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新入生歓迎小説「ハレワタレ」

新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんの入学を祝い文芸部員が書いた小説を公開いたします。(新一年生以外の方も楽しめる内容となっておりますので、どうぞご覧ください)


ハレワタルマエ


淡く滲むように広がる水色。ほのかに紫がかった、わたあめのような雲。彼女は草原に寝そべって、そばにある先が白みがかったたんぽぽを摘み取ると、切り離された部分を上にして、空をぐるぐるとかき混ぜ始めた。すると雲が汁を垂らす先に絡みつき、徐々にその大きさを増していく。ちょうど彼女の顔ぐらいの大きさになった時、彼女はそれにはふっとかぶりつき、口元を一周ペロリとと舐めると、頬をほんのり桃色に染め、ふふっと小さく微笑んだ。

どうやらこの世界は、距離も大小も彼女の意のままであるらしい。そしてやはりあの空に浮かぶあれは、わたあめであったらしい。

次に彼女は、わたあめにふうと息を吹きかけた。今度は何が起こるのだろうと不思議に思って見ていると、わたあめの先が次第に黒く染まり始め、いつの間にかわたあめの中に夕焼け色の、鮮やかな炎が生まれていた。彼女がゆっくり立ち上るのと同時に茎が彼女の背丈と同じぐらいに伸びる。白いたんぽぽでしかなかったそれは、炎を従えるステッキへと変化したのだ。彼女はそのステッキを半分におり、片方で火花を、もう片方で白い花弁を撒き散らしながら、大空の下で一人、舞い始めた。まるで白鳥の湖の演目を、見ているかのようだった。

「夢はいつだって現実から生まれる。だから、信じていればきっと、どこまでも高く飛べるんだ」

彼女の声だろうか。どこからか鈴の音のような優しい声が、そよ風によって運ばれてきた。彼女の姿は、遠くへと消えていく……。

パチン


ハッとして目を開けると、そこには青く淡い空があった。爽やかな風が服と肌の間を駆け巡る。気が付くと僕は学校の屋上で、大の字に寝そべっていた。わたあめのように軽やかな雲を、人差し指を立てて彼女のようにかき混ぜてみる。

何故、僕はここにいるのだろう。ああそうだ。部長から逃げてきたんだ。

今は四月の後半。つまり、体験入部が活発に行われる時期である。一年生からしたら新たな自分を見つけるための時期と言えるだろうが、二、三年生からしたら、部の存続を賭けた部活同士の殴り合いだ。僕が所属している文芸部は、今は三年が四人、二年生は二人の計六人で活動している。生徒会の方で定められている部の規定として、部員が最低でも五人必要なのだが、今の三年生が卒業すると、部員は僕ともう一人の二人となり、新たな部員が入らなければ、同好会に降格される危機に陥ってしまうのである。また、文芸部の男子は今の所僕一人。新入部員を最低でも3人、そして男子部員を増やしたいと考えている現部長の神楽坂先輩は、僕を見せ物にするために、部室の前で待ち伏せしていたのだ。そして神楽坂先輩に見つかる前に、その気配を察知した僕は、慌てて屋上へと避難したのである。

しかし何故僕は学校の屋上で、しかも大の字で変な夢を見ていたのか。屋上を目指した経緯については説明できるものの、今僕の置かれている状況については、考えても考えても全く思い当たる節がない。仕方なく僕はこれ以上考えることを諦めて、ひとまず体を起こした。

「ん?これは……」

その時、ぷよんと。太陽の光で虹色に輝く物体が、地面にへばりついているのを見つけて、僕は四足歩行で近づいた。

「シャボン玉?」

僕は手を伸ばしてみるが、既に限界を迎えていたようで、パチンと弾けて消えてしまう。

そうだ思い出した。屋上に出て、大きく背中を伸ばしていたら、いきなり目の前に大きなシャボン玉が現れたのだ。僕は興味本位でそれに触れ、そしたらあんな不思議な夢を見たんだ。そういえばあの時、奥に女子生徒がいたような……。

僕は周りを見渡してみる。しかし屋上には僕一人だ。誰もいない。

「気のせい、だったのか?」

全く、今日は変なことばかり起こるなと思いながら、僕はリュックからノートと筆箱を取り出した。夢とは思えないほど僕の心にこびりつくさっきの光景。あの世界は、僕の知るどの世界より美しかった。だから感動の余韻が残っているうちに、文字としてまとめておきたかったのだ。僕は神楽坂先輩が僕を見つけ出すまで、ダンゴムシのように丸まって、がむしゃらにノートに書き込み続けた。


次の日。今日は神楽坂先輩の魔の手から逃げ切ることができず、強制的に部員集めに駆り出された。一年生の廊下は同じように三年生の先輩に駆り出された他部員の二年生が、うじゃうじゃいる。こうなってくると、誰が一年生なのか見当もつかない。僕の行動が無駄としか思えないほどに。

「すっごい混んでるね」

僕と同じく神楽坂先輩に駆り出された、もう一人の二年生の部員、桜森さんは僕の耳に顔を近づけさせてから言った。ここまでしないと声が聞こえないほどに、廊下はうるさいのだ。

「僕のいる意味ないよね、帰っていい?」

「ん?なんか言った?」

元々声に深みのない僕の声では、この環境下だと猫の手以下の能力しか発揮しないようで、桜森さんはもっと僕に顔を近づけた。

「近い……」

年頃の男女がこんな近くにいていいものなのかという良識から、そもそも人とこんなに近くに居たくないという思いから、僕は顔を顰める。本当はこんな人混みの中にいることすら嫌なのだ。確かに文芸部が危機的状況にあることは僕も理解している。だが、そこまで頑張って新入部員を集めることもないと思うし、こんなことをするなら小説を書いていた方が何百倍もマシだ。

「あー、もう無理。酔う。一旦、あっちに寄ろう」

桜森さんも本質的には僕と同じ側の人間。この人混みに長時間いることを、好むはずがない。僕達は何かに急かされるように、ある程度人の少ない階段の方に逃げた。

「すごい人の多さだね。あの道を通らないと文芸部に戻れないなんて、ここは地獄だ。だからといって遠回りするのも面倒くさい」

「同感する」

僕は顰めっ面で吐き捨てた。こんなことなら、昼休みの入部勧誘に付き合えば良かった。蹴ってしまったせいで、断り辛くなってしまった。ため息しか出てこない。こんな時、この憂鬱を晴らせてくれるような、わくわくすることが起きればいいのだが。例えば、あの不思議な世界を見せてくれたシャボン玉とか……。

「あ……」

とか考えていると、上へと続く階段に、一つのシャボン玉がぷかぷかと浮いているのが見えた。もしかしてまた、不思議なことを起こしてくれるだろうか。僕は期待を胸に、そのシャボン玉に触れてみた。


暗闇の中に、彼女が浮かんでいた。殻の中に閉じこもって、何かに怯えてじっと身を屈めている。殻の外側から聞こえるゴンゴンという音に合わせて、暗闇が震えている。誰かがこの殻を壊そうとしているんだ。

ピキピキっと、空間に罅が入る。パリンと鏡が割れたかのような音がしたと思ったら、眩し過ぎる光が彼女を捉え、彼女は小さく悲鳴を上げた。

「大丈夫だよ」

そう言いながら。開けられた穴に誰かの手が差し込まれる。とても温かみのある、太陽のような手。その手が彼女の肩に置かれた時、彼女は熱せられた鉄の棒を押し付けられたかのような悲鳴を上げた。穴は徐々に開いていき、手が次々に嫌がる彼女の体を掴む。

その手はどうやら、彼女を光のある世界に連れ出したいらしい。例え彼女の身が、その光で焼かれようとも。

「何故みんな、私を光に連れて行くの?私はずっと闇の中にいたいのに」

彼女の悲痛な叫びが聞こえてきて……。


パチン


「おーい、大丈夫?」

僕は桜森さんに呼ばれて、ハッとした。現実世界に戻ってる。もう少しあの世界にいたかったのに。

「あれ、怒ってる? 小説以外のことで感情を面に出すなんて……いや、小説のことなのか」

僕は桜森さんを実質無視して、シャボン玉が飛んできた方を見た。外にシャボン玉が群れを成している。どうやらさっきのシャボン玉は、開いた窓から迷い込んだらしい。シャボン玉は上から舞い降りている。屋上……屋上に行けば、シャボン玉の主に会えるのだろうか。

「桜森さん。ごめん、後は任せた」

「あーはいはい、神楽坂部長にはきっちり伝えさせてもらうからね」

桜森さんはこれまでの付き合いから、こうなった僕を止められないと分かっていたらしく、僕を無理にでも引き止めようとはしなかった。僕はそれに甘えて屋上への階段を一気に駆け上がった。

シャボン玉が、世界が溢れている。屋上でシャボン玉をふいていたのは、一人の女子生徒だった。顎の高さで切り揃えられた髪を、耳に掛からないように押さえつけながら、ため息を吐くようにシャボン玉をふいていた。そのシャボン玉のひとつひとつに、僕の見た彼女たちが、映っている。

「君が彼女達の世界を作ってるの?」

突然話しかけたせいか、女子生徒は小さく悲鳴を上げて、勢いよく僕の方を向いた。パチンと、シャボン玉がひとつ、消える。

「えっと、あの、先輩ですよね?」

「僕のことはどうでもいい。それよりシャボン玉の中の世界、君が作ったの?」

僕が尋ねると、女子生徒は心の底から驚いたような表情を見せた。

「シャボン玉の世界が、見えるんですか?」

「やっぱり、君が作ったんだね」

僕は女子生徒に近づく。

「君、名前は?」

「廿楽、仁美ですが……」

「廿楽さん、どうやったの?シャボン玉」

僕は廿楽さんと名乗る女子生徒を問い詰めた。僕は小説のことになると、どうも歯止めが効かなくなるのだ。廿楽さんは僕の無神経過ぎる言葉が余りにも新鮮だったのか、口をパクパクと動かした。

「えっと、シャボン玉に気持ちを込めるんです。シャボン玉として吐き出して、そのシャボン玉が割れた時、その気持ちから解放される、なんて……」

「ふーん、とても興味深い能力だ」

つまりあのシャボン玉の世界は、廿楽さんの心の世界ということか。あの素晴らしい世界が、廿楽さんの中にはまだまだたくさん溢れている。

彼女の世界をもっと見てみたい。言葉にしたい。僕の心がはち切れんばかりにそう叫んでいる。

「ねえ、文芸部に入りなよ」

「はえ!?」

僕の唐突な勧誘に、廿楽さんは素っ頓狂な声を出した。

「あの、どういう……」

「君の世界が気に入った。すごいよ、こんなにわくわくしたのは初めてだ」

「そんな淡々とした口調で言われても……というか、無理です。私にはそんな」

「僕は君の世界をもっと見たい。書いてみたい。君の言葉を読んでみたい。僕にここまで言わせても無理っていう?」

「いや、えっと……」

廿楽さんは目玉をキョロキョロさせる。

「ご、ごめんなさい!」

そして廿楽さんは僕にシャボン玉をふきつけて……。


パチン


気がついた時には僕は屋上に大の字に寝転がっていて、廿楽さんの姿はどこにもなかった。シャボン玉も全て消えてしまっている。でも、今はそんなことどうでもいい。廿楽さんの世界を、また見ることができたから。

「やっぱり、すごいな」

僕は胸に手を当てる。わくわくが止まらなかった。あの世界を小説として、一刻も早く残したかった。僕はすぐさま立ち上がり、部室へと一直線に向かった。

部室のドアを開ける。何か落ち着かないなと思っていたら、体験入部の子が何人か、僕の顔をまじまじと見つめていた。僕は気にせず、彼らから少し離れた席に座り、執筆作業に取り掛かった。

「ちょっと、挨拶ぐらいしなよ。後輩くん達が怖がってるよ」

「僕のことはいないものと思っていいよ。僕は小説を書くのに忙しいから」

「あのね君……って、既に心ここに在らずか」

桜森さんは、ため息を吐く。そして僕のノートを取り上げて、その内容を読み始めた。

「返してよ」

「やだね。それより、何か作風変えた?」

僕は顔を顰めた。

「僕の、世界じゃないから」

「どういうこと?」

「廿楽さんって人の世界。すごかったから文芸部に誘ったんだけど、断られた」

「へえ。……って、え!? 君が、誘ったの?」

桜森さんは信じられないという様子で僕を見た。

「何?」

「いや、ちゃんと仕事してたんだなっと。確かに独特な世界だとは思うけど」

「僕がすごいって言ったのに、断られた。変だよね」

「いや、うーん……。少なくとも、見知らぬ人に言い寄られて、逃げない人はいないと思いよ」

桜森さんはまるで屋上での様子を、その場で見たかのように語る。桜森さんの言葉は大体合っているので、僕は顰めっ面で桜森さんを睨むことしかできなかった。


次の日の放課後、僕は部員の誰かに見つかる前に、屋上へと向かった。廿楽さんを勧誘しに行くためだ。

屋上に出た時、僕は目の前の光景に驚愕した。シャボン玉が、溢れていたのだ。屋上から溢れるばかりの。泡風呂にでも浸かっているかのように。そのシャボン玉の群れに飲まれるように、一人の女子生徒が倒れている。

「もしかして、これが全部君の世界なのか?」

あの世界をこんなにも作り出せるなんて、本当にすごい才能だ。でも何故だろうか。倒れている廿楽さんが、苦しんでいるように見えるのは。確かなことは、倒れているということは何かあったということ。取り敢えず、様子を確認しに行こう。

僕は廿楽さんに近づくために、シャボン玉の大群に飛び込んだ。


「どうせ全部壊れるのに、どうせ全部消えるのに」


パチン


「だからこそ、その一瞬が何よりも尊い。その輝きこそ生きている意味だ」


パチン


「これが、廿楽さんの心の中」

一旦足を止める。僕は次々に流れ込む情報に酔い、頭を押さえた。すごい情報量だ。こんなものを一人で抱え込んでいたのか。本当に、天才だ。僕はもう一度、シャボン玉の群れに飛び込んだ。


「この世界に、何の意味がある」


パチン


「意味なんてなくていい。今ここに存在している。それが全てだ」


パチン


「そうだとしても、この世界はいつも身勝手で」


「もう、疲れたんだ」


突然、体が水中に投げ出された。息は、できる。ここも廿楽さんのシャボン玉の中なのだろうか。

僕は辺りを見渡してみた。そして僕は少し先にいる廿楽さんの姿を見つけた。心の窓から大量の水が流れ出している。もしかしてシャボン玉となる前の原液なのだろうか。つまり、あの世界の根源。

「廿楽さん!」

僕はこのままでは行けない気がして、廿楽さんに手を伸ばした。激流に飲まれないように、下から回り込んで、廿楽さんの手を掴む。


パチン


溢れかえっていたシャボン玉が、一斉に消えた。気がつくと僕は、廿楽さんの前に立っていた。廿楽さんはまだ倒れている。

「大丈夫?廿楽さん」

僕はしゃがみ込んで、廿楽さんの肩を軽く叩いて呼びかけた。彼女はどうやら意識はあるらしく、しかしこちらを向きたくないようで、ダンゴムシのように丸まった。

「もう、嫌だ。吐き出しても、溢れてくる。どうすれば、楽になるの?」

廿楽さんは今にも消えてしまいそうな声で、悲鳴を上げた。そうか、分かった。廿楽さんがあの素晴らしい世界をシャボン玉として吐き出していた理由。人の身で抱えきれなかったからだ。それだけ廿楽さんの世界は大きいんだ。

「なら、文字にすればいい」

「え……」

廿楽さんは思いっきり顔を上げた。僕はゆっくりと立ち上がる。

「小説を書くということは、ただ物語を書くという行為じゃない。自分の汚いところ、綺麗なところ、そういうものを他者に伝えるツールだよ。だから僕は小説を書く。自分を知るために、自分を知ってもらうために。君にはそれができる」

廿楽さんは目を大きく見開いた。

「ねえ、僕と」

僕は廿楽さんに手を差し伸べる。

「君の世界を書きに行こうよ」

廿楽さんはもっと、目を見開いた。口をパクパクさせて、瞳を動かす。そして廿楽さんは唇を噛み締めて下を向いた。

「楽に、なるんですか?それで」

「さあ、でも君の世界はすごい。シャボン玉にするなんて、勿体無いよ。で、文芸部に入りたくなった?」

僕は廿楽さんに問いかけた。廿楽さんは目をぱちくりとさせて、僕を見つめるばかりだ。

「……まあ、ゆっくり考えると良いさ」

これ以上は時間の無駄だ。そう切り捨てて、僕は廿楽さん背を向けた。

「ま、待って!……ください」

僕は足を止める。

「な、名前。聞いてなかったから」

「僕の?ああ、言ってなかったっけ?」

僕は廿楽さんの方を向く。

「酒々井だよ、酒々井斗和。じゃあ行くね、僕はこう見えて、小説を書くので忙しいんだ」

「あ、あの、酒々井先輩!」

もう一度呼び止められて、僕は眉を顰めた。

「今度は何?」

「文芸部に、一緒に行っていいですか?」

今度は僕が目を見開いた。驚いた。だがそれよりも、廿楽さんを引き入れられたことに幸福を感じた。あの世界をこれからも、間近で見ることができる。僕はただ口元に薄っすらと笑みを浮かべた。

「そっか。じゃあ、行こうか」

「は、はい!」

廿楽さんは元気よく返事をする。僕たちは並んで、階段を降りた。




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2023年07月26日
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