対談第7回。二年生池原と一年生木村(愛称:きょうちゃん)が登場です。池原は人体が大好き。趣味は献血。句材にもよくよく人体関連のものが出てきます。そんな池原ワールド全開の鑑賞に木村が付き合う回です。
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池「それではこれから対談を始めますー。テーマは『人体俳句』(≧∇≦) 唐突だけどなぜこのテーマか? きょうちゃん、どうしてだと思う?」
木「人体俳句ですね! それはもちろん池原先輩が人体俳句のスペシャリストだからですよ! ところで、人体俳句の定義とはなんですか?」
池「ありがとう♪ 人体俳句とはまあそのまんま、人体が詠み込まれている句のことを言うんだけど(編集者註:池原が勝手に提唱している俳句の分野である)、人体俳句のすばらしいところは『自分の五感で感じたことを生々しく詠むことにより景が鮮明になるところ』なんです! 今回は、そんな鮮やかで魅力的な句を鑑賞していきましょう!わたしからいきます。『夕焼や耳の奥より熱き水』(米林修平さん/洛南高校B)。鑑賞をどうぞ^^」
木「なるほど、生々しいことが大事なんですね。夕焼や耳の奥より熱き水。私、この句を初めて見たときはプールあがりの時のことかな? と思いました。耳の中に水が入ってしまったあの感覚。その水がふわりとこぼれてくる。そんな景だと思いました。夕焼の季語も、泳ぎ疲れて家に帰る一日の終わりのようでしっくり来ました。一見そんなほほえましい句に見えますが、これは人体俳句ですもんね! 熱き水はもうプールの冷たい水ではない。一度体の一部になったものがまた離れていく、その奇妙な生々しさも感じられました。プールあがりと解釈したのは私だけでしょうか(笑) 池原先輩はどう鑑賞しましたか?」
池「解釈ありがとう! わたしも最初プールから帰ってきて寝ころんでる景なのかなと思ったよ。でもシャワーっていう選択肢も……。いや、でもプールだわ多分。耳から水がつつと出てくる瞬間の温度にびっくりする。自分の体の熱を実感して。そしてまた、夕焼っていう季語がいい。あの色がないとこの人体俳句は成り立たない。静かな生命の実感の句だなと思いました」
木「句の色ですか、なるほど。夕焼という季語の色を特定しろと言われても私はできません。でも、確かに色はありますよね。一人一人が夕焼けの句を作りましたが、それらの夕焼もきっとそれぞれ違う色を持っていると思う。この句は自分だけの色を表すぴったりな切り取りをしていると思います。夕焼けには生命の実感を表現できる力があるんですかね?」
池「一般概念かどうかは分からないけど、夕焼→赤→血→人体なのかも。渋川女子高校の林楓さんの句で『夕焼けは静脈血まみれの空』ってあるじゃない! これどうですか?」
木「林さん! 松山で一緒に句会しましたね。真っ赤な句ですね。言い切りにどきっとさせられます。取り合わせではなく、きっと夕焼けがなにかの象徴や暗喩だと思うんですがなにを表現しているんでしょう?」
池「あまり良いものではないものの暗喩や象徴の気が……。色でもない気がする……。俳句甲子園にしてはギリギリの人体俳句だね(笑) 次の句はきょうちゃんが用意してください!」
木「人体俳句は奥がふかいですね。では、私が気になった人体俳句の鑑賞に行きます。岩手県水沢高校佐藤和香さんの『胎盤を捨てた呼吸や蓮の花』」
池原;胎盤、わたしも選んでました(笑) 胎盤はすっごい大きくて意外に重たいもの(500~600g近くある)。シンクにどさっと。そんな感じ。胎盤という生々しいものとそれとはかけ離れた蓮との取り合わせかな? あっ! なんか『ふうっ』っていう呼吸から蓮が生まれたみたい! 胎盤だけでなくどうせなら胞衣にしてほしかったとちょっぴり思いました」
木「呼吸から蓮の花が生まれる! すてき! わたしは全くイメージできませんでした(汗)。わたしは胎盤という重みのあるものと蓮の花が軽やかに咲く様子の取り合わせかなぁとしか考えていませんでした。でも、胎盤にも蓮の花にもそれぞれの生命力がありますよね。胞衣もあるといいと思ったのはなぜですか? 知識があまりないもので(汗)」
池「なるほど! 胞衣は『えな』って言って後産のときに出てくる胎盤や臍帯や羊膜の総称です´`」
木「あぁ、臍の緒とかのことですね!」
池「実際は胎盤だけじゃないかなと思って。でもよく考えてみたら、『胞衣捨てしいきづかひかな蓮の花』ってなんか不自然だし、胞衣って言葉が伝わりにくいかも……。やっぱ胎盤だけでいいですm(_ _)m」
木「胎盤以外にも想像されますが、やっぱり胎盤という言葉の強さですかねぇ。佐藤さんはゼリーの句も生命力が感じられる句です」
池「『静脈のやはさに似たるゼリーかな』だね´` 静脈俳句多い! ぷにぷに感が似てるのか……」
木「池原先輩の句にも静脈の句ありましたね。『全身に静脈這うや夏の海』。さっきの林さんの句もそうですが、今年は血管ブームなのか(笑) でも、三句とも違う季語だから、言葉同士が近いわけではないんですよね。不思議」
池「血管のみならず人体俳句がなんだかいっぱいあった今年の俳句甲子園! ブーム来たかって感じo(^-^)o 余談ですが、わたしは最近、角膜、虹彩、肝臓、耳とかで作ることが多い」
木「角膜、肝臓……。そういうもので俳句を作ろうって考えたことありませんでした(笑)どんどんジャンルを増やしてますね、池原先輩((o(^∇^)o))」
池「だからそのぶん、類想感のある句は作れないねー。次は少し違った人体俳句。『蓮咲きて前歯のほろと抜け落ちぬ』(水谷衛さん/洛南高校A)。どうぞ」
木「さっきまで鑑賞してきた句とはまた違う雰囲気の句ですね」
池「突然だけどきょうちゃんはこんな風に簡単に乳歯が生え替わった? わたしはいつもぐりぐりして少し痛い思いをしながら抜いていたから……」
木「私もぐりぐり派でした(笑) 歯が抜ける時って結構激痛ですよね。ほろってどういうことなんでしょう。抜こうと意識せずに、何かの衝撃で歯が抜けて、あっ、と思って口から出したときに小さな歯がほろり……かな? そして歯が抜けるということは小さい子どもなんでしょうか?」
池「授業中とかにぐりぐりして抜いてた(笑) 懐かしい´` 小さい子の話だよねきっと。お年寄りかもしれないけど。ひとつ分からないのは蓮との取り合わせ。どういう感じなんだろう? ね?」
木「前歯が抜けるってちょっと滑稽な感じ。でも、ほろという言葉や季語が奥行きを作っている句だと思います。歯が一本ずつ抜けて、生えて、確実に成長していくというか。だから私には落ち着いた句に見えて……子どもがあまり見えてこない(>_<)」
池原「落ち着いた感じで子どもを詠むっていうアンバランスさがこの句の魅力なのかもね。同時に硬質な歯と柔らかな花弁という真逆のものを取り合わせている。あと、ほろ、が歯が抜けることで少し無防備になってしまった感じを出していて、いいなと思った。よし、最後の一句! きょうちゃんセレクトでo(^-^)o」
木「アンバランスさで取り合わせの句を作るって新しい。では、最後の句です。『灼かれても白き骨なり蓮の花』(西原裕希さん/浦添高校)。これは、人体俳句になりますかね?」
池「骨は人体の一部です! 火葬のあとのお骨かな。そうだとしたら言葉どうしが少し近いかも……死に蓮か……」
木「ディベートでも話にのぼりましたね。火葬ということは分かるんですが、私火葬に立ち会ったことがまだないんです。実際はどんな感じなんですか?」
池「大きい炉みたいなのに棺を入れるのをみんなでお見送りして、その後は骨壺にお骨を入れる。わたしはちょうど今年の二月に祖母の葬式があって、そういう場にいたよ。確かな骨は白かった。でも、骨が白いのは当たり前のようなのに、ここでわざわざ白き骨なりって言ったのには何かしらの感情があるんだねきっと」
木「なるほど。知りませんでした。私は白に加えて光も見えました。夏の日の光。お葬式ってなんだか夏のイメージがあるんですよね。だからこの句の白は生を感じさせる。生に気づいたことで死を実感するというか……」
池「わたしも同感。人それぞれかもしれないけど、わたしはお葬式と言えば夏です。わたしはこの白は成仏だと思った。白が象徴するのは純潔や永遠などだから。光が見えたって言ったのもわかる! 極楽浄土に行ってくれた気がするね。でも骨の白さって生きている今現在で感じること少ないかも……(むしろ血液の赤はたびたび感じてる)」
木「そうですね、自分の骨は焼かれるまで現れないから、ほとんどの人間は自分の骨の色を知らずに死んでしまう。血はケガや献血の時に目にしますからね。骨も血も体の一部なのに、それぞれ自分自身との距離感が違う。ところで、私が気になったのは灼くという漢字です。一般的には焼くですよね。なんでですかね?」
池「そうだね、よっぽどの大怪我をしなければ自分の骨の色なんてわかんないよね。献血(笑)わたしに毒されてきたな(笑) 漢字ね。うーん。なんか、いきなりはだしのゲンを思い出してしまった。」
木「焼くだと炎がちらついて、せっかくの白の光りや蓮の花がいきてこないからかなぁ、と思ったのですが、灼くである必然性は思いつきませんでした。はだしのゲンですか。一体どんなところから?」
池「重々しい話になるけど……原爆が投下されたあとの町の至る所で犠牲者を山のように積んで死体を焼くって場面があって。ショッキングだった。あの漢字から真夏の暑い日と炎を連想してしまって、空襲直後や原爆投下後の町を想像した」
木「戦争や原爆投下があったから、日本のお葬式は夏のイメージなのかも。この句は火葬の一場面しか切り取られていませんが、その後ろに大切な人の死があったという大きな悲しみがあることをふまえて読む必要がありますね」
池「大切な人の死を悼むのと同時に冥福を心から願う気持ちが蓮の花に託されているのかもね。高校生なりの死の受け止め方があるんだよと教えられた気がします。……これで予定の句は全て終わりました! 最後に感想!」
木「私は物を詠むことが多いので、体の一部で俳句を作ることは今まであまりありませんでした。同世代の人体俳句を鑑賞して、ぜひ作ってみたいと思いました。鑑賞のいいところはこんな句もあるんだ、作れるんだ! ってことと、自分が思いもしなかった読みを知れることですよね。楽しく充実した対談でした。ありがとうございます(*^^*)」
池「わたしもたくさんの人体俳句を鑑賞できて楽しかった! ほんとはもっと鑑賞したい句があったんだけど……(^^;) とにかく刺激をもらいました! そして、この対談につき合ってくれたきょうちゃん、ありがとう! うちの部どころか全国探してもこんなにわたしの人体話につきあってくれる人、そうそういません(笑) 本当に感謝^^ これで対談を終わります\(^ー^)/
対談はメールで行われた。編集:池原・堀下
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池「それではこれから対談を始めますー。テーマは『人体俳句』(≧∇≦) 唐突だけどなぜこのテーマか? きょうちゃん、どうしてだと思う?」
木「人体俳句ですね! それはもちろん池原先輩が人体俳句のスペシャリストだからですよ! ところで、人体俳句の定義とはなんですか?」
池「ありがとう♪ 人体俳句とはまあそのまんま、人体が詠み込まれている句のことを言うんだけど(編集者註:池原が勝手に提唱している俳句の分野である)、人体俳句のすばらしいところは『自分の五感で感じたことを生々しく詠むことにより景が鮮明になるところ』なんです! 今回は、そんな鮮やかで魅力的な句を鑑賞していきましょう!わたしからいきます。『夕焼や耳の奥より熱き水』(米林修平さん/洛南高校B)。鑑賞をどうぞ^^」
木「なるほど、生々しいことが大事なんですね。夕焼や耳の奥より熱き水。私、この句を初めて見たときはプールあがりの時のことかな? と思いました。耳の中に水が入ってしまったあの感覚。その水がふわりとこぼれてくる。そんな景だと思いました。夕焼の季語も、泳ぎ疲れて家に帰る一日の終わりのようでしっくり来ました。一見そんなほほえましい句に見えますが、これは人体俳句ですもんね! 熱き水はもうプールの冷たい水ではない。一度体の一部になったものがまた離れていく、その奇妙な生々しさも感じられました。プールあがりと解釈したのは私だけでしょうか(笑) 池原先輩はどう鑑賞しましたか?」
池「解釈ありがとう! わたしも最初プールから帰ってきて寝ころんでる景なのかなと思ったよ。でもシャワーっていう選択肢も……。いや、でもプールだわ多分。耳から水がつつと出てくる瞬間の温度にびっくりする。自分の体の熱を実感して。そしてまた、夕焼っていう季語がいい。あの色がないとこの人体俳句は成り立たない。静かな生命の実感の句だなと思いました」
木「句の色ですか、なるほど。夕焼という季語の色を特定しろと言われても私はできません。でも、確かに色はありますよね。一人一人が夕焼けの句を作りましたが、それらの夕焼もきっとそれぞれ違う色を持っていると思う。この句は自分だけの色を表すぴったりな切り取りをしていると思います。夕焼けには生命の実感を表現できる力があるんですかね?」
池「一般概念かどうかは分からないけど、夕焼→赤→血→人体なのかも。渋川女子高校の林楓さんの句で『夕焼けは静脈血まみれの空』ってあるじゃない! これどうですか?」
木「林さん! 松山で一緒に句会しましたね。真っ赤な句ですね。言い切りにどきっとさせられます。取り合わせではなく、きっと夕焼けがなにかの象徴や暗喩だと思うんですがなにを表現しているんでしょう?」
池「あまり良いものではないものの暗喩や象徴の気が……。色でもない気がする……。俳句甲子園にしてはギリギリの人体俳句だね(笑) 次の句はきょうちゃんが用意してください!」
木「人体俳句は奥がふかいですね。では、私が気になった人体俳句の鑑賞に行きます。岩手県水沢高校佐藤和香さんの『胎盤を捨てた呼吸や蓮の花』」
池原;胎盤、わたしも選んでました(笑) 胎盤はすっごい大きくて意外に重たいもの(500~600g近くある)。シンクにどさっと。そんな感じ。胎盤という生々しいものとそれとはかけ離れた蓮との取り合わせかな? あっ! なんか『ふうっ』っていう呼吸から蓮が生まれたみたい! 胎盤だけでなくどうせなら胞衣にしてほしかったとちょっぴり思いました」
木「呼吸から蓮の花が生まれる! すてき! わたしは全くイメージできませんでした(汗)。わたしは胎盤という重みのあるものと蓮の花が軽やかに咲く様子の取り合わせかなぁとしか考えていませんでした。でも、胎盤にも蓮の花にもそれぞれの生命力がありますよね。胞衣もあるといいと思ったのはなぜですか? 知識があまりないもので(汗)」
池「なるほど! 胞衣は『えな』って言って後産のときに出てくる胎盤や臍帯や羊膜の総称です´`」
木「あぁ、臍の緒とかのことですね!」
池「実際は胎盤だけじゃないかなと思って。でもよく考えてみたら、『胞衣捨てしいきづかひかな蓮の花』ってなんか不自然だし、胞衣って言葉が伝わりにくいかも……。やっぱ胎盤だけでいいですm(_ _)m」
木「胎盤以外にも想像されますが、やっぱり胎盤という言葉の強さですかねぇ。佐藤さんはゼリーの句も生命力が感じられる句です」
池「『静脈のやはさに似たるゼリーかな』だね´` 静脈俳句多い! ぷにぷに感が似てるのか……」
木「池原先輩の句にも静脈の句ありましたね。『全身に静脈這うや夏の海』。さっきの林さんの句もそうですが、今年は血管ブームなのか(笑) でも、三句とも違う季語だから、言葉同士が近いわけではないんですよね。不思議」
池「血管のみならず人体俳句がなんだかいっぱいあった今年の俳句甲子園! ブーム来たかって感じo(^-^)o 余談ですが、わたしは最近、角膜、虹彩、肝臓、耳とかで作ることが多い」
木「角膜、肝臓……。そういうもので俳句を作ろうって考えたことありませんでした(笑)どんどんジャンルを増やしてますね、池原先輩((o(^∇^)o))」
池「だからそのぶん、類想感のある句は作れないねー。次は少し違った人体俳句。『蓮咲きて前歯のほろと抜け落ちぬ』(水谷衛さん/洛南高校A)。どうぞ」
木「さっきまで鑑賞してきた句とはまた違う雰囲気の句ですね」
池「突然だけどきょうちゃんはこんな風に簡単に乳歯が生え替わった? わたしはいつもぐりぐりして少し痛い思いをしながら抜いていたから……」
木「私もぐりぐり派でした(笑) 歯が抜ける時って結構激痛ですよね。ほろってどういうことなんでしょう。抜こうと意識せずに、何かの衝撃で歯が抜けて、あっ、と思って口から出したときに小さな歯がほろり……かな? そして歯が抜けるということは小さい子どもなんでしょうか?」
池「授業中とかにぐりぐりして抜いてた(笑) 懐かしい´` 小さい子の話だよねきっと。お年寄りかもしれないけど。ひとつ分からないのは蓮との取り合わせ。どういう感じなんだろう? ね?」
木「前歯が抜けるってちょっと滑稽な感じ。でも、ほろという言葉や季語が奥行きを作っている句だと思います。歯が一本ずつ抜けて、生えて、確実に成長していくというか。だから私には落ち着いた句に見えて……子どもがあまり見えてこない(>_<)」
池原「落ち着いた感じで子どもを詠むっていうアンバランスさがこの句の魅力なのかもね。同時に硬質な歯と柔らかな花弁という真逆のものを取り合わせている。あと、ほろ、が歯が抜けることで少し無防備になってしまった感じを出していて、いいなと思った。よし、最後の一句! きょうちゃんセレクトでo(^-^)o」
木「アンバランスさで取り合わせの句を作るって新しい。では、最後の句です。『灼かれても白き骨なり蓮の花』(西原裕希さん/浦添高校)。これは、人体俳句になりますかね?」
池「骨は人体の一部です! 火葬のあとのお骨かな。そうだとしたら言葉どうしが少し近いかも……死に蓮か……」
木「ディベートでも話にのぼりましたね。火葬ということは分かるんですが、私火葬に立ち会ったことがまだないんです。実際はどんな感じなんですか?」
池「大きい炉みたいなのに棺を入れるのをみんなでお見送りして、その後は骨壺にお骨を入れる。わたしはちょうど今年の二月に祖母の葬式があって、そういう場にいたよ。確かな骨は白かった。でも、骨が白いのは当たり前のようなのに、ここでわざわざ白き骨なりって言ったのには何かしらの感情があるんだねきっと」
木「なるほど。知りませんでした。私は白に加えて光も見えました。夏の日の光。お葬式ってなんだか夏のイメージがあるんですよね。だからこの句の白は生を感じさせる。生に気づいたことで死を実感するというか……」
池「わたしも同感。人それぞれかもしれないけど、わたしはお葬式と言えば夏です。わたしはこの白は成仏だと思った。白が象徴するのは純潔や永遠などだから。光が見えたって言ったのもわかる! 極楽浄土に行ってくれた気がするね。でも骨の白さって生きている今現在で感じること少ないかも……(むしろ血液の赤はたびたび感じてる)」
木「そうですね、自分の骨は焼かれるまで現れないから、ほとんどの人間は自分の骨の色を知らずに死んでしまう。血はケガや献血の時に目にしますからね。骨も血も体の一部なのに、それぞれ自分自身との距離感が違う。ところで、私が気になったのは灼くという漢字です。一般的には焼くですよね。なんでですかね?」
池「そうだね、よっぽどの大怪我をしなければ自分の骨の色なんてわかんないよね。献血(笑)わたしに毒されてきたな(笑) 漢字ね。うーん。なんか、いきなりはだしのゲンを思い出してしまった。」
木「焼くだと炎がちらついて、せっかくの白の光りや蓮の花がいきてこないからかなぁ、と思ったのですが、灼くである必然性は思いつきませんでした。はだしのゲンですか。一体どんなところから?」
池「重々しい話になるけど……原爆が投下されたあとの町の至る所で犠牲者を山のように積んで死体を焼くって場面があって。ショッキングだった。あの漢字から真夏の暑い日と炎を連想してしまって、空襲直後や原爆投下後の町を想像した」
木「戦争や原爆投下があったから、日本のお葬式は夏のイメージなのかも。この句は火葬の一場面しか切り取られていませんが、その後ろに大切な人の死があったという大きな悲しみがあることをふまえて読む必要がありますね」
池「大切な人の死を悼むのと同時に冥福を心から願う気持ちが蓮の花に託されているのかもね。高校生なりの死の受け止め方があるんだよと教えられた気がします。……これで予定の句は全て終わりました! 最後に感想!」
木「私は物を詠むことが多いので、体の一部で俳句を作ることは今まであまりありませんでした。同世代の人体俳句を鑑賞して、ぜひ作ってみたいと思いました。鑑賞のいいところはこんな句もあるんだ、作れるんだ! ってことと、自分が思いもしなかった読みを知れることですよね。楽しく充実した対談でした。ありがとうございます(*^^*)」
池「わたしもたくさんの人体俳句を鑑賞できて楽しかった! ほんとはもっと鑑賞したい句があったんだけど……(^^;) とにかく刺激をもらいました! そして、この対談につき合ってくれたきょうちゃん、ありがとう! うちの部どころか全国探してもこんなにわたしの人体話につきあってくれる人、そうそういません(笑) 本当に感謝^^ これで対談を終わります\(^ー^)/
対談はメールで行われた。編集:池原・堀下
| 22:52
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