合せがあるのかと推測しました。身近にある団栗と、日本ではとょっと縁のないラテン語の取り合わせが面白くて取らせていただきました。

星涼し原稿用紙に描く挿絵 木村杏香
内容に即した絵を描くって本当に大変だよね、と、実感の伴う句です。私は割と作業として絵を描くことが苦手だったりするのですが、多分作者自身はそんなことを思ってもいないのだと季語を通して感じられました。とても爽やかじゃないですか、星涼し。挿絵を描いている人が大まかにだけど想像できてしまう面白さがいいですよね。夜更かししない程度に頑張ってもらいたいものです。

夏菊を摘み取る指を眺めをり 矢崎雄也
摘み取っている人は、どういった心境で摘み取っているのだろう。摘み取る指が、なかなか意味深で面白い。ただ綺麗だったから摘み取ったのか、ひとつの有機物と理解して摘み取ったのか。はたまた夏菊に誰かを重ねているのか……。妄想が膨らんでいきますね。
更にそれを眺めるときたもんです。あくまでも摘み取っているのは自分ではない。心情描写はまったくされていないのにここまで感情が見えてくる、この句の奥行に惚れました。

 5句競作の第2弾です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈檸檬以後〉青本柚紀/広島2年

ビーカーに泡絶え間なき雨月かな

以前より以後長くあり檸檬切る

袖口に蔓の刺繍や文化の日

室咲や考えるとき書きことば

鉛筆のように恋せよ朴落葉


〈チャペルの鐘〉西村葉月/仙台白百合学園3年

十六夜やギターの弦を張り替える

せきれいや東京駅の輝けり

物語ひもとくやうに蜜柑剥く

一すじの静脈乳房に走り冬

冬霞チャペルの鐘の響きたり


〈ハンガー〉渡部/旭川東1年

星月夜本の形の小物入れ

五線譜に童話を描く冬はじめ

アライグマ奪取作戦冬いちご

ハンガーのよくないかたちポインセチア

冬うらら赤信号は渡るもの



画像 画像 画像

青本シスターズに続く他校ゲスト第2弾。ベリーキュートな南国の女子高生俳人といえば、そう、あの人です。お相手は堀下(下の名前はカケルです)。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

堀「こんばんはー。俳句甲子園の句を読み合う対談シリーズ第5回。沖縄県首里高3年、涼さんに来ていただきました! 涼さん、よろしくー」

涼「こんばんはー! よろしくお願いします!!! 気合たっぷり!!!」

堀「盛り上がりましょー。今回の対談では『今年はこの句にしびれた!』というのをテーマに話して行きたいです。涼さんは今年の俳句甲子園、どの句にしびれた?」

涼「私は、京都府洛南高校Aチームの辻本敬之さんの『指そへて風鈴鳴らぬやうに吊る』。一瞬で景が浮かんできて、その素敵さにしびれちゃったな~!」

堀「おれも気になってた! いいところを切りとったもんだなぁって」

涼「そうそう、この着眼が素敵だなぁと^ ^ なんだかドラマや映画のちょっとしたワンシーンのようで、風鈴を吊る瞬間の横顔がきっと真剣なんだろうなって微笑ましくなった!」

堀「真剣な顔が風鈴を釣り終えたときの涼しさ。よし、って」

涼「風に吹かれてはじめて鳴り出す風鈴の音に目を細める……。17音に切り取った瞬間だけじゃなくて、その後のことまで想像させるなんて、やっぱりしびれちゃうなぁ。その後の景に、風鈴の涼しさが効いてるのも素敵」

堀「あ、その後にはじめて鳴るからイイのか。釣っている最中の、呼吸の張りつめ、だけじゃないんだね」

涼「そうだね、吊ってる最中の無音にも近い張りつめから、風鈴が鳴った時の涼しさや安堵感へ。この感覚の移り変わりに、風鈴という季語がいきてるんじゃないかな」

堀「風鈴は感覚がふっと切り替わるスイッチだね」

涼「『指そへて』という措辞にも優しさがあって、神経質なだけじゃない詠者の心が伝わるよね」

堀「そうそう、やさしさ。生真面目な詠者は、もう一面ではやさしい」

涼「この優しさは、表記にも表れてると思うよ! 旧仮名遣いのやわらかさが、詠者の心だけでなく風のやわらかさも風鈴の音の軽やかさもうまくまとめていて、目でも感じられる涼しさがあるのがいい。それでも切り取った瞬間が、風鈴が鳴る直前の張り詰めた瞬間だからこそ、やわらかさという雰囲気だけに流されないしっかりした句になるんじゃないかな。私もこういう俳句が詠めるようになりたいなー!」

堀「あ、旧仮名のことはおれが言おうと思ってたのに!(笑) おれは旧仮名の空気感自体にちょっと息の詰まった感じが出てるなと読んだ。ゆっくりゆっくり……の呼吸はやわらかさでもあるけど、緊張感も孕んでいる」

涼「お、偶然!(笑)でも、そっか、旧仮名のゆっくりとした感じが緊張感なんだね。言われてみれば。でもビシッと硬い緊張感じゃなくて、そろりそろりとした緊張感だね。きっと吊っているその間も優しく風は吹いていて。そういう意味では旧仮名遣いはやわらかさと緊張感、どっちも含んでるんだ。でも、さっきも言ったけど、風鈴という季語の涼しさや軽やかさをそのまま詠むのではなく、少しの無音と緊張感を詠むことで、季語の雰囲気だけに流されないこの句の世界がうまく出来上がっているよね」

堀「そーだね。『季語の雰囲気に流されない』これが核心(^o^) 辻本さんの句では去年の俳句甲子園に出ていた『日直の一人はまじめ水中花』も好き。これもまた、水中花の冷たい感じ、屈折した感じに流されない句」

涼「これもまた素敵な俳句! 雰囲気に流されずに、けれどその季語の雰囲気をうまく一句の世界に取り込んでいるのが、辻本さんの俳句の良さなのかもね。いやぁ、見習わなきゃ!」

堀「だね(^o^) 他に『これは!』という句はあるー?」

涼「神奈川県立厚木東高校の伊村史帆さんの『手を繋いだっていいくらい夕焼けだ』。これにもしびれた! 『素直で共感しやすい! なんだかかわいい!』と単純に思うけど、鑑賞すればするほど、なるほどと思う。口語が素敵な一句」

堀「きゅんきゅん。これはもうリア充なのかな。それとも、リア充になりたいかも、ってふと思ったのかな」

涼「 ねー(笑) 私はリア充なんだと思うけども^ ^ でもこの句、夕焼けがほんとに素敵だと思う。単純に、綺麗な夕焼けがこんなにロマンチックで一日が終わりに近づいてる瞬間だから、手を繋いだっていいじゃないかと思うのかもしれないけど、この言葉の裏では夕焼けのもつ少しの愁いや儚さも感じていて、今こそ手を繋がなきゃって思ってるんじゃないかな。『青春詠だ』と、一言では片付けたくないけど、これはしっかり『今』を詠んだ句だと思いました」

堀「なるほど。今手を繋ぐんだ! 今が青春だ! っていう確信だ。夕焼けの中でしか感じられない『今』。となると儚さだけじゃなく、夕焼けには手ごたえもあると思う。儚さっていうのは、もっと噛み砕いて言うとどういうこと?」

涼「確かに手ごたえもあるね。夕焼けを迎えるとき、一日が終わる中に安堵感と儚さの両方を感じるんじゃないかと思うよ。『今』は確かにここにあるはずだけど、それがこの先どうなるかわからないし、また同じ夕焼けは見れないだろうって。身近でいうと私たちは高校三年生になって、3月には卒業する。この生活がもう長くはないことは確かだし、「君」と見れる夕焼けはあと何回だって考えたら、「青春って、夕焼けって、儚いな」と思うんだ。だからこそ今ここで、手を繋がなきゃ。その思いは十分夕焼けという季語に託して、あとはこの句が口語であることに実感が詰まってるんじゃないかな。もしかしたら、「君」にはちょっと可愛らしく映るのかもね^ ^ ギュッて握ってあげよう、って思うかも。そこに確かな『今』がある」

堀「もうページ提供するから涼さん単独で鑑賞文を書いてもらったほうがいいかもしれない(笑) そうか、その儚さか。高校生活ももうタイムアップ目前。まして夕焼けどころか、雪の季節(あ、そっちには降らないか)を迎えた今これを読む。切実さがあるね。高校一年生の恋愛ではこうはいかない。うん、手を繋ぎたくなった。この実感は口語でなくちゃいけない。さっきの句では旧仮名だからこその実感があったけれど、口語からしか生まれない実感もある。今、というか青春を詠むときに口語が効果をもたらすのはたしか、かな。涼さん自身はどうですか、今を詠みたいと思ったら」

涼「あら、嬉しいお言葉を!(笑) でも、翔くんと話しながら、どんどん深くなっていくのが自分でも面白いよ!^ ^ そうだなぁ、口語の魅力はやっぱり実感が詰まるところじゃないかと思う。私も「今」を詠むならば口語を! という意識は持つようにしているよ^ ^ 高校生の私たちだからこそ特に、口語俳句は等身大ってイメージが強いんだろうけど、でも、それはまた韻文としての俳句の定型やリズムへの挑戦だと思ってるから、そこをよく気を付けて詠まなきゃいけない気もする」

堀「口語に実感がこもるなぁと思わされるのは、たとえば福田若之さんの「未完なんだ詩を夏痩の手が隠す」(週刊俳句2010落選展『青い月面』所収)。これは「未完なり」じゃ響かない。「未完なんだ」で、破調なのも効果的。涼さんの言う「韻文としての俳句の定型やリズムへの挑戦」はこういうことだよね。となると、ただ等身大だから、って口語で詠むわけにはいかない」

涼「そうだね、破調ならば、破調にしたことで表れる効果が句の中でどう活きているのかとか、口語にしたことで散文的になってはいないかということも注意すべきポイントじゃないかな。口語俳句と文語俳句、それぞれの良さをその時々で使い分けるのが、難しいかもしれないけどすごく大事なんだと思うなぁ」

堀「うんうん」

涼「俳句という文学がこれから先も長生きするように、どんどん挑戦して発展させつつ、本来の良さも守らなきゃね^ ^今の口語が「文語」と言われる時代が来たときにも、今の口語俳句がちゃんと残っているように、私たちも頑張らなくちゃ!」

堀「だね! では、口語俳句への認識がひとまとまりしたところで、堀下のしびれた句の話に移って良いでしょーか」

涼「お、待ってました!お聞かせくださいな^ ^」

堀「おれがしびれたのは開成高校Aチームの網倉朔太郎さんの『画用紙に地平を与へ草田男忌』。松山のステージで出た句です。個人的に草田男が大好きで(笑) やられました。観客席の印象としては、高校生が忌日俳句を詠むことの珍しさ、というのがあったと思うんだけど、どうだろう」

涼「この句、ステージで読まれた瞬間思わず溜め息ついちゃった!(笑)私も好きな一句。たしかに高校生がこういう大会に忌日俳句を詠むというのは珍しいのかもしれないね。挑戦するのになかなか勇気がいるのかも」

堀「結果としてもこの句は負けた。たしか田中亜美先生が、もう少し対象への認識の掘り下げが欲しかったというようなことを言っていたよね。そういう意味で、俳句甲子園に忌日俳句を出すのは、自分の俳句的な実力を考えてしまったときには、ためらわれる。けど、さ、おれ忌日俳句大好きなんだ。所属の『里』誌にもよくよく投句する。忌日俳句は好きな人のことを存分に思える。恋の句みたいなもんだと思う。だからもっと、高校生俳人が忌日俳句に取り組まないかなーって思ってるの」

涼「ん~そうだね、私はあんまり忌日俳句を詠んだことがないけど、こういう挑戦は高校生でもどんどんしていくべきだと思う。忌日俳句は、誕生日とはまた違った「忌日」を特別に思う、俳句という日本でできた文学だからこその特徴だと私は思うんだよね。そういう点でも、きっと難しい分野なんだろうけど、寧ろ私たち高校生から忌日俳句に取り組む姿勢を持たなければいけないのかもしれないね。私も翔くん見習わなきゃー!」

堀「挑戦っていうより、もっと自然体で、好きな人のことを表現できたらいいな、と思うんだ。忌日俳句はそもそもは、その人を知っている関係者が詠んだものだろうけど(草田男に直接教わった鍵和田秞子さんの『炎天こそすなはち永遠の草田男忌』など)、今の俳句の世界では、その人を尊敬している、ある種のファンであっても、詠むことは可能になってるから(網倉さんの句など)。今年の甲子園で言えば水沢の佐藤和香さんも忌日で出していたね。『指銃を手に隠したる多喜二の忌』。おれたちくらいの年齢なら、もう好きで好きでたまらない作家とかがひとりくらいいると思う。その人への思いを表現することも、『高校生らしさ』かな、って」

涼「なるほど。それじゃあさっき翔くんの言った『忌日俳句は恋の句みたいなもの』というのは、好きな作家や俳人への思いを俳句に表現するということなのかな。そう考えると、私たち高校生でも忌日俳句がもっと身近で実感のこもったものになるのかもね。忌日俳句と聞くと、小難しくてちょっと身構える意識になってしまうのが多くの高校生の持つ印象かもしれないけど、自分の好きな人への思いだと考えてみたら、詠みたい!って思うなぁ~。実際、恋の句は高校生も詠んでいるし、『青春詠』だけが『高校生らしさ』じゃないよね。忌日で表現できる『今の自分』があるのかもしれない。句に込める思いは、今だからこそ詠めるものだからね」

堀「今だから詠めるものを、ということをさっきの句で話したところなので、余計にそう思う(^o^) たとえば、太宰が好きで仕方ない高校生がいるとする。いつか大人になったらその人は読書から離れるかもしれない。太宰への愛も薄れる。あるいは、不安定な高校生の時期だからこそ太宰が好きだったのかも。となると、その思いを桜桃忌に託して詠むのは高校生らしさだ。だから忌日は決して、高校生には難しいものではないはず。網倉さんや和香さんの句のように、その句の世界の中にその人がいそうな気がする、ってのがイイなと思う^_^」

涼「句の世界の中にその人がいそうな気がする、って素敵^ ^ これが忌日俳句の良さだね。季節感だけじゃなく、その句の世界にしっかり軸を据えてくれる。『今だからこそ詠めるものを』は私たち高校生にとっては特に大きなテーマなのかもね」

堀「それはよく思う。何のために俳句を詠むのか。もちろん、俳句が好きだから、なんだけど、その上に乗っかってるものは、『今このときの、たまらなくいい気分』を残せることの素敵さじゃないかな(^o^) おっと、網倉さんの句のことをあんまりしゃべってない(笑) これさ、きもちいいよね。画用紙に地平を『与える』って。大きな気分になる」

涼「私も、この句では『与へ』がとても効いてると思う!画用紙という平面なものが、あたかも立体になったかのような広がりが素敵だよね」

堀「神野紗希さんは『平面に立体を描く寒さかな』(筑紫磐井・対馬康子・高山れおな編『新撰21』所収)なんて言ったけど、いや、寒くなんかない(^O^)」

涼「紗希さんの句は『立体』を描くということに寒さを感じる。この世界で描かれた「立体」は、実際には平面なまま。網倉くんの句だと「立体」を描いた訳ではなく、おそらく線なんだよね。故意に立体を描くのか、線を地平と見立てて立体を生み出したのか、その違いなんじゃないかな。それに、網倉くんの句はやっぱり『与へ』とすることで、自然に広がり出す立体感をうまく伝えている」

堀「わっ、言葉尻だけ捉えた発言だった。ごめんなさい! 『与へ』は、世界創生だよね。まず一本の線を描くことによって、地平が生まれる。一本の線があるだけで、画用紙の中に世界が湧き出る。二本、三本と足していきたい衝動も感じるんだ」

涼「そう、世界創生。衝動もあるのかもね。どんどん世界が広がっていく。色もだんだん出てくるんじゃない? 『与へ』ることで、力強さも感じる」

堀「あ、たしかに。色も出てくるわ。そのうちに絵が動きだしそう。この躍動・強さが、草田男なんだろーね(⌒▽⌒)」

涼「激しくはないけど、世界が生まれ出てくる力強さを感じる句。草田男に、『萬緑の中や吾子の歯生え初むる』(『火の鳥』所収)があるように、網倉くんの句では、『生まれる力強さ』が草田男によく響いているよね」

堀「うん! あと、戦後に発表された『空は太初の青さ妻より林檎うく』(『来し方行方』所収)を見ると、草田男は、この世界に生きてるのが嬉しくて仕方ないんだなって思う(^ ^) だから画用紙に生まれる世界への期待も感じた! ……では、最後の句にいきましょう。
松山東高校Aチームの森優希乃さんの『背に水を撒けり大夕焼の象』」

涼「これはまた、思わずシャッターを切りたくなるようなワンシーン!」

堀「綺麗よね。そしてもうひとつ、これさ、暑いよね。象も自分も。松山でたくさん夕焼の句を見たけど、どれも視覚的な美しさが主だった印象がある。けどこれは、夕焼に温度がある。夕焼の本意に暑さがあったか分からないけど、夏だからさ、たしかに暑いんだ。他の人の句にも深く入っていったらば暑さがあるかもしれないけど、この句は、明らかに暑い。なんか新鮮だった」

涼「あぁ、なるほど。この句には温度があるんだね。たしかに鑑賞してみても、句の世界を見せられているんじゃなくて、句の世界に自分がいるような気がする。私には、暑さというよりもあたたかさに近いのかなと感じられたな。自然の持つ母なる力のような、あたたかさ」

堀「そのあたたかさは、象から来ている気がする。象と触れ合うことによる、主観的なあたたかさ。こころがあったかい。象じゃないと生まれないんじゃないかな。この景に出てくるのがキリンやクマだったら、空気が違ってくる筈。象のイメージ喚起力はすごい」

涼「そうだね、ここは象だからこそのあたたかさがある。この象の持つあたたかさが大夕焼の色や温度と響き合っている句だよね」

堀「もうひとつイイなぁと思うのが、切れ。『背に水を撒けり』。ぐわっと……大胆な切れだよね」

涼「うん、この切れはすごい!下五の最後に体言止めをしたところで、この切れの安定感がより出ているし、単純に『象の背に水を撒けり』という語順にはせずにここで切れを持ってきたのも、この句の特徴だね」

堀「答え合わせ、みたいなものだと思うんだ。歌舞伎の大見得ばりに『背に水を撒けりぃぃ』と言って、視線を集める。で、『大夕焼の象』って、答えを見せる。この答えがまた綺麗なこと綺麗なこと。すべてが効果的になる構造をしてる」

涼「歌舞伎! 面白い^ ^たしかに答え合わせだね。この後からくるフレーズの美しさが、余韻として残るのがまた素敵。たった17音にこういう効果をつけられるとは」

堀「惚れ惚れする。これは、驚かせたい、効果的にしたい、って意識して作り込むんだろうか。それともはじめからこの形で生まれたんだろうか」

涼「そうだねぇ。私はあまり、この句から作為的な印象は受けなかったかな。考えてみれば語順に工夫があるのは確かだけど、いやらしさがないというか、これが作り込まれた句だとしても、いい意味ですんなり読める。それがこの句の良さじゃないかな」

堀「野暮なことを聞きました(^o^) おれが作り込むタイプなので」

涼「私は逆に、順当すぎてもう少し考えなさいと怒られます(笑)」

堀「涼さんは多作多捨タイプ?」

涼「それがそうしたいんですけど、なかなかそうもいきませんで…(´・_・`)(笑)一句を生み出すのにうーん…って悩んでしまう。句作ペースはゆっくりです。翔くんはどう?」

堀「もともと旭東自体が、一句じっくりひねり出すタイプだったのだけど、他校の圧倒的な多作多捨を目にして、がんばんなきゃな、と(笑)大学合格後は時間ができたので、後輩に毎日三つ季語をもらい、それで作るのを日課にした。一日で十五句くらい。それをあとでじっくり作り直したり」

涼「なるほど、それはいい心意気で!^ ^ 私は受験勉強のために俳句甲子園後はあまり句をつくっていなかったんだけども、今回の対談で俳句熱がよみがえってきそう!大学に行く前に沖縄で詠める句を、今だからこそ詠める句を、大事に詠んでいこうと思う^ ^」

堀「そうか、今しか詠めない句は、場所的なものもあるんだね(^^) いい決意が聞けたところで、そろそろ対談もおしまいにしたいと思います。ありがとうございました(^○^)」

涼「はーい、とてもわくわくする対談でした!どうもありがとうございました^ ^」

2013年11月25日~27日 対談はメール上で行われた。編集:堀下

……この企画を始めてはや数日。豪華ゲストや充実企画を掲載するごとに、信じられない勢いで上昇するアクセス数カウンター、返ってくるツイッター上での上々な反応。それを見るたびに思う。「あ、求められてるのは、これ(本稿)じゃねえな」。本稿、対談第4弾、『ギャ句゛』(ぎゃぐ)。面白い句特集(という名の当部員のボケ披露コーナー)。作ってしまったものは仕方がないので掲載します。ごめんなさい。けど真面目に鑑賞したつもりなんです。ほんとです。登場は1年生渡部と3年生堀下。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


堀「では、対談第4回、『ギャ句゛』。ちょっと笑っちゃう句を楽しんでいこーという回です」

渡「Yeahhh!
    ∧ ∧
    (´・∀・ ∩
    o.   ,ノ.
    O_ .ノ
     (ノ
     i||
     ━━    」

堀「と、いうわけで、当部のギャグマシーン、渡部さんです」

渡「ギャグマシーン。それはちがいます」

堀「そうでしたか、失礼しました、わたべさん」

渡「 ∧__∧
   ( ・ω・)
   (っ▄︻▇〓▄︻┻┳═一
   /  )ババババ
   ( / ̄∪       」
※渡部はわたべではなくてわたなべである。

堀「う、うわー。……では本題に入ろー。で、テーマは『ギャ句゛』というわけだけど、なぜこのテーマを選んだのー?」

渡「一番やりやすいからかな」

堀「元も子もないね」

渡「むしろ真面目にできない」

堀「まーそれは照れ隠しで、本当の理由としては、一見俳句甲子園には、全国の高校生俳人が本気で作った堅い句ばかりのようだけど、よくよく作品集を見てみると、ふふっと笑える、ユーモラスな句がたくさんあったので、そんな句を、俳句甲子園のディベートから離れて、わはははっと鑑賞できたらいいな、というところ……だよね!」

渡「そんな感じだと思う」

堀「じゃーさっそくどうぞ(⌒▽⌒)」

渡「『夏の海俺は信じる地動説』(弘前学院聖愛・古川淳平さん)。これ引っ捕らえられちゃうじゃん。それなのに信じちゃってるあたりこの句すがすがしい」

堀「現代は地動説信者でも逮捕されないよ」

渡「でもこの句では今は当然のことなのにわざわざ地動説を信じるっていってるし、引っ捕らえられちゃう時代っぽいなーと」

堀「そうか……たしかに現代だとしたらわざわざ宣言する理由がないか……^_^」

渡「引っ捕らえられちゃう時代だとしたらすごいこと言ってる。でも堂々としてる。このノリを例えるならば、どこかの塾の『俺は……勉強が嫌いだぁぁぁぁぁあ でも……絶対……合格してやる ぞぉぉぉぉぉっ』みたいな」

堀「その例えは要りません。塾で何かあったんですか」

渡「Z会のCMですね」

堀「そんなCMがあるんだ。勉強に忙しいおれは知らなかった☆〜(ゝ。∂)」

渡「次。『四年二組ゼリー争奪戦始まる』(神奈川県立厚木東・釜田祐哉さん)。いつもはただの賑やかな給食。しかし一人の生徒の欠席により、そこは戦場と化した――。これは名作映画になりそうですね」

堀「その映画のキャッチコピーだね、この句は」

渡「これはワクワクする。学級委員長とガキ大将の対立。学級書記の裏切り。戦いのなかで生まれる友情。黒幕は先生(独身)。……なんてことが想像できる」

堀「期待を煽るコピー。俳句の新しい可能性」

渡「じゃあ次。『パセリ刻むテンション上がるベーシスト』(岩手県立黒沢尻北A ・古川拓也さん)。パセリがなんかロックな感じだったんだよきっと。だからはしゃいではしゃいでウェーイwwwwってなってる。でもこれ家で一人でやってるとしたら奇行。ただの奇行。周辺住民の目が冷たくなる。怖いおじさんに目つけられる。親に心配される。孤立していくベーシスト。その後彼はこう言った。『みんなパセリのせいだ』と。ドキュメンタリー」

堀「勝手なストーリーをドキュメンタリーなんて呼ばないの!!」

渡「ごめんなさい(´・ω・`)」

堀「このベーシスト、パセリを刻むことにさえロックを感じるなんて、音楽人の鑑だね」

渡「この人は伝説になる。次。『網戸からアンパンマンがやってきた』(茨城県立結城第二・法師人佑太さん)。
網戸の目の大きさはかなり小さい。一体どうやってアンパンマンは入ってきたんだ。
仮説①アンパンマンのサイズは網戸を楽々通り抜けられるほど小さい。そもそもアンパンマンのサイズ一体どれくらいか、気になってさっきググってみたところ、アンパンマン達のすむ世界アンパンマンワールドの大きさの単位は、人間の住む世界と違うらしく実際の大きさはまったく想像もつかないとのことだ。ということはアンパンマンは網戸をすり抜けられるほどの大きさの可能性もある」

堀「網戸を開けてって意味じゃないんですかね……」

渡「あ、確かに」

堀「本気で網戸の目だと思ってた……?」

渡「そう思ってました。仮説②アンパンマンは変形するタイプのパン。
アンパンマンはパンであるはずだ。しかしアンパンマンの世界は人間の住む世界とは全く違う世界だ。だからアンパンマンワールドのパンは自由に変形するかもしれない。バラバラになってすり抜けられるかもしれない。どろどろに溶けて通り抜けるかもしれない。
仮説③力ずくで網戸破ってきた。だってバイキンマンをふっとばしてるし」

堀「そして網戸の目前提で話を進めるしwwwww」

渡「すみません。『おいパセリ呼ばれて怒髪爆ぜ返り』(名古屋A・長谷川凜太郎さん)。これはもうお怒り。ぷんぷん丸どころじゃあない。スーパーサイヤ人になっちゃう。戦闘力跳ねあがっちゃう。スカウター壊れちゃう。やだもう、こわーい」

堀「この対談におけるおれの必要性が感じられなくなってきた」

渡「これ一人でやってたら悲しくないですか?」

堀「試しにやってみる?」

渡「(ヾノ・ω・`)ムリムリ あとで何でこんなこと一人でやってるんだろうって寂しくなっちゃうもん。はい次行こう。『パセリ食ふ別に怒つたわけぢやない』(開成B・山本卓登さん)。怒ってる。これ絶対怒ってる。怒ってないって言う人は絶対怒ってる。怒ってないって言いながら怒る。『怒ってる?』って何度も聞いたら『怒ってないって言ってんだろうが!』って言って怒る」

堀「おれはそんな人間臭さが好き」

渡「人間関係があるからこそできる句」

堀「こういう気まずさも、人間生活のスパイスよ。はい次―。『団栗や顔文字と現実の顔』(八重山商工・下地壮さん)」

渡「顔文字と現実の顔ってだいぶ違う。例えば雑誌の女性モデルのアヒル口は顔文字で表せるかって言ったら無理。あと(*´∀`)とか(# ̄З ̄)とかも現実の顔では表せないと思う。つか表してほしくない。顔文字は顔文字でいてほしい。無理に次元変えないでほしい。だから顔文字と現実の顔はだいぶ違う。まあ、メールとかで来る『怒ってないよ(^^)』と現実で言われる『怒ってないよ(ニッコリした顔で)』はどっちも怖いけどさ」

堀「あなた誰かに怒られたトラウマでもあるんですか(笑) えーとじゃあ次はこれ。『初夏にメープルシロップ掛けている』(札幌琴似工業・新川託未さん)。今年の句で最大の謎。どういうことなの」

渡「メープルシロップってカナダの名物。カナダ人がお別れの時渡してたから多分そうだ。で、初夏は夏の始まりで、ヒトに過去の夏を思い出させそう。きっと作者は昔カナダ人(女性)と過ごした夏の思い出にひたろうとしているんだよ。掛けているメープルシロップはその人とお別れのときにもらったものなんだよ」

堀「ずいぶん女々しいね。もっと爽やかな気がしたんだけど」

渡「爽やかではある」

堀「女が忘れられないのは爽やかじゃないんじゃないかな……!」

渡「あーメープルシロップだからちょっとねちゃっとしてるのかも。……そもそもメープルシロップの味がわかんない」

堀「メープルシロップは蜂蜜よりもサラサラしています」

渡「サラサラしているならだいぶ爽やかか。もう訳がわからなくなってきた。作者に聞きたい。そしてホットケーキ食べたい」

堀「たしかあなた、こないだホットケーキ作ろうとして大惨事になった人じゃないの」※最近の彼女の一大事件として有名。

渡「ところがどっこいフライパンを手に入れたんですよ」※編集しながら気づいたが、前回の彼女はフライパンなしでどうやってホットケーキを作ろうとしていたんだ?

堀「まじで!? じゃあ再チャレンジ!?」

渡「いつかするんじゃないかな。(強火とか弱火とかわかんないけど)」

堀「嫌な予感しかしない……。はい次。『夕焼坂幼なじみはをとこ連れ』(開成A・大塚雅也さん)」

渡「あっ……」

堀「(言葉にできない)」

渡「男子校の開成だからこそ悲しい。これが仮に女子だとしたら意外とすぐ吹っ切れるけど、男子だったら一人で泣く。たぶん。きっと幼なじみのなかでは彼は『そう言えばいた』レベルの存在なんだろうけど、彼のなかではかけがえがなかったんだろうな。こういう経験ある?」

堀「中学のころ憧れてた先輩をFacebookで見つけたけど、プロフィール写真が彼氏とのプリだったうえにギャルになってた。先輩……。このかなしみは女子にはわからないです」

渡「あ……かなしい……。私も好きな子に恋人ができていたときはちょっとへこんだけど。彼氏有り&ギャル化よりはまだ大丈夫だった」

堀「なんだってーー好きな子だとぉ!」

渡「小学生のときな」

堀「安堵」

渡「あれはびっくりした」

堀「小学生で恋人は早くないですか」

渡「6年生だったしギリギリセーフ?」

堀「おれ小6なんてキテレツ大百科の発明品を暗記するだけで終わったよ」

渡「意外ではないけれどwwww」

堀「じゃあ次―。『カップルの間を泳ぐ夏の海』(松本第一・市川哲さん)」

渡「これは嫌がらせ。いちゃつきやがって! という感情がひしひし伝わってくる。なんか『聖☆おにいさん』にあったスケートの話で、イエスがカップルの間くぐって1UPしようとしてたの思い出した」

堀「全然伝わらない喩え……。『聖☆おにいさん』たしか三巻くらいまでしか読んでないわ。持ってる?」

渡「(父上が)」

堀「よし、自分で買おう。しかしまぁ非リア俳句を並べたけど、悲しみが勝ってしまいましたね」

渡「つらいことを笑い飛ばせるようになるのは難しいよ」

堀「いま例の先輩のFacebookひらいたらやっぱりギャルに変わりなくて落ち込んだ。うー。じゃあ最後にテーマも無視して可愛い句をキャーキャー言っておしまいにしましょう」

渡「イヤッッホォォォオオォオウ!
*   +   巛\
        〒| +
   +  。 / /
 *   +   / /
    ∧_∧ / /
   (´∀`/ / +
   /~   |
   /ュヘ   |*
 + (_〕)  | 」

堀「『好きになる魔法をかける夏の海』(熊本信愛女学院 ・山本朋佳さん)」

渡「ヾ( 〃∇〃)ツ キャーーーッ♪」

堀「キャー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆」

渡「自分みたいな心の汚い人間には詠めない」

堀「いや渡部さんも中身はこんな人だよ」

渡「それはない」

堀「いや、おれは知っているよ」

渡「わたしの本性は初対面の女性をタイプかタイプ出ないかで分けちゃうようなヤツだ」

堀「なるほど。……この句は本大会いちばん可愛い句に間違いないよね」

渡「好きになる魔法をかけるっていうのがすばらしい」

堀「これから好きになるんですか。どういう心なのかよく考えたらわからない気もする」

渡「これって『(あなたが私を)好きになる魔法』とかじゃないですか?」

堀「そっちか! 私のこと見て!好きになって!なんだ^_^ 最初これね、恋心にはじめて気づいたときなのかと思ったの。海で男の子と遊んで、あ、もしかしたらこの人が好きかもしれない。よくわからない。けど、どうせなら好きになった方が、楽しいじゃん。えい、わたし、この人を好きになれ! って」

渡「なるほど、それもいい。または、夏の海が、自分に人を好きになる魔法をかけるというのもありそう」

堀「夏の海のパワーだ!」

渡「すごいキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー」

堀「キャー ヾ(≧∇≦*)〃ヾ(*≧∇≦)〃 キャー ……と、いうわけで、以上、甲子園の句をワイワイ見ていく回でしたー。ありがとうございましたー」

2013.11.27~12.2 対談はLINE上で行われた。 編集:堀下

今年の俳句甲子園、旭川東は2チーム出場していた。Bチームは残念ながら地方大会で敗退した。そのBチームのメンバーであった1年生荒井(愛称:まな)の話を、池原が聞いた。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

池「それじゃあ、対談を始めます。テーマは『未踏松山』ということで、俳句甲子園全国大会に出場しなかった荒井さんが、作品集で見た俳句や他の出場メンバーの話に触れて、俳句甲子園について思ったことを聞いていこうと思います!」

荒「忙しくてまだあんまりじっくり読めてないんですけど、これさえあれば一日暇しないですね! わくわくします!」

池「なんか一目見て『おお!』ってなった俳句とかある?」

荒「渋川女子の林楓さんの夕焼けの句、『夕焼けは静脈血まみれの空』です。見た時ぞっとしました。池原先輩っぽいなと……」※池原は人体の俳句が好きである。

池「これはね、わたしもびっくりした(笑) 静脈ってことは……本人は静脈血色のつもりなのかな? 鈍い赤色。動脈血の方が夕焼っぽいかな、とも……どう、まなちゃん?」

荒「血まみれって血があふれだしてるってことなのかなと。だとしたら静脈から血が流れっぱなしって大変なことになってるよなあ……と思ったのだけど、その血の広がり方と、夕焼けが空を染めていく様子が合ってると思いました」

池「それは大変∑(°□°;) 他には何かあった?」

荒「土佐の宮崎玲奈さんの紙の句『追試験紙片の蝶の舞い込みぬ』。やっぱり高校生なら、追試は全国共通の悩みなんだなあと思って少し笑いそうになりました(*^^*)」

池「追試験の句をここまで美しい景に作り上げるってすごいよねー! 紙片の蝶って答案用紙の比喩なのかな……?」

荒「景が美しいです。紙飛行機とかじゃなく蝶というところがすごいです! 誰かが作って飛ばしたんでしょうかね? ちょうど俳句甲子園全国大会に先輩方が行った日に夏休み明けテストの数学の追試があったのを思い出しました。暑くて死にそうでした……でも松山は北海道と比べ物にならないあつさなんでしょうね、色んな意味で」※編集者註:暑さと高校生のアツさをかけている。

池「あっ! 問題用紙を終わった後に折り紙にして蝶を作ったのかも! これは高校生にしか作れないよねー。俳句甲子園ならでは。そうそう、松山は気温も暑い、プラス、高校生たちの熱気がものすごい。去年の話だけどウェルカムパーティーで松山東の誰かが、『この日のためにケータイをスクールカラーである緑に機種変しました』って人がいてカルチャーショックを受けた」

荒「それはカルチャーショックですね。部活のために……。部活に青春を捧げていますね」

池「強豪、松山東だから……まあわたしたちはそこまでしなくてもいいからでも気力はそれぐらいで来年松山に行きたいよね! 俳句甲子園に行ったら何したい?」※編集者註:どうせならそこまでしてほしい。

荒「なんだかありきたりなんですけど、同年代の俳人と話す機会って、俳句甲子園以外では高文連くらいしかないので、俳句について語り合ってみたいですね! あとホテルで句会をした、とか、全国メンバーが楽しそうに話してたので、やってみたいです(*^^*)」

池「全国の仲間といっぱい話ができるの楽しいよー。松山観光もできるし^^ 来年も勝ち進んで旭川東12年連続出場決めたい! そして大舞台(※準決勝以降はステージで行われる)でディベートしたい! 今年みたいに予選リーグ敗退はしたくない。そのためには、わたしたちに何が足りないと思う?」

荒「難しいですよね……たくさん句を作るのはもちろんのことですが、知識がないと相手の句をよく鑑賞することができないですしね。わたしは文法が好きなので、もし来年出られるのならその方面でチームの力になりたいな、と。お互いのことをしっかり分かって助け合いながら、それぞれの持ち味が生かせるチームだったらいいなと思います」

池「文法の知識がある人が一人いるとかなり心強いわー。もしわたしも来年出られるなら、しっかり言葉の勉強をして臨みたい。あとはディベート練習をもっと強化させることなのかな。話し方や質問の投げかけ方を研究したり」

荒「質問の仕方ひとつで印象って大きく変わりますよね。それによって相手の対応も違ってきますしね。木村さんが、松山から帰ってきてからすぐ言ってました。『清く正しいディベートがしたい』って。それによって勝てるかどうかはわからないけれど、何か目指すものがあるディベートって強そうですよね!」

池「そうそう、清く正しく勝つ、が理想だねって話し合ってきました。だから秋からのうちの部には、季語研究会や鑑賞会が新たな活動に加わった。なんかパワーアップしてるよ旭東文芸部! 最後に、まなちゃん、来年の甲子園に向けて一言!」

荒「初めて自分がやりたいって思った部活に入って、やっと勉強以外に勝ちたい!と思えることができました。だから、今年は負けてしまったけれど来年こそ絶対に負けたくない。まずは、今年の全国メンバーから色んなことを吸収して、追いつきたいです。来年もしメンバーに入れたら足を引っ張る人だけにはなりたくないので。来年の地方大会にしっかり向けて準備していきたいです。」

池「ありがとう! 一緒にがんばろうねo(^-^)o」

対談はメールで行われた。 編集:荒井・堀下

第16回俳句甲子園に出た高校生の、最近の作品を見たい! そんな思いから生まれた本企画。第1回は渋川女子高の楓さん、当部の池原、八重山商工高の壮さんの3人です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈人形師〉林楓/渋川女子3年

鶏に与へらるべく水澄めり

はじかれて銀河にひとり団体戦

玄関にまた増えてゐる雪だるま

冬の夜の死を具象化する人形師

年の暮郵便受けをはみ出しぬ


〈プレートテクトニクス〉池原早衣子/旭川東2年

標本の棚の掃除や冴返る

衛星の名を持つ友とみづまんぢゆう

新涼や世界を白雲母に閉ぢぬ

空高くアノマロカリスに会ふ土曜

クリノメータ針の止まりて細雪


〈十八歳のからだ〉下地壮/八重山商工3年

秋水に触るる彼女の手のやうに

背徳心残る十二月の右手

メールでも電話でも笑む葡萄噛む

零距離の吐息時雨が耳に入る

恋人の十月十日を迎え冬


画像画像画像

対談第2回。あ、3人だから鼎談ですね。なんと広島高校2年生の青本柚紀・瑞季さんに来ていただきました。池原がメールでお相手。青本シスターズは二人で一台の携帯電話を使用していらっしゃるそうで、若干会話がぎこちないのはそのためです。今年の反省から俳句鑑賞まで、盛りだくさんの中身、ご覧ください。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

池原「こんにちは。今日はよろしくお願いします。まずは、今年の俳句甲子園に参加した感想をそれぞれどうだったかをききたいと思います^^」

瑞季&柚紀「よろしくお願いします」

瑞季「今年の俳句甲子園では、ディベート面の弱さを思い知りましたね。自分たちの句の魅力をアピールしきれなかった事が心残りです。試合に関しては後悔の方が多いですけど大会自体はすごく楽しかったです。やっぱりチームで俳句ができるのはいいですね。池原さん、堀下さん、そのほかにも、大会前から交流があった方と会えましたし。好きな俳人の先生にもお会いできて、もう大満足でした(笑)」

柚紀「ディベートの難しさを感じました。句の魅力は言わなくても漂うのが理想だと思うんです。言い過ぎず押し付けがましくならず。そのあたりで迷って言うべきことを言い切れなかったのは残念です。それからお二人をはじめ、去年知り合った人たちと直接合って話せたのが良かったです!他の人とのつながりで審査員の先生ともお話できたことこともあった。複数年出場することの意義や俳縁の大切さを感じました。何より楽しかったですね(笑)」

池原「ありがとうございます。わたしも二人に会って直接お話しできてとても充実した俳句甲子園でした。それでは本題にいきたいと思います!『この句、かっこいい!イケメン俳句!俳句だけで惚れられる!』。今年の俳句甲子園全国大会の作品の中で一番心臓撃ち抜かれたっ!と思ってしまった異性の作品をそれぞれ教えてください」

瑞季「一番を決めるのは難しいですね…<ポケットのどんぐり傷をつけ合へり 河田将英/開成A>ですかねー……」

柚紀「一番は難しい(笑) うーん、悩みますね……。<指そへて風鈴鳴らぬやうに吊る 辻本敬之/洛南A>でしょうか」

池原「瑞季さん、団栗の句の中でも一味違った個性のある句ですよね。具体的にはどういったところに魅力を感じましたか? 柚紀さんは繊細な感じの句を選びましたね。この繊細さに魅力があったのですか?感想を教えてください」

瑞季「団栗を繊細に読み込んだところです。ポケットの団栗を詠んだ句はありそうですが、団栗が傷をつけあう切なさというこの句にしかない持ち味があると思います。一目見て、この団栗の様子が、傷つけ傷つけられながら生きてゆく人間の姿と重なりました。こういったセンチメンタルなところに心臓を射抜かれましたね(笑)」

柚紀「風鈴を吊る時って、少し無理な姿勢になっちゃって、結構大変だと思うんです。繊細さもだけど、まずは風で鳴らせるのがよい。そう考えるというところが魅力的だと思いました」

池原「瑞季さんの選んだ句、確かにこの兼題は可愛らしいイメージが強いためか、どこかほっこりした感じの句が多い中で、このように少し寂しく仕上げた句は他にはなかったかもしれません。他の木の実ではこのセンチメンタルさは出せなかったのでしょうか?どう思いますか? また柚紀さん、風鈴の最初の音は風で鳴らせるために。そのためなのかと納得しました。言われるまでは気づきませんでした(笑)この句の良さを更に理解することができました。さすが柚紀さん!」

瑞季「団栗の形状を考えてみると、とがったところがあってしかもつるっとしているから傷が目立ちやすい。だから『傷をつけあう』という表現を納得させてくれるのは団栗しかないんじゃないでしょうか。そして団栗には純粋なイメージもある。純粋さが切なさをひきたてているところもあると思います」

柚紀「実は瑞季が挙げた河田さんの句と迷ってました。センチメンタルと繊細を天秤にかけていたらいつまで釣り合ってしまって(笑) 考えの素敵さに気づいてこれは素敵! と思ってこちらにしたんです」

池原「なるほど。確かにいい句たくさんあって迷いますよね(汗) 次は『景に惹かれた』句をそれぞれ教えてください」

瑞季「やっぱり迷いますね……<黙礼に風の生まれて蓮の花 丸本勝典/松山中央>でしょうか」

柚紀「これまた難しい(笑)候補がいくつかありますね。共感で選ぶと<地震(なゐ)の春指笛の音を届くまで 下岡和也/松山東A>でしょうか」

池原「瑞季さんの選んだ句、確かになんか荘厳な美を感じさせられます。ですが、蓮と風の取り合わせって非常に多かったように思うのですが、他の句とは違う良さがこの句にあったからなのでしょうか? 柚紀さんの選んだ句、NHKの俳句甲子園の特番で放送されていたように作者自身の思い入れがとても強い句。柚紀さんの心にも届いたんですね。放送されていた句とは微妙に違った(春の地震指笛の音の届くまで)のですが、二句を比較しての感想を教えてください」

瑞季「風は風でも、風の生まれて、と言ったところに惹かれました。蓮の生命力のあらわれのようだし、すがすがしくて。黙礼のおごそかな雰囲気から異質な爽やかな風の誕生につながってゆく雰囲気が好きです」

柚紀「春の地震だと地震そのもので、地震の春だと地震の起きたその春じゃないかと思います。前者だと指す空間・時間がやや狭くなります。事実ではあるのですが季感がどうかという話も出てくるのでは。また、地震の程度をまだ特定しかねます。
後者の場合は空間は現地のみではなく、時間も春全体に広がる。空間の方は作者が直接体験しているわけではない、ということもあるんじゃないかと思います。
被災地以外は春で、生命に満ちあふれつつあるのに、被災地では多くのものが失われたままだという状態が見えて春という季節が真実味を帯びています。
また、春の地震は純粋に言葉だけを取れば単に春にあった地震ということ。ですが、地震の春は地震が起きたそのときだけでなくずっとずっと長い間傷跡が残り続ける。そのことをも暗示している表現だと思うんです。句の主体が地震に取った行動、指笛を吹くことですが、その音が届いたところで何も変わらないかもしれないんです。私たちには現場で直接何かすることはできなかったし。でも、春の地震について何かしたくて、せねばならない気がして、いてもたってもいられない。自分の当時の思いにもそのようなものがあったように思います。
およそ二年半を経て、当事者でなかった当時の私たちの思いが克明に再現された句だという気がしました」

池原「お二人とも、深い鑑賞ありがとうございます。ではもうひとつ『じっくり時間をかけて鑑賞したら良さがわかった句』をそれぞれ一句教えてください」

瑞季「ひとつに絞ると<夏の海おほきな旗の揚がる音 堀下翔/旭川東A>ですね」

柚紀「じっくり時間をかけて、というのとはちょっと違うかもしれませんが、<夏の海椅子が足りないので泳ぐ 山岸純平/灘>は反芻するたびにじわじわ来た句です」

池原「瑞季さんの方のは、あら、まさかのうちの学校の句!わたしたちメンバーもとても気に入っていた句です。個人的にダイナミックで快活な印象があるのですが、瑞季さんはどう思いましたか? 柚紀さんの方も。この句も素敵ですよね。なんか……言葉では表現できないのですが。柚紀さん、説明できますか?」

瑞季「『おほきな旗の揚がる音』とだけさらりと言ってみせるところが憎いですよね(笑)一読して、ダイナミックさ、爽快感に溢れた気持ちのいい句だと思いました。で、何度か読み返して旗を揚げる動作の意味まで考えが及びました。学校でも一日の始めに旗を揚げたりするから、この旗も何かの始まりを告げる旗なんだろうなって。動作の気持ち良さだけでなく、作者がこれから始まるものに対して抱いている高揚感までも詠まれている。それでいて平明。このさりげなく詠んだ感じがすごく好きです」

柚紀「難しいですね(笑)わかりやすい所だと、この句は全く因果のない二つのことを『ので』で繋ぐことで、『泳ぐ』で飛躍するところだと思います。<愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子>も連想で出てきたのですが、そのせいか、季語の力なのか、この人も沖遠く泳ぐつもりかなと思いました。ただ、その句とは違って泳ぎ始めたときはほんの少ししょげた感じや切なさがあって、それが夏の海を泳いでいく間に高揚感に変わって行きそうです。帰ってきたときには多分この人はあたたかく迎えられるんじゃないかな」

池原「瑞季さん、的確な鑑賞ありがとうございます。この句はまさにそういうイメージで作られたんです。それが伝わったのはチームメイトとして本当に嬉しいです。ちなみに、どんな旗が揚がってたらいいな~とかありますか? 柚紀さんの初めに少し寂しい感じがしたというところに同感です。なんかちょっとハブられた感があって。そしてやけになって泳いでるうちに気持ちよくなってしまった。夏の海という季語が存分に生かされていると思いました。あたたかく迎えられるって例えばどんな感じですか?」

瑞季「うーん、どんな旗がいいかといわれると完全に個人の好みになっちゃいますが……日の丸のようないろいろなところで使われている旗より、手作り感あふれるその場所オリジナルの旗がいいと思います。不格好だったとしても、海に来た喜びががより強くなるんじゃないでしょうか」

柚紀「あたたかくというか、労いとともにというか。『泳いで来たん!? お疲れ~』とか『泳いで来んくても椅子半分貸してあげたのに』とかいろいろ声を書けてもらって輪の中に入るんじゃないかと。あ、でも読んでいくうちにこの人は椅子が足りないだけじゃなくて輪の中に何か見たくない物を見て、輪に入らずに避けるために泳いだという読みもあるという気がしてきました。となると、迎えられ方もまた違ったものになるのかもしれません」

池原「お二人ともありがとうございました。対談をしたことでより深い鑑賞をしていろんな句の良さに気づくことができました。これで対談を終わります。これからもお互い俳句頑張りましょう! ありがとうございました」

瑞季&柚紀「こちらこそ! 対談楽しかったです(*´艸`) また機会があったらやらせてください(*´▽`)ノ」

2013.11.26~28 鼎談はメール上で行われた。 編集:池原

全10回を予定する鑑賞対談、満を持しての第1回です。今回登場するのは3年生堀下と2年生池原。お楽しみください。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

堀「それでは対談第1回、最優秀句・青本柚紀『夕焼や千年後には鳥の国』を読む、ということで話していきたいと思います。こんにちはー」

池「こんにちは」

堀「まずなによりびっくりしたのが、二年生に最優秀をとられちゃったこと。三年生の悔しさですね」

池「あ、そうなんですか。私はそういうこと考えてなかったので……」

堀「今年は誰がとるんだろう? 開成の○○君かなぁ、松山東の○○君かなぁ、なんていうふうに考えていたんだけども、柚紀さんだった。閉会式で受賞者が発表されて、バッと柚紀さんが駆けて行って。あぁ、今年は二年生がとったんだ、さすが青本だなぁと思いました」

池「そうですね、彼女がいろんなところで発表している句をよく見ますけど、普段から大人っぽい落ち着いた句を作ってて。この『夕焼』も本人らしい、あ、柚紀ちゃんがつくったんだなあっていう感じの句で、本人としても嬉しかったんじゃないかなぁって思います」

堀「青本シスターズの句は柚紀も瑞季も大人っぽいよね」

池「大人っぽい。私は三歳児みたい……(笑)」

堀「思い出話をすると、今年の俳句甲子園決勝の兼題が『紙』だって発表されたとき、自分なりに「紙」が入る句を思い出してみたら、一番最初に出てきたのが柚紀さんの『冴返る紙に表裏を与ふ文字』だった。これは、『里』誌に『ハイクラブ』っていう佐藤文香さんの選句欄があるんですが、そこに載った句です(2013年6月号)。この句を読んだときにすごく感動して、『紙』と聞いたときにもまっさきにこの句を思い出しました。そして俳句甲子園で最優秀句が柚紀さんになって、あぁ、やっぱりこの人はすごい、と本当に思いました」

池「俳句をやっていない友達にこの句を教えたところ、一番最初に見ただけで、あっ、っていう感動が来たと言っていました。でも一方で、なんだか、『ん……?』って疑問が残ってしまう句だとも。これはどういうことなんだろうな……ということらしいです」

堀「へええ」

池「なんていうか、高校生の作る句じゃないっていう人がわりと多かったんですよね。去年の俳句甲子園最優秀句、開成高校の佐藤雄志君の句『月眩しプールの底に触れてきて』
があるじゃないですか。これを見てある人は、若さに嫉妬しちゃうくらいすっごく瑞々しくて、高校生に戻りたいと大人に思わせる句だ、と言っていました。今年はちょっと落ち着きすぎていて、句の共感がしにくいかなって思います」

堀「それは確かに思ったところ。もちろん毎年最優秀句はめちゃくちゃ完成されているんだけど、今年は特に落ち着き払っていて、もう完全に大人の句だなぁ、と思います。大人すぎることに対して池原は疑問ですか」

池「いえ。本人の趣味や感性が普通の高校生の精神年齢の上を行っているときもあれば、下のときもある。だから『この句は高校生らしくないからだめ』っていう批評は変です。この句は本人の感性で作られた、本人らしさが一番出てる句なのでとても好きです!」

堀「本人の感性。作風とも言い換えられますね。柚紀さんは、小さなものをちまちまと詠むというより、大きなものを捉えて詠むっていう部分が強いんじゃないかなって思っています。ファンとして勝手に」

池「ダイナミックで、はっと気づかされる感じで、哲学的要素まで含まれているような俳句が多いですよね」

堀「たとえばこのあいだの『ハイクラブ』(『里』2013年10月号)に彼女が出していた句に『守宮這う人類以後に紙の本』というのがある。人類、千年後といった大きな切り取り、大きな把握ができるというのは、高校生ではすごいなと思いました。おれなんかはちまちましたものを詠むのが好きなので。誰だったか、審査員の先生が、『俳句にはまだ詠まれていないことがたくさんある。それを見つけたのが青本さんだ』ということを最優秀句の評でおっしゃっていたと思います。自分たちのような高校生が、俳句にまだ詠まれていないことを見つける場合は、『小さすぎてまだ誰も見つけていないこと』を探すのが一般的かと思うんだけど、逆に柚紀さんは『大きすぎてまだ誰も触れたことがなかった、触れられなかったこと』を詠んだ。なかなかできないよねぇ」

池「そうですね……。話は変わりますが、この句を見た時の私の勝手な想像なんですが、帰り道に作ったのかなぁっていう気がして(笑) 本人に確かめられないままなんです」

堀「今度聞いておいてください(笑) なんで池原は帰り道だと思ったの?」

池「私の体験なんですが、帰り道はカラスが多いので」

堀「多い(笑)」※夕方の旭川東高の近くにはカラスがたくさんいる。

池「カラスがうわぁーって飛んでいるのを見てたら、あぁ、千年後には鳥の国ってこういうことだなって私はここでやっと初めて分ったんですよ。だからきっと広島でも同じことが起こってるんだと」

堀「千年後じゃなくて今じゃないですか(笑)」

池「いや、でも、もうほんとうにすごくて。鳥の逆襲が! みたいな感じで、ヒッチコックのようなストーリーになってくるのではないかと」

堀「ヒッチコックね」

池「そうです、ヒッチコックです。だから広島でも同じようなことが起きているに違いないんだと勝手に思いました。間違ってたらごめんなさい(笑)」

堀「今ヒッチコックの話が出たけど、そう、ヒッチコックの映画『鳥』のような不気味さ。おれもヒッチコックをイメージして、単に鳥ばかりがたくさんいて、そこから受け取る印象は人それぞれだろうけど、とにかく、そういう情景があるんだ! っていう絵を見せられた気分だったんです。けれど、作品集の青本さんの句のページに載っている高柳克弘先生の評には「収束の目途が立たない福島原発の事故や経済の行き詰まり……日本に暮らす私たちには、もう未来などないのではないか。しかし、たとえ人間の命が滅びたとしても、鳥たちが生命をつないでくれるだろうと、悲観と同時に救いが伝わる作品」と、つまり、社会的なメッセージが含まれているんじゃないかという視点がありました。おれはここまで社会的なことは感じなくて、ただただいろんなイメージが喚起されるというのを狙った句なのかと思っていました。作者がここまで社会的なことを考えていたのかというところまでは分らないのですが、池原はどう?」

池「高柳先生がここまで壮大な鑑賞をしたことにびっくりしました。こういうふうな捉え方をしたんだなぁっていう感じでしたね」

堀「一昨年の最優秀句、神奈川県立厚木東高等学校の菅千華子さんの『未来もう来ているのかも蝸牛』という句は東日本大震災の年の句ですから、未来というのには、『震災の後の未来』が想定されていますよね。この句でも社会性が取り上げられている。俳句には社会性や思想が必要なんだ! っていうのを俳句甲子園側からせまられているように感じたんです」

池「かならずしもそうではないと思いますよ。去年の句も社会的なメッセージもなにも無いのだけれど、自分が気づいたこと、景の切り取りで人を感動させることができる。かならずしも俳句は社会的なメッセージを入れる必要はないと思う。私は別にそこにこだわる必要はないと思います」

堀「おれもそう思います。この句に関して言っても、原発なんかの社会的なものを考えないで、好きな光景を思い浮かべればいい」

池「そうですね」

堀「そういえば、この句が発表されたときのこと覚えてますか? 垂れ幕があって、一枚のペラ紙で隠されていたんですよね。でも実は、自分の席から『~の国』が透けて見えていました(笑)」

池「透けて『鳥の国』まで見えてましたよね!」

堀「おれには『~の国』までしか見えなくて、一体どんな句が来るんだろうって思ってました!」

池「私は最初『島の国』に見えましたよ。え、日本じゃん! って感じで。失礼なことを言いますけど(笑)」

堀「これはなんの国なんだ? おだやかじゃない句が来るんじゃないかと思ってすごくヒヤヒヤしてました。そこでパっとめくれたら、『夕焼や千年後には鳥の国』だった。あぁ、きれいな句だったぁ、と (笑)」

池「確かにきれいです。でも、夕焼ですからね。怖い感じもします。私的には鳥が肉をついばんでるのかなぁと(笑)」

堀「人がいるんですか!?」

池「最後の死んだ一人……」

堀「あっ、なるほど(笑)」

池「そして、最後の肉のひとかけらをついばんで鳥の国! みたいな(笑)」

堀「人体俳句の話はまた次回にしていただきたい (笑)」※今後の対談の予定に『人体にまつわる句』のテーマがある。

池「あっ、すみません(笑)」

堀「グロテスクです」

池「きれいな表現じゃないですか! 肉をついばむ! 鳥葬みたい」

堀「鳥葬。いいイメージ、かも……? では、最後の一人を鳥葬するということで(笑)」

池「私はそうだと思ったんですよね」

堀「人が滅んで三百年くらいたってるのかなぁと思ってました。七百年後に人は既に無しみたいな」

池「ふーむ。この調子で鳥が増えていくとなるのか……」

堀「人が滅んだのは鳥のせいですか?」

池「……人間のせいだと思います」

堀「でしょ? 鳥が殺したわけじゃないよね(笑)」

池「それでもいいですよ! 鳥たちが復讐して……人間をついばむっ(※ついばむジェスチャー)」

堀「人間をついばむっ(※池原の真似) そうですねぇ……もうちょっとこの句が発表された時の思い出でも話しましょう」

池「はい。青本さんお友達だったので、あっ、とってくれたぁ! って感じでした。よくやったぞ、柚ちゃん!」

堀「うんうん。よくやったぞ! って感じ。他には……そうそう、話が戻るけど、『鳥の国』が透けてたってのがありますね」

池「俳句甲子園はもうちょっと厚い紙で隠した方がいいと思います(笑) 作品集のアンケートに書こうと思います……楽しみ半減しちゃったな。だってもし旭川東が賞を取ったら、まさか自分の句? 自分の句じゃね? ってなるでしょ。だめじゃん!!」

堀「俳句甲子園には厚い紙を用意していただきたい(笑) 今年は印刷された紙での発表だったからさびしかったよね」

池「ですよね! 書いてほしかったですね」

堀「昨年度は愛媛県の三島高校の書道部さんが書いてくれたんですよね。三島高校さんは書道パフォーマンスで全国的に有名な高校なんです。三島高校さんがわざわざ受賞作品の句を書いてくださって、一種の書作品のようなかたちで並べて発表される。あれは圧巻でしたね」

池「そのコラボをもう一回してほしいですよね。また受賞した時の喜びも違いますし」

堀「三島高校さんと川之江高校さんは実際に書道パフォーマンスもしてくれました。今年の作品集には川之江高校さんの、去年を振り返って、みたいなインタビューも載ってて。これもおもしろくて、載せるんだったんなら今年も呼べばよかったのに! って思いましたよ。非常に残念でしたね。もちろん書くのが大変ということもあるし、書道甲子園かなんかで忙しかったのかもしれませんね。……時間もまだあるしもうちょっと句の話をしましょうか」

池「夕焼の季語は動きませんよね。では、鳥の国ではなかったらどうなるんでしょう。なぜ鳥を選んだのかっていうのをちょっと考えてみましょうか。たとえばなんでしょう。……花の国?」

堀「花の国……。ちょっといいんじゃないんですか(笑) いい句になちゃった。千年後には花の国(笑)」

池「花葬された、みたいな。人間の養分を吸い取って生き延びた」

堀「……きれいな句だったのになぁ。池原の手にかかるとすぐにグロテスクになる」

池「鳥の国はSFチックですよね」

堀「SFチックだけどこの句は恐竜とかじゃなくて、現実的な鳥です。SFっぽさを出しつつも、現実性がある、となると鳥が一番いいんですね、きっと」

池「弱そうにも見えるけど……」

堀「これは弱そうですか? この句はもうコンドルとか、強い、ばさばさばさばさ、みたいな鳥では(※鳥が飛ぶジェスチャー)」

池「(爆笑) 私の考えでは、鳥って人間が捕まえたりできるもので、人間の方が強い感じがするのに、その鳥に人類が乗っ取られてしまうっていうのがこの句の怖さであるから、鳥の国なのかな、と」

堀「そうか。ばさばさーっていう、コンドルで考えていました。高柳先生が『鳥たちが生命をつないでくれるだろう』っていう書き方をしているように、おれはこの句を、今も生命力のある鳥が、未来でもやはり生命力があって、彼らは生き残り、彼らの国を作ったのだっていうようなイメージで捉えています。弱い鳥っていうイメージはできませんでした。弱い鳥といえば、開成高校の日下部太亮さんの『はちすから鳥が生まれてきたやうな』という句がありますが、これはひよわな雛鳥ですね。日下部君と青本さんの句の鳥は違う鳥」

池「うーん、いや、みんな一緒ですね、強い鳥も弱い鳥も。コンドルもスズメもこの句の中に全部います」

堀「人間はいないけれど、コンドルもスズメも一緒に飛んでいるような」

池「そうです。カラスもいて、みんな平和」

堀「いろんな鳥がいるんだね。それは考えたことなかった。で一種類の強い鳥がばさばさっと飛んでいるようなイメージでした(※再び鳥のジェスチャー)」

池「(大爆笑)」

堀「でも『国』ならいろんな鳥がいたほうがいい。さすが池原、それはいいね。イメージ変わりました」

池「文句なしの最優秀賞ですよ、この句は。これだけ広がりのある句は他にはなかった。来年の俳句甲子園もどんな句が出てくるか楽しみですね」

堀「そうですね。まぁ、来年は池原さんが最優秀賞ということで」

池「そんな、分らないです」

堀「そうですか(^o^) では、次の句に行きますか。青本さんつながりということで青本瑞季さんの句。えっと……どっちだっけ? 利き手が右手の方が瑞季さんでしたっけ?」※お二人は利き手が違うらしい。

池「右利きの瑞季ちゃんです。「み」ぎききの「み」ずき。「み」で覚えるんです」

堀「覚えました。これはもう全国に覚えてもらわないとね」

池「右利きの瑞季ちゃんですよ、みなさん」

堀「謎の青本シスターズ特集(笑)」

池「彼女は『一指にて言葉伝はる涼しさよ』の句が素敵ですね」

堀「優秀賞の句ですね」

池「この句の景は一体どんな感じなんでしょうね」

堀「そのことについては一度二人で揉めましたね(笑) おれはたとえば……『じゃあ俺、合格発表見てくるわ~』『ただいま』『どうだった?』、で、ピース、みたいな。こんな一指。あとグーサインとか。言葉なしで思いが伝わるんだっていうことが、涼しいな、気持ちいいな、爽やかだなと思った句なのかな、と」

池「一指ですから、ピースだと二本になっちゃうかな(笑)」

堀「あっ、ほんとだ(笑) じゃあ、グーサインだ」

(※二人で一指を使うサインを検討中)

池「野球のサインとかかな?」

堀「野球か~」

池「でも私は野球詳しくないので分りません! あ、私は最初送信ボタンだと思った」

堀「それ言ってたね。メールのぽちぽちぽち」

池「指一本でできること、そして言葉が伝わること、ならば」

堀「はたしてそれが涼しいのかな?」

池「きっと長い文を打ったんですよ。それで送信して、よし完了~みたいな」

堀「物理的な涼しさ。完了~♪ みたいな」

池「そうです。……『言葉伝はる涼しさよ』ですか。あんまり『涼しさよ』って聞いたことないのでびっくりしました」

堀「これ、何の本で読んだか忘れたんですが――。涼しさっていうのは主観的なものだから、○○○な涼しさよっていったら何万通りもできてしまう。だからこのやり方は危ないっていう意見も聞いたことがあります。まぁたしかに、こういう句の作り方はいくらでもできますよね。テーブルの上に文庫本ある涼しさよ、でもいいし、マグネットが冷蔵庫についている涼しさよ、でもいいし」

池「えー…、季重なりでーす」

堀「とにかく、涼しさっていうのは主観的だから、どんなことでも言ってしまえる。だからちょっと危ない方法らしい。でも、瑞季さんの句はまったく動かない。ざわっとくる『人間の素晴らしさ』みたいなものがあります」

池「チンパンジーにはできませんよね」

堀「なんでチンパンジーが出てくるんですか」

池「なんとなく。チンパンジーの指はダメかな、と(笑)」

堀「そういえば池原にはゴリラの句があるね。『青岬少しゴリラに似てる人』。ゴリラは一指で伝えられそう?」

池「ドラミングじゃないですか(笑)」

堀「(※ドラミングの真似) 池原もちょっとやってみて」

池「NGです」

堀「残念。……どうしよう、今回は真面目な回の予定だったのに」

池「話を戻しましょう。人間らしいって言ったら変なほめ言葉ですけど、人間にしか詠めない句ですよね」

堀「メールにしても、サインにしても、相手がいるからこそのものですよね。人間がみんないなくなっちゃったっていう柚紀さんの最優秀句とは対照的です」

池「あっ、そうですね! 双子でもこんなに違う。この句も自分らしさ、本人の作風が出ているいい句だと思います。他に気になる句はありますか?」

堀「柚紀さんの句で『アンよりも大人になってワインゼリー』。こういう変な感覚になる瞬間がありますよね。気づいたら、子供の頃に触れた小説やテレビドラマのキャラクターよりも、大人になってしまっていたとき」

池「あっ、ていうちょっと悲しい感じがある……」

堀「この句では『赤毛のアン』。おれだったら宗田理さんの『ぼくらの七日間戦争』。中学一年生が結託して大人たちに反抗する話。これを読んだのがちょうど登場人物たちと同じ中一のときで。おれはいまではもう十八歳(笑)そんなふうなさびしさが、文学作品が好きな人だったらよくあるんじゃないですかね」

池「私ははやみねかおるさんの『夢水清志郎』のシリーズですね。岩崎三姉妹! 読み始めたときにちょうど歳がかぶってて。中学一、二、三年生って成長していくんですよ。もう3人は卒業しました。それで……(※以下『夢水』シリーズの思い出話)」

堀「(※思い出話)」

池「(※えんえんと思い出話)」

堀「アンの話に戻りましょうか(笑)」

池「高校生はワインゼリーって食べれるのかな?」

堀「食べたことありますよ」

池「じゃあ、大丈夫なんだ。大人とワインゼリーは近いような気もするんだけど……」

堀「『アンよりも大人になって』っていうのは、自分も大人になったなぁ、っていう感慨じゃなくて、さっき言ったような複雑さを含んでる。単に大人になったという感慨とは違うから、近すぎることはないんじゃないんですかね」

池「複雑さも含んだワインゼリー?」

堀「ワインゼリーのちょっと苦い感じね」

池「ワインは苦そうですね。話は変わりますが、私は『赤毛のアン』のシリーズを全部読んだことあって。物語の最後には、アンは大人になるんですよね。だから『アンよりも大人になって』はあまりしっくりこない……」

堀「へええ」

池「あ、でもアニメなら。アニメになっているのは最初のほうだけ」

堀「じゃあ、この句のアンっていうのは」

池「『世界名作劇場』あたりですね」

堀「なるほど」

池「三善晃さんが作ったオープニングで始まる、リンゴ畑を駆け抜けて来るアン」

堀「相当古いアニメじゃないですか(笑)」

池「えっ、再放送でやりませんでしたか? 私は小学校の頃、家に帰ってきていつも観てました」

堀「なるほど。では、もう一句瑞季さんの句を見てみますか」

池「『団栗や水脈海に広がりぬ』! どういう景でしょう? 私は分らなかったんですが」

堀「僕は初見なんですが。うーん」

池「水脈、団栗……? 団栗は植えたら木になって、土の中に根を張って、土の中には水脈があって海へ広がっているよ、っていうことかな? 団栗からここまで世界へ拡散していく句は初めて見ました」

堀「あ、それ聞いたらちょっとわかった気がする。澄んでいます。そういえば瑞季さんの句に『詩を読むに眩暈ともなふ白目高』(『里』2013年7月号『ハイクラブ』掲載)というのがありました。おれはこの句が大好きで。『俳句甲子園うちわ』(※松山で選手に配られた、寄せ書き用のうちわ)に、甲子園の句じゃないのにこの句を書いてもらったんですよ。うん、彼女の句は澄んでいると思います。どうですか、この目高の句は」

池「分ります、なんとなく」

堀「本人が俳句甲子園に出したほうの目高は『餌をつつく目高明日は雨だらう』。これも非常にいいよね」

池「ちょっとつながりが分らなくて私はしっくり来ない……」

堀「『餌をつつく目高明日は雨だらう』。ふたつのことは気持ちいいくらいに関係ない。目高が餌をついついているから雨だろう、じゃないでしょ。取り合わせ。この離れっぷりに惚れ惚れする」

池「あ、あれですね『一雨の来さうな感じゼリー食ふ』(堀下の甲子園ゼリー句)。あれと一緒ですね」

堀「あはは。作品集読んだら、雨になりそう系多いですね。仙台白百合学園の西村七海さんの『透きとほるゼリー明日は雨模様』」

池「あらっ」

堀「丸かぶりじゃないか! って。自分ではいい句ができたと思ってたけど、類想だったのかな。明日は雨になりそうというのは主観的なものですからね。主観的なものはいろんなものに取り合わせやすいっていうのはあるかもしれません」

池「じゃあもっと、斬新なものにすればいいんだ。たとえば明日はあの人からメールが来そう、みたいな」

堀「斬新!」

池「アイツからいきなり、ヒマ~? って来そう、みたいな(笑)」

堀「誰のことだよ(笑)」

池「えーっと○○くん」

(※二人で恋バナ中)

池「ここらへんにしておきますか?」

堀「そうですね。第一回はこのへんで。ありがとうございました。最後ロクな話しなかったな(笑) では第二回からもよろしくお願いします」

2013年11月25日 文芸部室にて。 編集:木村・堀下

 松山東の方が本校の部員の俳句を鑑賞してくださったお礼に、わたしも松山東Aチームさんの俳句を鑑賞しました。拙いものですがどうぞ読んでいただけたら嬉しいです。(池原)



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈松山東の句の鑑賞・キウイフルーツ〉 旭川東・池原早衣子

走ったか翔けたか夏の海へまず 大元寿馬
気持ちのいい句です。
足裏で強く地を蹴って夏の海の青に飛び込んでゆく。走っている瞬間瞬間をつなげていくとあたかも空を飛んでいるのではと錯覚してしまう(だって空と海が同じ色なんですもの)。その感じがよく伝わりました。本州の海はいいですね。道産子のわたしからしたらうらやましい限りです。

泣くための静寂トマトゼリー噛む 森優希乃
主人公はきっと泣くのをこらえているんでしょうね。でも、やっぱり咀嚼しながら歯を食いしばっても嗚咽が漏れてきてしまう。トマトゼリーの朱が効いています。他はモノクロなのにゼリーだけ色がついているみたいです。

きよらかに蓮は風をとりもどす 下岡和也
今年の大会において、蓮と風を取り合わせた句はいくつかありました。ですが、その中でこの句が一番蓮の生命感が表れていると思います。個人的な見解なのですが、他の句は蓮よりも風の存在が強く感じられてしまい、いきものとしての蓮の息遣いを伝えるのに少し足りない気がしたのですが、この句では蓮は「風をとりもど」しています。その部分がこの句の魅力だと思いました。用言の平仮名表記も素敵です。

福音の書を辿り食ふ紙魚いくつ 五百木仁志
紙魚という季語は使うのがとても難しいのに、こんなに素敵な句を作ることってできるんですね!まず、そこに感動しました。わたしが浅学であるのであまり深く鑑賞できないのが残念です。現時点ではこのようなことしか書けませんが、これから勉強していったときに、またこの句の鑑賞をしてみたいと思います。

葉桜や十指に掬ひたる豆腐 藥師寺紀伊
葉擦れのさらさらと水のさらさらがリンクしている綺麗な景です。葉の緑が眩しい、お豆腐の白が眩しい、初夏にぴったりな句だと思いました。段々、エメラルドと大理石の輝きが見えてきてしまいました。

 お互いの部の句の鑑賞文を書き合う企画、第1弾です。さて、この稿の執筆者の正体はだれでしょう……俳句甲子園関係者にはバレバレの名前ですね。そう、今年の開会式で選手宣誓をした、あのお方です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈旭川東の句の鑑賞・ホムンクルスの会合〉 〇山EAST高校・ベガ

全身に静脈這うや夏の海 池原早衣子
こういう句は大抵脈打つ動脈を使うのだろうが、この句はそれを「静脈」としているところがおもしろい。静脈は動脈とは違い、心臓に戻ってくるもの。夏の海のエネルギーや肌に感じる冷たさが体の隅々から静脈を通り自分の中心にまでに浸透していく感覚は非常に共感できる。夏の海のエネルギーと静脈の持つ静けさの対比が上手く出来上がっている。

青岬びー玉の奥に大帆船 渡部琴絵
『びー玉の奥に帆船青岬』とした方が575のリズムが整うのではないか?と言う人がもしかしたらいるかもしれない。しかし、この句はこれでとても綺麗に出来上がっていると思う。
まず語順がなんといってもこの句の肝であろう。この語順にすることによって、作者の視界には青い海と生命力に溢れる岬が見える。ラムネでも飲んだ後なのだろうか、そのびー玉をかざすと、ガラスを通しいつもより太陽光の反射を増した夏の海が姿を現す。この大帆船は作者の想像によって作られた大航海時代の壮大な帆船のようなものだと思うのだが、その想像ですらこの臨場感のある句では許容されそうな気がする。

白地図のうへに団栗転がしぬ 堀下翔
作者を含め私たちは高校生なのだから、この句の作中主体は高校生であると捉えたい。
主体は幼い頃団栗の実るような山で友達と、もしくは一人で遊んでいたのだろう。そして、高校生になった今、勉強で白地図を開けた時に昔を思い出したのではないだろうか。そして、思い出のつまった団栗を転がしながら あの山は今どうなっているだろうか とか あいつらは元気にしているだろうか などといった物思いに耽っているのだろう。
景としてはただ団栗を白地図上で転がしているだけなのだが、そこにある意味ノスタルジックな、リアルな心情が詠まれている。

五本指包む清水のやはらかき 木村杏香
季題指定がなかった分紙と指の句はどこの学校も自由に作句できたと思う。
この句はとても繊細に、しっとりと詠まれた句だ。
不純物のない少し冷たい清水に涼を求め五指ないしは十指を浸したんだろう。陽の光を浴びて乱反射する水の中に白く細い自分の指(この句は女性が詠んでいることを切に願う)がたゆたっている。それはまさに清水にやわらかく包まれていると言えるだろう。
着眼点や「やはらかき」といった平仮名表記が作者の女性らしさをひき立てていると思う。(作者が男性だったら本当に申し訳ない)

冬の星指をさしては名づけけり 渡部琴絵
冬は空気が澄んで天体観測にはとても向いている季節だ。肌を刺すような寒さの中で、自分の思い浮かべた星座を次々と言っている子どもの姿は嬉々としていて、寒さよりも星々や宇宙への思いや興味の方が強いのだろう。一つではなく「さしては名づけけり」として複数にすることによって5W1Hがより鮮明に現れ、臨場感が増していると思う。

 第16回俳句甲子園公式作品集が届きました。今年の俳句甲子園に出されたすべての句が載っている、すごい本。この本を手にしてテンションが上がったわが部では、「これを味わいつくしたい!」と考え、ホームページで鑑賞企画をすることにしました。計画を練るうちに話は広がり、他校ゲストにも大勢来ていただくことに。あっと驚くゲストが登場します。広島のあの双子とか、松山のあの選手宣誓ボーイとか、沖縄のあの女子高生とか。まだまだたくさん。主な企画は、全10回にわたる対談、他校との鑑賞文交換、出場高校生5句競作、などなど。今週、毎日少しずつ掲載していく予定です。ぜひご覧ください。(堀下)


【目次】掲載したものの一覧です。毎日順次増えていきます。断りがないものは旭川東文芸部員です。

〈対談〉
第1回 堀下×池原「最優秀句を読む」
第2回 池原×柚紀(広島高)×瑞季(広島高)「この句、かっこいい!」
第3回 池原×荒井「未踏松山」
第4回 渡部×堀下「ギャ句゛」
第5回 堀下×涼(首里高)「この句にしびれた!」
第6回 堀下×玲奈(土佐高)「新しい俳句」
第7回 池原×木村「人体俳句」
第8回 池原×渡部×荒井「恋の句」

〈鑑賞文交換〉
ホムンクルスの会合(〇山EAST高校/ベガ)
キウイフルーツ(池原早衣子)
最南端から愛をこめて(八重山商工/下地壮)
みづのにほひ(池原早衣子)
旭川東A・俳句批評鑑賞文(仙台白百合学園/西村葉月)パートワン
仙台白百合さんへ(堀下翔)パートワン
旭川東A・俳句批評鑑賞文(仙台白百合学園/西村葉月)パートツー
仙台白百合さんへ(堀下翔)パートツー

〈5句競作〉
第1回 楓(渋川女子)×池原(旭川東)×壮(八重山商工)
第2回 柚紀(広島)×葉月(仙台白百合)×渡部(旭川東)
第3回 莉奈(吹田東)×葵(能代)×木村(旭川東)
第4回 荒井(旭川東)×拓馬(浦添)
第5回 絵里(洛南)×瑞季(広島)×堀下(旭川東)

〈ゲストエッセイ〉
16のわたし、18の私(水沢/佐藤和香)
俳句といふ微笑(土佐/宮崎玲奈)
言葉にできぬ、世界のはなし(洛南/下楠絵里)