鉄の塊が、ボクの棲む世界にやって来た。今まで動かない船などが沈んできたことはあったが、今回のはそれらとは少々違った様子だ。
眩しい。微かな光を感知することに優れただけの目がはじめて光に包まれる。眩しくてよく見えないが、やってきた鉄の塊が発しているようだった。
その塊はプロペラで水をかき回しながら移動しているのだが、そのプロペラの音がとてもうるさい。
ボクにとってその塊は不快なものでしかなかった。ボクの全神経があいつに対して拒絶反応を示している。
仲間たちも本能的な何かを感じたのであろう。塊を避けるように軌道を変える。
だが塊は、逃げるボクらを追い回すように進んでくる。
こちらのほうがスピードは速いから逃げ切れるだろうと思ったのだが――一瞬ものすごい光に包まれて、目が眩む。
水中で何かが振り下ろされる感覚がした。逃げようと思っても、目が開かなくてどっちへ逃げたら良いのかわからない。
気付いたときには、ボクは見知らぬ場所に捕らわれていた。
周りを見回すと、一面が明るい。三百六十度どこを見回しても、暗いところなど無い。明るすぎて寧ろ眩しいくらいだったので、また目を閉じることにする。
ほかの仲間たちは見当たらなかった。うまく逃げ切れたか、別のところに捕らえられているのだろう。
それにしても周りの音がうるさい。鼓膜が破れそうなくらい大きな音が、やむことなく鳴っている。ひとつはさっきの塊の音。もうひとつは、聞いたことの無い音。
「やりましたね!」
「いや、これからだよ。どうやってこれを浅海に連れて行くかが問題だ。」
どうやら二種類の聞き慣れない音がボクに向けられているらしい。とてもうるさくて、耳を塞ぎたくなる。
今自分の身に何が起こっているのだろう。
少し目を開けてみると、見たことも無い生物がこちらを見ていた。眩しくて、また目を閉じる。
しばらくしたらボクに向けられ音は遠くなった。多少は耳が慣れたらしく、最初ほど塊の音も気にならない。
丁度良い気温で少し眠たくなってきたかも――
気付いたらボクは眠りについていた。
「――そ―――すか―」
「―――、も――だな。」
向けられた音で、目が覚める。五感がだんだん覚醒してゆき、音がうるさい。まぶたの裏でも明るいのがわかる。
ゆっくりと目を開けてみたが、眩しくてやっぱり目を閉じる。
「じゃあ、スイッチを入れますね。」
「ああ、入れてくれ。」
ガチャリ、と一際大きい音が聞こえた。途端にボクの体は今まで感じたことも無い違和感に襲われる。
「水槽の水あ――順調に―――います。」
「よし―くまで―だぞ――は、折角の―実――が――――う。」
耳がおかしくなる。うるさいはずの音が、良く聞こえない。目は閉じているから視界がどうなっているかは分からない。目は閉じているから視界がどうなっているかは分からない。
……気持ち悪い。
だがしばらくするとその違和感は少しずつ薄れていった。恐る恐る目を開けてみると、やはり視界は明るい。眩しくてゆっくりと目を閉じる。だが眩しさは先ほどよりは薄れた気がした。目もなれてきたのだろう。音もここにつれてこられた当初に比べたら格段に気にならなくなっており、絶えず鳴っている塊の音はもうほとんどその場を流れる空気のようになっていた。
「取り敢えず死んではいなさそうだな。」
「ええ、そうですね。」
「これからどのくらいの期間がかかるかな――」
そんな音が聞こえた。
それからしばらくの間、そういった囚われの日々が続いた。水槽の中にはボクの食べるプランクトンがたくさんいたから空腹になる心配はなかった。まあ、そいつの味はあまり良く無かったのだが。
あのとき感じた違和感は定期的にやってきたが、回数を重ねるごとにそれは薄れていった。
少しずつ目や耳もこの環境に慣れてゆき、今では眩しくて目を閉じることは無くなった。音も煩いと感じることは無い。最初はあんなに喧しかった鉄の塊が発する音だって、今ではほとんど聞こえない。
そんなある日のことだった。
「もうそろそろ、ですかね。」
「ああ、もういいだろう。ついにこの日がやってきたのか。」
ボクに向けられた音。次いで、今まで閉ざされていた水槽の天井が外される。
――何をされるのだろうか。
毎日ボクに向かって音を発していた生物が、ボクの体に触れる。水の外へと出されて、息が出来なくなる。
台の上に載せられて、体中を触られた。
「小型センサー、取り付け完了しました。」
「了解。それにしても、こいつは俺らがこんなに触っても全然暴れないんだな。」
今までとは少し違った雰囲気の音。そんなことはどうでも良かった。どう頑張っても息が出来ない。苦しい。
口をパクパクさせ、えらを精一杯動かしていると、彼らはやっとボクを水槽の中に戻してくれた。いつもの水の中に入り、一安心する。だが、それもつかの間。
「水深五十メートル。ここでこいつを放します。」
「よし。それじゃあ、いくぞ。」
聞き慣れた音が聞こえたと思ったら、今度は床が外れる。また何かされるのかな。そう思うと、ここから動きたくなくなる。
「――動きませんねえ。」
「大丈夫。ちゃんと動くはずだから。」
遠くから、そんな音が聞こえる。外された床の外の世界を見てみると、そこには見たことも無い綺麗な世界が広がっていた。ボクの仲間みたいな、けどボクの仲間たちなんか比べものにならないくらい綺麗な者たちが楽しそうに泳いでいる。
――――美しい。
気づいたら、ボクはその世界へと飛び出していた。
その世界は、光に満ち溢れていた。囚われる以前にボクがいた世界とは大違いだ。
ボクにはまだ少し眩しくて、目を閉じる。それでも美しい世界がみたくて、また目を開ける。
そんなことを繰り返しているとだんだん光に目が慣れていって、すぐに目を開けて自由に泳げるようになった。
こんな美しいところを泳ぎまわれるなんて、こんな素晴らしいことはなかった。
銀色の群れが目の前を通り過ぎ、青い群れは踊りまわる。
どうやらこの世界には明るい時間と暗い時間があるみたいだから、明るいときは泳ぎまわり暗いときは眠った。
ここにもプランクトンはいたから、食べものには困らなかった。
この世の全ての美しいものを集めたような世界で暮らす、幸せな日々。
だが、その幸せも長くは続かなかった。
何度か眠ったある日のこと。ボクはこの美しい世界に一匹だけ、ボクの仲間みたいな汚い者がいることに気づいた。奴は決まって人間が落としていったぴかぴかの板のところで、なぜかボクと同じ動きをする。ボクはそいつが嫌い、出来るだけそこにいかないようにしていた。
もうひとつ、気づいたことがある。誰もボクに近づこうとはしないのだ。他の奴らは群れになっていたり、楽しそうに二匹でいたりするのに、ボクだけはいつも一人だ。たまに現れる美しい者を襲う怖い者でさえ、ボクのもとへ近づこうとはしなかった。少しずつ不安になってくる。
どうしてみんなボクから離れてゆくの? ボクが外から来た奴だから?
もしかしたら、ボクは――――――
気づいたらいけないことに気づいたとき、ボクは本能的に暗い暗い海の底へと泳いでいた。
とにかく底へ向かっていた。そこがボクの居場所だと本能的に感じた。あの世界はボクの居るべき世界ではないのだと。
だから、とにかく底へ。
なぜだかだんだん体が重くなってくる。苦しい。
だがいくら苦しくても、底へ、暗い世界へ。
上には溢れていた光がだんだん弱くなり、音が聞こえなくなる。昔はほんの少しの光でも明るくて、音もよく聞こえたはずなのに。
だんだん苦しくなって、耐え切れなくなる。何かに上から押さえつけられる感覚。
そして終に、ボクの意識は完全に途切れた。
「間一髪でしたね。」
「もう少しで、水圧で押しつぶされて死んでしまうところだったからな……。センサーをつけておいて正解だったか。」
遠くから聞き慣れた、どこか懐かしいような声が聞こえる。
目を開けようとするが――おかしい。目が開かない。
「目はやられてしまったようですね。」
「ああ……だがどうして海底に戻ろうとしたのだろう?」
「その辺はもう少し研究が必要かと。」
ボクはまた彼らに捕らえられたらしい。鉄の塊がプロペラで水をかき回す音は聞こえなかったけど。
「それにしてもすごいですね、博士。浅海でも生きる深海魚。遺伝子操作などは一切しておらず、餌と水圧操作だけでそんな奴を生み出すなんてノーベル賞モノですよ!」
「何を言う、まだこれからだよ。我々の目標は『浅海でも深海でも生きられる魚』を生み出すこと、さ。さて、今度はもう一度深海で生きられるよう、徐々に水圧を上げていくぞ。」
「はい。」
以前何度も感じてきたものにも似た違和感が、ボクを襲った。
眩しい。微かな光を感知することに優れただけの目がはじめて光に包まれる。眩しくてよく見えないが、やってきた鉄の塊が発しているようだった。
その塊はプロペラで水をかき回しながら移動しているのだが、そのプロペラの音がとてもうるさい。
ボクにとってその塊は不快なものでしかなかった。ボクの全神経があいつに対して拒絶反応を示している。
仲間たちも本能的な何かを感じたのであろう。塊を避けるように軌道を変える。
だが塊は、逃げるボクらを追い回すように進んでくる。
こちらのほうがスピードは速いから逃げ切れるだろうと思ったのだが――一瞬ものすごい光に包まれて、目が眩む。
水中で何かが振り下ろされる感覚がした。逃げようと思っても、目が開かなくてどっちへ逃げたら良いのかわからない。
気付いたときには、ボクは見知らぬ場所に捕らわれていた。
周りを見回すと、一面が明るい。三百六十度どこを見回しても、暗いところなど無い。明るすぎて寧ろ眩しいくらいだったので、また目を閉じることにする。
ほかの仲間たちは見当たらなかった。うまく逃げ切れたか、別のところに捕らえられているのだろう。
それにしても周りの音がうるさい。鼓膜が破れそうなくらい大きな音が、やむことなく鳴っている。ひとつはさっきの塊の音。もうひとつは、聞いたことの無い音。
「やりましたね!」
「いや、これからだよ。どうやってこれを浅海に連れて行くかが問題だ。」
どうやら二種類の聞き慣れない音がボクに向けられているらしい。とてもうるさくて、耳を塞ぎたくなる。
今自分の身に何が起こっているのだろう。
少し目を開けてみると、見たことも無い生物がこちらを見ていた。眩しくて、また目を閉じる。
しばらくしたらボクに向けられ音は遠くなった。多少は耳が慣れたらしく、最初ほど塊の音も気にならない。
丁度良い気温で少し眠たくなってきたかも――
気付いたらボクは眠りについていた。
「――そ―――すか―」
「―――、も――だな。」
向けられた音で、目が覚める。五感がだんだん覚醒してゆき、音がうるさい。まぶたの裏でも明るいのがわかる。
ゆっくりと目を開けてみたが、眩しくてやっぱり目を閉じる。
「じゃあ、スイッチを入れますね。」
「ああ、入れてくれ。」
ガチャリ、と一際大きい音が聞こえた。途端にボクの体は今まで感じたことも無い違和感に襲われる。
「水槽の水あ――順調に―――います。」
「よし―くまで―だぞ――は、折角の―実――が――――う。」
耳がおかしくなる。うるさいはずの音が、良く聞こえない。目は閉じているから視界がどうなっているかは分からない。目は閉じているから視界がどうなっているかは分からない。
……気持ち悪い。
だがしばらくするとその違和感は少しずつ薄れていった。恐る恐る目を開けてみると、やはり視界は明るい。眩しくてゆっくりと目を閉じる。だが眩しさは先ほどよりは薄れた気がした。目もなれてきたのだろう。音もここにつれてこられた当初に比べたら格段に気にならなくなっており、絶えず鳴っている塊の音はもうほとんどその場を流れる空気のようになっていた。
「取り敢えず死んではいなさそうだな。」
「ええ、そうですね。」
「これからどのくらいの期間がかかるかな――」
そんな音が聞こえた。
それからしばらくの間、そういった囚われの日々が続いた。水槽の中にはボクの食べるプランクトンがたくさんいたから空腹になる心配はなかった。まあ、そいつの味はあまり良く無かったのだが。
あのとき感じた違和感は定期的にやってきたが、回数を重ねるごとにそれは薄れていった。
少しずつ目や耳もこの環境に慣れてゆき、今では眩しくて目を閉じることは無くなった。音も煩いと感じることは無い。最初はあんなに喧しかった鉄の塊が発する音だって、今ではほとんど聞こえない。
そんなある日のことだった。
「もうそろそろ、ですかね。」
「ああ、もういいだろう。ついにこの日がやってきたのか。」
ボクに向けられた音。次いで、今まで閉ざされていた水槽の天井が外される。
――何をされるのだろうか。
毎日ボクに向かって音を発していた生物が、ボクの体に触れる。水の外へと出されて、息が出来なくなる。
台の上に載せられて、体中を触られた。
「小型センサー、取り付け完了しました。」
「了解。それにしても、こいつは俺らがこんなに触っても全然暴れないんだな。」
今までとは少し違った雰囲気の音。そんなことはどうでも良かった。どう頑張っても息が出来ない。苦しい。
口をパクパクさせ、えらを精一杯動かしていると、彼らはやっとボクを水槽の中に戻してくれた。いつもの水の中に入り、一安心する。だが、それもつかの間。
「水深五十メートル。ここでこいつを放します。」
「よし。それじゃあ、いくぞ。」
聞き慣れた音が聞こえたと思ったら、今度は床が外れる。また何かされるのかな。そう思うと、ここから動きたくなくなる。
「――動きませんねえ。」
「大丈夫。ちゃんと動くはずだから。」
遠くから、そんな音が聞こえる。外された床の外の世界を見てみると、そこには見たことも無い綺麗な世界が広がっていた。ボクの仲間みたいな、けどボクの仲間たちなんか比べものにならないくらい綺麗な者たちが楽しそうに泳いでいる。
――――美しい。
気づいたら、ボクはその世界へと飛び出していた。
その世界は、光に満ち溢れていた。囚われる以前にボクがいた世界とは大違いだ。
ボクにはまだ少し眩しくて、目を閉じる。それでも美しい世界がみたくて、また目を開ける。
そんなことを繰り返しているとだんだん光に目が慣れていって、すぐに目を開けて自由に泳げるようになった。
こんな美しいところを泳ぎまわれるなんて、こんな素晴らしいことはなかった。
銀色の群れが目の前を通り過ぎ、青い群れは踊りまわる。
どうやらこの世界には明るい時間と暗い時間があるみたいだから、明るいときは泳ぎまわり暗いときは眠った。
ここにもプランクトンはいたから、食べものには困らなかった。
この世の全ての美しいものを集めたような世界で暮らす、幸せな日々。
だが、その幸せも長くは続かなかった。
何度か眠ったある日のこと。ボクはこの美しい世界に一匹だけ、ボクの仲間みたいな汚い者がいることに気づいた。奴は決まって人間が落としていったぴかぴかの板のところで、なぜかボクと同じ動きをする。ボクはそいつが嫌い、出来るだけそこにいかないようにしていた。
もうひとつ、気づいたことがある。誰もボクに近づこうとはしないのだ。他の奴らは群れになっていたり、楽しそうに二匹でいたりするのに、ボクだけはいつも一人だ。たまに現れる美しい者を襲う怖い者でさえ、ボクのもとへ近づこうとはしなかった。少しずつ不安になってくる。
どうしてみんなボクから離れてゆくの? ボクが外から来た奴だから?
もしかしたら、ボクは――――――
気づいたらいけないことに気づいたとき、ボクは本能的に暗い暗い海の底へと泳いでいた。
とにかく底へ向かっていた。そこがボクの居場所だと本能的に感じた。あの世界はボクの居るべき世界ではないのだと。
だから、とにかく底へ。
なぜだかだんだん体が重くなってくる。苦しい。
だがいくら苦しくても、底へ、暗い世界へ。
上には溢れていた光がだんだん弱くなり、音が聞こえなくなる。昔はほんの少しの光でも明るくて、音もよく聞こえたはずなのに。
だんだん苦しくなって、耐え切れなくなる。何かに上から押さえつけられる感覚。
そして終に、ボクの意識は完全に途切れた。
「間一髪でしたね。」
「もう少しで、水圧で押しつぶされて死んでしまうところだったからな……。センサーをつけておいて正解だったか。」
遠くから聞き慣れた、どこか懐かしいような声が聞こえる。
目を開けようとするが――おかしい。目が開かない。
「目はやられてしまったようですね。」
「ああ……だがどうして海底に戻ろうとしたのだろう?」
「その辺はもう少し研究が必要かと。」
ボクはまた彼らに捕らえられたらしい。鉄の塊がプロペラで水をかき回す音は聞こえなかったけど。
「それにしてもすごいですね、博士。浅海でも生きる深海魚。遺伝子操作などは一切しておらず、餌と水圧操作だけでそんな奴を生み出すなんてノーベル賞モノですよ!」
「何を言う、まだこれからだよ。我々の目標は『浅海でも深海でも生きられる魚』を生み出すこと、さ。さて、今度はもう一度深海で生きられるよう、徐々に水圧を上げていくぞ。」
「はい。」
以前何度も感じてきたものにも似た違和感が、ボクを襲った。
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