三年生、開来山人です。やや遅くなってしまいましたが総文祭の報告を書きたいと思います。面倒くさがりなので、大雑把な報告になると思います。
「第37回全国高等学校総合文化祭長崎大会文芸部門」(俳句)
とき:8月2日~4日(前泊後泊したので5日間滞在)
ところ:長崎県立大学シーボルト校
一日目、文学散歩。原爆資料館、平和公園、歴史文化博物館、県立図書館、諏訪神社。街を一日中廻って感じたのは、長崎の歴史は何だって含んでいるな、ということでした。鎖国外交、蘭学、キリスト教迫害、明治維新、原爆……一日で廻れる街の中に、これだけの歴史が詰まっているのは、北海道・旭川の自分には驚きでした。坂が多いとか、暑いとか、それだけではない風土の差異があるのだな、と感じました。
二日目。分科会です。ご当地俳句、俳句ビンゴといった交流の後、吟行句、総文祭出品句を講師の野中亮介先生(馬醉木)に批評していただきました。当日句のみならず、出品された全句(37人×3句)の丁寧な講評をいただけるとは思っておらず、感激でした。終りにはミニ俳句講座もしていただきました。
以下、いくつか先生のコメントをメモ。
○俳句というのは常に弱者の方に立つ。
○季語はコード。知識として働く。(夕顔と言えば、源氏物語を思い出す)
○「帰り道」が多い。流行ってるのかな。工夫を。
(下五「帰り道」の句が多くあったことから)
○固有名詞はきかせなきゃ。注意して、仕掛けになるように。
またこの日の夜、一部の生徒によるホテル句会に参加。沖縄のRさん、O君、仙台のNさん、福井のK君。
俳句レベルの高い他校勢と直接かかわって、僕は打ちのめされました。こりゃかなわん。俳句甲子園では、こういうところと戦わなきゃならぬのか。……という感じで。旭東の俳句の足りない部分が見えたような気がします。例えばとっさの鑑賞。句会での愛溢れる、作者以上の鑑賞に触れると、旭東のコメント力の無さを確信します。俳句甲子園までにわが部の俳句力アップを図らねば、勝てない、と思い、帰ったら色々練習を工夫しようと決めました。
総文祭としては以上のようなところです。すぐ上に書いた通り、総括すると「打ちひしがれた」です。へなちょこ文化部が「打ちひしがれた」体験をするなんて稀。引退までのこりわずかですが、部の俳句活動の質の向上を図って、いくつかアクションを起こしたいです。引退の日のブログにその成果を書けたら嬉しい……。
最後に、長崎でつくった俳句を。
坂登り終へ夕焼に造船所
八月のひとり歩きの速さかな
逝く夏や手摺に薬指触るる
風琴の音あり葛の茂りけり
かの街の泉に像のあると言ふ
てんと虫にはかに空へ戻りけり
風死せる階段登りきつてシェー
写真師と長い散歩や雲の峰
話し終へ噴水急に高くなる
天井の鎖やや揺れ劫暑かな
どの書にも乱れありけり晩夏光
繙けば晩夏となりぬドゥフ・ハルマ
源内も子平もゐるよ夏休
エレキテル廻す晩夏の中にをる
青蔦や出島を示す渾天儀
先端に十字の塔や朱夏の旅
| 20:03
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