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北海道新聞社主催、第55回有島青少年文芸賞にて2年吉田圭佑の詩「O Contradictio」が最優秀賞を受賞しました。

また、11月28日の北海道新聞朝刊22面23面で特集されていますので、もし宜しければご覧になってください。


以下、受賞作です。
――――――――――――――――――――――
O Contradictio


   Ⅰ 国家検閲済み

「地味と滋味」
表だけ見てはいけません
大切なのは中身です
渋い顔をせず取り込みましょう
各自判断で吐いても良いです
(改)それが如何に醜くても

「衝動と聖道」
ひたすらに我慢あるのみです
世の中は全て我慢と受諾
全てを受け止めたその時
人は聖人へと成り得るのです
(改)いくら修行を積んだとしても
女、酒には目を向けます
抗おうとも無駄でしょう
聖人である前に動物ですから

「則とノリ」
周りの軽率な風潮に
流されてはいけません
大河があってそこで初めて
別々の流れを作れるのです
(改)その遥か上に絶対的な
規則が有るのをお忘れなく

「芥とACTER」
人を選別してはいけません
無駄も誰かにとっては芸術であり
命もそれぞれ選択肢があり
可能性があり希望があります
(改)常に何かを生み出して
我々自身を豊かにしましょう
非生産的、無気力的なら
塵芥も同然なのですから

「後悔と航海」
数え切れない後悔をしましょう
果てしない航路を往くことで
新しい大陸を美しい山を
発見でき得るのです
(改)過ぎ去る事象一切に対して
思い巡らすのは無駄です
今の時代に海路を辿り
世界一周を目論むように

「紙価と詞華」
言葉は集合してこそです
集合し、目に入った時
白い背景と相まって
(改)言葉は常に紙を与えられ
その言葉が高次的な程
より高級な紙を得て
より一層に輝きます

「武闘と舞踏」
美しい舞には
それを支える肉体があります
そしてそれを動作させる
確固たる意志で成り立ちます
(改)高い跳躍は逞しい肢から
美と力とは比例です

「怒りと錨」
自己防衛の感情です
「怒りっぽい」は個性なのです
船も一度錨を下げないと
止まらないようなものですから
(改)それは貴方を束縛し
暗い彼方へと沈めます
暗さと無音と冷たさが
貴方の全身を錆びつかせます

「王と翁」
いつか猛威を振るった王も
皆に等しく優しい王も
いつかは白髪を携えて
次の王の礎となります
(改)歯と知力とを失います

「起源と期限」
我々のスタートを知ることで
今の地点を確認できます
我々のルーツを知ることで
そこから解決策が出る時も
(改)後ろを向きながら走ると
前への意識が疎かになり
やがては躓き
歩み遅れます

「鉄と哲」
鉄は錆びて心理は変わり
今までの「はい」が「いいえ」になり
また最初から築き上げる
その手間を惜しんではいけない
(改)真鍮のように永遠に輝き
切れ目はおろか曲げも出来ない
この完璧かつ美しい構造に
我々は生かされているのです

「自己と事故」
人と人とは
いつも事故を引き起こします
そうして衝突する事で
貴方はやっと過ちを感じます
(改)私たちと共に
頑張りましょう



   Ⅱ 遠くに吠えるうた

この頃 向いの家の犬が
真夜中によく 吠えている
空気が澄んだ この町は
犬のダミ声も よく通す

何が不服で 吠えているのか
それは 遥か西の
革靴の雑踏が
耳障りなのかしら
あの高慢で 帝国主義で
孤独を孕んだ あの靴音が

或いは 北の大氷塊が
落ちる音か
ぽっかり開いた天の穴から
じりじり焼かれ
断末魔を上げる
あの声が

いいや 東の大演説家に
違いない
全てを拒み 鉄壁を築き
摩天楼を築く指示を出す
あの雄弁が

それとも 南の風が
唸る音かも
幾重もの雲を従え
計算不能のルートを辿る
大気の螺旋が

兎にも角にも 家の向いの
ナチュラリストで 国際主義な
犬がよく 吠えている



   Ⅲ 夢見がちなcapriccio

松がある
火の粉を 降らし
自身を 焦がして
乱立する 松

月がある
太陽に 憧れ
大きくなって
鉄の心を 晒している
荒れ果てた 月

湖がある
住む魚を 息詰まらせ
微小な生物すら 溶かし尽くす
ひとりぼっちの 湖

骨がある
獣でもない 人でもない
所有者を持たず 尖っている
風に鳴る 骨

鳥がある
これから 山の連続を
飛び続ける 航路の上の
所在を持たぬ 鳥

虫がある
生まれ 唯まぐわうだけの
エチュードを 奏でる
跳躍する 虫

私がある
絶世とも言える
この舞台で
このまま静かに
終結していく 私を夢む
Ritardando
薄紅の拍動



   Ⅳ 因果交流電燈

●いたみ
アア、ア
デウス様 聞コエマセウカ
アナタ様ヲオ慕イシテオリマシタ
(耳鳴リガスル)

サウスレバモウ 苦シマズニ
“ぱらいそ”ヘ行ケルト
思イ上ガツテオリマシタ
(爪、剥ガレタ)

今、家モ、山モ、クロスモ、空モ、
アノ人懐ツコイ野良ノ猫モ
誓子モ、拓郎モ
焼カレタノデス 引キ裂カレタノデス
押シ潰サレ 揉ミシダカレ
紙切ノヤウニ 折ラレタノデス
(腹モパツクリ割レチマツタ)

コレハ“ぱらいそ”デセウカ
コレガ“御加護”デセウカ
アア、イ、痛イ 背ガメクレテイル
手、手モ痛アアア
喉ガジボンデグル
景色ノ白、白、白、白
アア、セメ、テ、オ答エ、ォ



●いつくしみ
にわをふらふら
あるいていたら
ぴかぴか ひかる
ばらがさいてた
がらすのばら
がらすのばらは
いちりんだけ
そのほかみんな
ふつうのばら
それを
ながめていたら
あめがふりだし
かぜもふきだし
いつのまにやら
あらしになった
がらすのばらに
ひびがはいって
はなびらひとつ
おちて われた
かぜにふかれて
またひとつ
しずくがおちて
またひとつ
みずのおもみで
またひとつ
かみなりのおとで
またひとつ
僕はこまった
こまって こまって
こまったあげく
そこらのばらを
ぜんぶ切って
がらすのばらを
野晒にした

そしてばらは
さしこむ ひかりに
たえきれなくて
さいごのはなびらを
おとしていった



   Ⅴ ときのうた

白い巨塔
果てなくそびえ
象眼に満ちる
回廊を行く

塔の中は
発条でまみれ
その一動作が
西日を受け光る

その金属音との間に
呻く声、泣く声
鉄の歪み出す音
火の咆哮

母を求める黄色い声が
そのまま
火の粉になったようで
火が消えたように
その子も居なくなったろう

祈りの声も
「十戒」よろしく
口裂けるほど
叫ぶように
もはや何の敬意も称さず

高温が、波打つように
耳を撫で、頬をノックする
その実体だけだ
感じが分からない

歩を進める
象眼は薄れ
熱も消えたが
不感な俺への疑問が
残った

塔の小窓から
白い気体が立ち込めている
雲海を抜けたことは
それと強い光で知った

その窓から
天使が腰を下ろしている
頭の輪は
交信するように
疲弊を必死に伝えている

矢尽き 弓折れ
背中の翼は もぎ取られ
光沢のある骨の尖りと
青白い血を晒している

「辞職してやる
人間八十億人より
俺の庭の
咲きかけのシラサギが
気がかりだ!」

そういって退職届を
持ち忘れたまま
憔悴の表情で
空に落ちていった

踵を返すと
強風が吹き
髪が逆立つ
外の空気は…
やはり匂わない

屋上は
もうそこらが剥げて
天に一番近い所だと
貼り紙が告げている(赤い字で)

集合墓地
大時鐘
無情な光線が
待ち受ける

日本の墓石から
十字架
粗末な石塔
黄金の棺
晒された首…

そこに一つ
無名の墓石
ひたすらに黒い
吸い込まれそうな
艶やかさが

瞬間
鐘の音が空を断つ
理解した
定刻の合図だ
復僕は
この塔を登る
確定事項であった


 「助詞から『花間一壺』を見晴るかす」 旭川東 三年 柳元佑太


 田中裕明は、岸本尚毅や櫂未知子、長谷川櫂や小澤實らと共に活躍した、いわゆる昭和三十年代俳人の一人である。一九五九年、大阪市生まれ。高校生のころ島田牙城に誘われ「青」に入会し、波多野爽波の選を受け、京都大学在学中に、史上最年少二十二歳で角川賞を獲る。二〇〇四年の十二月三十日、骨髄性白血病による肺炎で、四十五歳という若さで逝去した。(『セレクション俳人 田中裕明集』収録「田中裕明略歴」/二刷 を参照) 

 裕明には、句柄の転換期があると評されることがあり、岸本尚毅の「句集解題・それぞれの句集について」(『田中裕明全句集』) でも前期と後期に分けて語られている。前期は、第一句集『山信』第二句集『花間一壺』第三句集『桜姫譚』の、二十代から三十にかけて。後期は、第四句集『先生から手紙』、死後に刊行された第五句集『夜の客人』の、三十から四十代にかけての、晩年と呼べるような時期にあたる。前期は、豊富な型と凝ったレトリック、後期は、平明かつ明るい詩情によって特徴づけられるように思う。

 ぼくは、前期と後期どちらが好きかと問われると、結構困ってしまう。ミーハーめいたことをいうと、前期も後期も好きなのだ。ただ、おそらくぼくは、前期と後期の句をそれぞれ異なるやり方で面白がっているのではなくて、裕明の句のなかに一貫して流れている何かを好んでいるゆえ、前期の句も、後期の句も好きなのだと思う。裕明評にはこれからも何度も挑戦するつもりなので、一貫して流れる何かについては、少しずつその水脈を辿っていきたい。

 まず今回はその序章として、『セレクション俳人 田中裕明集』から第二句集『花間一壺』を鑑賞してみる。『花間一壺』は、牧羊社から一九八五年に刊行された句集で、裕明の二十一歳から二十五歳の時期にあたる。角川賞を獲った「童子の夢」五十句からも、〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈あゆみきし涅槃の雪のくらさかな〉などの十一句が収録されている句集でもある。

 『花間一壺』には、平面で澄んだ詩情といった後期の裕明の句の文脈では掬い取れない面白さがあるので、本論ではそこを掘り下げて見ていきたい。

 裕明は取り合わせを中心に語られることが多い。『花間一壺』にも、惚れ惚れするような取合わせの句がいくつもある。

天道蟲宵の電車の明るくて

桐一葉入江かはらず寺はなく

雪舟は多くのこらず秋螢

夏やなぎ湯を出て肩の匂ひけり

鋭きものを恐るる病ひ更衣

 どれもぼくの愛唱句だ。一句目には、明るい〈宵の電車〉と取合わせられた、〈天道虫〉の生活感のある儚さがあるし、二句目には、緩やかで無常な空間がある。三句目は長い時間を経た〈雪舟〉と〈秋螢〉が時間をはるけきものにする。どの句も裕明の代表句といって良いはずだ。

 ただ、これらは『花間一壺』のなかでは割に平明で、語りやすい句だ。そして、平明ではなく、語りにくい句が、『花間一壺』にはたくさん見受けられる。むしろ『花間一壺』を特徴づけるのは、そのような句であるようにも思うのだ。

 それらを鑑賞するために、今回は取合わせではなく、裕明の独特な助詞に注目してみたい。裕明の助詞のなにが独特なのかというと、一句を文法的に切らない助詞を、積極的に選ぶという点である。

 『セレクション俳人 田中裕明集』収録の、小澤實による「平安の壺」と銘打つ『花間一壺』評のなかでも、〈ぐだくだと一行が続いていく。すっきりしない。短歌的な印象がある。〉とやや否定的な側面から、そのことについて触れられている。小澤が引用している句を引いてみる。

この旅も半ばは雨の夏雲雀

 たしかにこの句はある種、短歌的だという指摘を受け付ける。それはおそらく、中七の最後の助詞「の」に起因する。

 旅の最中、雨が降り出してきた。振り返れば前回の旅も雨だったはずで、またしても旅の半ばは雨だ。そんな思いを抱いたとき、どこからか夏雲雀の声が聞こえる、あるいは夏雲雀が横切った——句意はこれくらいだろう。この句意を鑑みるに、措辞と〈夏雲雀〉との取り合わせであるから、中七に意味としての断絶を持つはずであり、前述の指摘を避けるには〈この旅も半ばは雨よ夏雲雀〉とでもすればよいはずである。

 しかしながら裕明はここを「の」で繋ぐ。ぼくには、これが成功しているか失敗しているかは分からないけれど、少なくとも短歌的だ、などとして簡単に失敗と言い切ってはいけない何かがあることも、同時に思う。短歌的であるというのはあくまでも副次的なものであり、裕明にとってのメインパーパス、意図したところはこれではなかったように思うのである。

 ではその意図するところはなんであったのかというと、それは非常に言語化しづらくて、ひとまずぼくが考え得るところを記す。

 この助詞「の」は、文法により、断絶されるべき二者のスキマティックな結びつきを強めることで、二者があたかも意味上の断絶を乗り越えて、意味としてすら結びついているような感覚を生み出しているのではないだろうか。(以後、語彙と文法により理解される句の意味を「本来的な句意」、文法による裏打ちしか持たないスキマティックな句の意味を「文法的な句意」と呼ぶ)

 抽象的になってしまったので、この句において換言してみる。〈この旅も半ばは雨〉と〈夏雲雀〉は、意味の上では断絶を持つはずの取り合わせであるにも関わらず、その二者が切れを挟んで対等な関係として並置されないように、助詞「の」で繋がれる。「文法的な句意」の獲得により、二者が意味とは別の空間——文法の空間——で、相互に関わり合う。それにより、〈この旅は半ばは雨の〉というイメージを引き受けた〈夏雲雀〉が「本来的な句意」の裏側、意味で回収しきれないねじれの位置に潜むことになるのである。

 おそらくぼくたちのプリミティブな読みにおいて、「本来的な句意」と「文法的な句意」は、互いを排斥する関係にはない。もちろん最後は「本来的な句意」に「文法的な句意」は回収されると思うのだけれど、その回収された分の情報が、「本来的な句意」に言語化されない詩情として、影響を及ぼすのではないか。あるいは、それが「本来的な句意」によって回収されないことによって、「本来的な句意」を回収したにも関わらず、まだ句がなんらかの詩情を含有しているような感覚が生じるのではないか。上五中七のイメージを多分に受け止めた〈夏雲雀〉の淡い明るさが、ぼくは好きなのである。
 このような使い方の助詞が現れている句は『花間一壺』において、他にもある。

いちにちをあるきどほしの初櫻

 〈いちにちをあるきどほし〉という措辞と〈初櫻〉が並置される関係を超えて結びつく。〈いちにちをあるきどほし〉である主体は〈わたし〉であるにも関わらず、文法的に主体になり得る可能性を秘めた〈初櫻〉がこの句においては主体のように振る舞う。この時、一瞬ぼくたちは歩きどおしで疲れのある〈わたし〉の身体と、春先でまだ冷たい幹を持てる〈初櫻〉が重なるような身体感覚を引き受ける。

 裕明特有の助詞「の」の使用法は、〈意味における切れ〉と〈文法における切れ〉をずらすことにより、単純明快な二者の振幅の構造により理解されることを拒む。意味でないところで二者の結びつけを強め、多層的な質感を演出するのだ。

 そういえば昔、祖父母の家に行くと、なぜだか分からないけれど、大量のセロファン紙があった。赤、青、黄、緑。どれも半透明で、何色重ねてもぼやっと向こう側のひかりが見える。小さい頃のぼくは、そのひかりにドキドキした。

 裕明の助詞「の」は、これに似ていると思う。その向こうからやってくるひかりを遮らずに、様々なイメージを幾重にも重ね合わせ、詩情に重層性を持たせるのである。

思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟

さだまらぬ旅のゆくへに盆の波

 また、助詞「に」も、独特の使い方がされている。「に」で繋がれている二者も、一般的には取合わせとして書くべき内容であるはずのものなのである。一句目と二句目ともに、中七で切れを伴うのが普通だ。しかしながら裕明は、これも緩やかに助詞を用いて繋いでゆく。

 このように使われる助詞「に」は〈概念を場所化する〉とでも言おうか。句において具体的に換言してみる。

 一句目、〈思ひ出せぬ川のなまへ〉というわたし的な概念を「に」によって場所化し、水がたゆたうぼんやりとした空間として立ち上げる。そしてこれにより〈藻刈舟〉が浮かぶことができる空間を確保する。意味としては概念を書いているにも関わらず、テクニカルな助詞により、〈川に舟が浮かんでいる〉という景を具象的に喚起するという、非常に技巧的なことが起きている。

 二句目もそうだ。〈さだまらぬ旅のゆくへ〉という概念を、助詞「に」によって、さもそれが物質的な空間であるかのように立ち上げる。そしてそこには〈盆の波〉が寄せては引いていく。裕明の助詞「に」は、概念のなかに現実を引き入れ、概念を現実と同じ段階のように見せるのだ。

探梅やここも人住むぬくさにて

午後もまた山影あはし幟の日

この旅も半ばは雨の夏雲雀

月もまた七種いろに出でしかな

山茱萸の道も三日を経にけるや

柳散る夜もうるはし上京は

まひるまも倉橋山の枇杷の花

影もまたひとり酔へるか春の月

 今度は、『花間一壺』において助詞「も」が見られる句を引いてみた。この句数を見ればわかる通り、助詞「も」を含む型は、とりわけ裕明が好んで使うものの一つだ。そういえば第一句集『山信』に収められている初期の代表句〈大学も葵祭のきのふけふ〉にも、この助詞が見られる。そう言った意味で助詞「も」は、裕明の志向がよく表出しているものなのではないかと思う。

 二句目。〈午後もまた〉という措辞の前提にあるのは、「午後以外の時間」だ。ぼくたちがこの句に時間の流れを感じるのは、ひとえにこの助詞の効果である。

 七句目〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉もそうだ。〈まひるまも〉の措辞の背景にある淡さは〈まひるま以外の時間〉によって裏打ちされている。〈倉橋山〉という固有名詞のゆかしさや閉鎖性も相まって、現実から乖離した永遠性の明るさが、そこに現れる。

 しかしながら、助詞「も」は写生という概念と相性が悪い。眼前にあるものを言葉で写し取ろうとするとき、写し取ろうとする対象とは別のものの存在を添加する「も」は、写生にとっては過分な情報であるからだ。

 写生の理論の反対を向いているという点では、助詞「の」、助詞「に」の使い方にもこれは通じるだろう。

 なぜ裕明はこのような助詞を使うのか。

 それは、裕明が写生よりも詩情を優先する俳人であったからである。ゆえに、写生の考えが制限をかけるテリトリーを侵してでも、技巧的な手段を用いて詩情を生み出そうとする。

 晩年に創刊、主宰した「ゆう」の創刊の言葉には、「写生と季語の本意を基本に詩情を大切にする」とある。ぼくには、これは詩情を「主」とし、写生を「従」とする、という宣言にすら聞こえる。前期、後期ともに、なによりも詩情を重んじるという姿勢を裕明は貫いているのだ。

 その意識が、前期においては、複雑な助詞——写生でなく詩情を重視した結果——として、現れているのではないか。輪郭をくっきりと描きとるのではなく、ぼんやりとした水彩画のような滲みを生む助詞こそ、裕明が詩情を描き出すための方法、レパートリーのひとつだったのである。

 といっても、この詩情というのは先に挙げた〈天道虫宵の電車の明るくて〉〈桐一葉入江かはらず寺はなく〉とは、やはり異なる手触りを持つ。〈この度も半ばは雨の夏雲雀〉〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉にはもっとなにか言語的な、抽象的ななにかを感じるのである。

 それは、これまで示してきたように、一句が、助詞や難しい切れという「言語的な装置」を備えているから、というのが一つの理由であろう。そして、その「言語的な装置」は、個人の体験としての〈その夏雲雀〉ではなくて、歴史の中で言葉が引き受けてきた、体系としてのイメージの〈夏雲雀〉へと、ぼくたちを誘う。そこは、体験を媒介として必要としない、直接的な言語イメージの世界なのである。

 そしてそのような読まれ方を、おそらく裕明は了解済みだ。そのうえで、どのように良質な詩情を醸し出すことが出来るか、ということが、『花間一壺』における裕明の一つの挑戦であったように思える。
 
(あとがき)
 高校二年の夏、第十八回松山俳句甲子園で森賀まりさんとご縁があり、そして『セレクション俳人 田中裕明集』に出会った。白状すると、裕明の句の魅力はその頃、全然わからなかった。(今も分かっているかはだいぶ怪しいけれど) ただ、気になった句には印を付けながら読むことにしているので、そのときぼくが裕明のどんな句を喜んでいたかはわかる。

 そして今、その頃と俳句観がかなり変わったなかで、裕明の句集を再び読み直している。しかしながら、現在ぼくが好きな裕明の句の一つに、あのころのぼくはきちんと印をつけていて、ちょっと不思議な気持ちになった。

野分雲悼みてことばうつくしく

 死を悼めば、そのことばがうつくしい、というのは、あるいは抒情過多かもしれない。でも、これはぼくの中で一生大切にされる句であるような予感がとても、する。

 この感覚を信じることができるから、ぼくは俳句を書いてこれたし、これからもたぶん書ける。今回の論はかなり理屈っぽかったが、結局のところ、俳句をやっていけるかどうかは、このように思える句を、どれほど心の中に持てるかだと思う。そして、そのように思える句に高校生のうちに出会えたことを、本当に嬉しく思う。そういった意味で、俳句甲子園がぼくに俳句の入り口を開いてくれたことを感謝しなければならない。

 ついでなので、ちょっとだけ俳句甲子園について書くと、「俳句甲子園が俳句の全てじゃない」ということを俳句甲子園自体が教えてくれる存在であったおかげで、ぼくはちょっとだけ人より多く成長できた気がする。俳句甲子園を終えたぼくには、俳句が残った。俳句甲子園は良い場所だなと思う。

 話を戻そう。裕明の句は、飴玉が溶け出すように、少しずつ素敵なところに気づける。そんなところも、好きだ。それはぼくが単に鈍感なだけなのかもしれないけれど。

 ただ、だいぶ前に舐めたその飴玉は、今もまだ、ぼくの口の中にある。全然舐め終わらないうえに、そもそも何の味なのか、舐めている今も実はよくわかっていない。困った。

*句は正字表記ですが、都合により一部新字としています。

(参考文献)
『セレクション俳人 田中裕明集』 邑書林/二〇〇三 
『田中裕明全句集』 ふらんす堂/二〇〇七

「高校生らしさ」について思うこと (柳元佑太)

「高校生らしさ」という言葉は、反感を憶えていた言葉のひとつだった。
とまあ、過去形であるのは、既に自分の中で折り合いの付いている言葉であるからだ。ようするにそんなことを気にしなければ良いのだ。ぼくは書きたいものを書く。
けれども「高校生らしさ」という言葉自体に、そのままにしておけないあやふやさは未だに感じている。それに、「高校生らしさ」について高校生が語るという、青臭い面白さを見過ごすことはできない。どうせ高校生のときにしか当事者問題とならないのだし、少し書いてみようと思う。北国の高校生の独り言くらいに思ってほしい。

まず、ぼくは「高校生らしい良さ」というのは、誰がなんと言おうと存在すると思っている。
俳句甲子園の入賞句や、これまでの高校生を対象にしたコンテストの大賞句なんかを引けば、理屈なしに分かるはずだ。

○キャンバスに赤といふ意思秋澄みぬ (川村貴子)

これは二千十四年の神奈川大学全国高校生俳句大賞の最優秀句だ。キャンバスには赤。それは意思であり、キャンバスに対峙する強さだ。澄みぬ、という一瞬の把握、素敵だ。

○号砲や飛び出す一塊の日焼 (兵頭輝)

これは第十八回の俳句甲子園の最優秀句。号砲が鳴り、めいっぱい飛び出していく日焼けした身体。そのほんのコンマ何秒。一塊の日焼、なんて把握も省略と客体化が効いていて気持ち良い。

○向日葵が全校生徒より多い (山下真)

これも第十八回俳句甲子園より。散文的であることがなにかしらの切実さを生み、詩性を打ち出す。言葉に無理をさせない作りながら、隙がない。

三句しか引かなかったが、きっと十分すぎるだろう。そこには彼らの実感があって、青春の息遣いのようなものが確かにある。確かで伸びやかな感覚がびったり定型に嵌ったときの強さなんかには本当にため息をつきたくなる。こんな句作れるものなら作ってみたい。
そしてこの場合の「高校生らしさ」というのは、そのときにしかない瞬間性や実感、すなわち得難いリアリティ——それに読む側の、青春という切なさを求める気持ちを少し投影したもの——なんて言い換えることが出来るんじゃないだろうか。

しかしである。
この意味の「高校生らしさ」というのは一つの属性でしかないはずだ。当たり前だけれど、俳句を評価する観点のひとつ、たとえば「丁寧な写生だね」だとか「うおお、すごい二物衝撃だ」だとか「ふふふ、これは俳諧性があるなぁ」だとかと同じものではないだろうか。つまり必ずしも全てを満たす必要はなく (写生と二物衝撃なんて両立しないだろうし) 、その中の幾つかを満たすことで句としての魅力を獲得する。「高校生らしさ」ということも句を構成する一つの魅力ではあるが、句の魅力を構成する全てではない。必ずしも必要な条件ではないのである。
よって、その要素を持つ句に対して高校生らしさという観点を鑑賞することは出来ても、すべての句に高校生らしさを求めることは出来ないのではないかなぁと思っている。
語気に覇気がないのは、背景に複雑な問題がある気がしているからで、それは作者を作品に反映させるかどうか、つまり俳句に十七音以外の要素を認めるかどうかということだ。たとえば子規の絶筆三句はそのままでも面白いけれど、でも子規に関する背景を知っている方が絶対に分かりがよい。このことには、書くべきことを持つ世代と持たない世代の意識差なんかも絡むと思うのだけれど、手に負えないのでここでは割愛しようと思う。
とりあえずぼくは一句はその十七音で完結するべきだと思っているので、十七音以外の要素がそれに干渉する形で魅力を求められても、簡単には諾えない。それに、周りを見てみれば素敵な高校生らしい俳句が、今この一瞬に切実さを覚えないくらいにはたくさんある。高校生からすればそれは結構重要で、高校生らしさがあるというだけでは高校生のなかではアイデンディティたり得ないと思うのだ。

高校生が対象の俳句賞は、おそらく「高校生らしさ」がキーワードなのは言うまでもない。「高校生らしさ」についてあれこれネガティヴなニュアンスの発言をしてきた訳だけれど、でもぼくはそれをどうしてほしいというわけではないし、むしろそれはそのままで良いんじゃないかと思う。
高校生らしさは、ぼくらの砦だ。
書きたいことがあるのに技巧が追いついていかない、高校生の俳句はそんな句がきっと、多い。そんな句を掬いあげてくれるのが「高校生らしさ」でもあるんじゃないだろうか。そうして掬いあげて貰うことで「俳句って楽しいな、勉強してみよう」くらいに思う人がいるならば、それは十分すぎるほど価値がある。
そして、ぼくたちは気づく。いずれその砦を出なければならない。しかもその砦は時が流れるにつれ、自然とぼくたちの周りから消えてしまう。そして砦の外では、内容をより面白く伝えるためのそれ相応の技巧が必要だ。十の面白さを伝える適切な技巧が十だとするならば、八でも十二でもない技巧を身につけることがきっと、必要になる。
気づけばもう高三になる。振り返れば、砦の中では書きたいものがあまり見つからなかったので、そろそろ砦を出る準備を始めようかな、なんて、思ひゐし。

先日、部誌『月』の製本作業中に、「旭東文芸部ジャンケン最弱王決定戦」を行いました(……とは言っても部員6人中4人しかいなかったのですが)。最弱王は即興で作句し発表、という部長の思いつきにより、1年生の堤の句を発表致します。字題は部誌名にちなんで「月」です。

病院の天井は白春の月 (1年 堤)

近いうちに部員全員でもう一度行いたいものです。短歌発表でも楽しいかもしれませんね。

かおりちゃんは こう言うの

新しいワンピース かならず最初は学校よ
いっぱい人が いるんだもの

考えるのよ
まっさきに 誰がほめてくれるのかしら
向かいのゆきちゃん
後ろのふみちゃん
隣のクラスのまことくん

考えるのよ
まっさきに 何をほめてくれるのかしら
襟のリボン
ピンクのボタン
裾のふんわり白レース

みんな見てるわ 私のことを
ちょうちょのような 私のことを

みんながほめてくれるから
かならず最初は学校なのよ


そこでわたしは こう言うの

新しいワンピース かならず最初はお家なの
だあれも人が いないんだもの

訊いてみるのよ
パパとママ わたしにこれがにあうのかしら
おおきくない目
まんまるなかお
すらっとしてない手と足に

訊いてみるのよ
パパとママ おかしいところはないかしら
リボンのほつれ
ボタンのはずれ
白いレースのしみなんか

みんな見るのよ 私のことを
あひるのような 私のことを

かわいいよって言われたら
それからやっとお外に出るの