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九月二十五日に部室で行われました第一回部内句会の結果をお知らせします。先日行った部内でのミーティングで、ぜひ部室で互いの顔を見ながらの句会をしたいとの意見があり、九月二十五日に句会を開きました。

・兼題『水の秋』(傍題として秋水、秋の水)
・投句は一人一句、選句は一人二句
・参加者 小川朱棕、ありあ、雨宮寧々子、むみゃ~、想真唯愛


水の秋パントマイムを見るひとり(想真唯愛)/三点句
・道ばたの大道芸みたい。
・パントマイムを見るのはパリっぽい。パリって秋っぽい。
・ひとりが最後に強調されていていい。
・音のないものと水関係の季語は合う。
・橋の上でやっているイメージ。
・水の秋は音を聞くものだと思ったから、音のないものと取り合わせた。(詠者より)

絵葉書の文字の淡さや秋の水(ありあ)/二点句
・書いているのか、読んでいるのか。
・文字が淡いということは春の方が合う気もするが、それだと近すぎる気がする。
・水墨画っぽい。
・薄い(淡い)色は書かれた紙の色が透けて見える。秋の水は澄んでいて底まで見える。淡いと水には因果があるのではないか。
・冴えている、すっきりしている季語なのに逆に合うかも。
・水の秋と書くものを合わせたくて手紙にした。(詠者より)

メビウスの輪をほどきけり水の秋(雨宮寧々子)/二点句
・果たしてほどけるのか?
・どきっ、そわそわ俳句! 遠くもなく近くもない感じ。
・世の中の真理みたい。取り合わせか、何かの例えなのか。
・裏と表のものをほどくとはどういうことなのか。水の秋、透けて見えるから裏表は関係ないのか。
・切るとかはつまらないかなあ、と。(詠者より)

秋水にふれてから弾くワルツかな(小川朱棕)/二点句
・いつもと違ってピアノの音が聞こえる。
・音も澄みそう。
・ピアノの黒とかつや、鍵盤の白が見える。
・ショートムービーのように時間の流れがあるかもしれない。
・凛とした秋水、可愛いワルツ。新しい。
・ベタベタした手でピアノを弾きたくない。実際に緊張をほぐすために冷水につけることがある。(詠者より)

切り傷に染みる秋水が温かい(むみゃ~)/一点句
・破調の世界へようこそ!
・秋水は冷たいのでは? 
・擦り傷じゃだめ。
・切り傷に染みるのに温かいのか。新しいと思った。
・「○○が○○だ」っていうのはただの報告っぽいが、逆に潔くていいかもしれない。
・歳時記に刀の例えについてのっていたから。インスピレーション。傷が温かいと感じるのは生きていることの実感。(詠者より)


暇潰しの投稿

2013年09月26日
引退者小鳥様の呟き
Twitterでは呟くわけにはいかないので、ここでさせてもらいます。

ブログ来訪者6000人越え!ブログ順位220位ぐらい!ブログランクゴールドランク!今一凄さわかんないんですけど、凄いのです!

今回は投稿を溜めたのでいつもみたいにぐだりませんよー

まずは部室のホワイトボードが見に行く度に変わってます。しかも真っ黒なんです。内容を見るとですね…俳句のこととか、部のこととかびっしり!
引き継ぎの時に、文芸部をさらに良いものに変えます!と言ってたけど(たしか)、これは期待大ですね!俺らなんてすぐ超えられますね。

後はOB会へのお誘いがきました!我が文芸部にもOB会が誕生するんですよ!これは、お手伝いたくさんいけそうです!発起人は文芸部のOBの方で、自分等にその考えはなかったので、嬉しい限りです。

もうひとつ10月のメインイベントと言えば、そう急歩大会!(違います)
文芸部の皆さんは運動大好き!本より運動!なんて人はそうそういなくてですね、走るぐらいなら吟行してたいわけですよ。そんな文芸部にとって、例年当日に雨が降るかは死活問題なのです。なぜなら本当のメインイベント高文連北海道文芸研究大会が、急歩大会翌日だからですね。雨が降って急歩大会が延期になれば、高文連と被り、出ることがてきないのです。ですが今年はそうなれば非常に残念に思うのかもしれませんね。だって急歩大会俳句を作れなくなってしまいますもんね…。まあしかし今年は日程知らないで話してるので、もしかしたら例年とは日程が違うかもしれません。
高文連では旭川東!( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆って所を他の高校に知らしめて欲しいですね!

それでは、これぐらいで!

 引退した人間ですが、ちょっとだけ顔を出します。三年生・開来山人こと堀下です。大阪の吹田東高校俳句短歌部さんから部誌「群青」第五号を頂きました。読んでいたら、むらむらとしてきて、鑑賞を書きたくなりました。ちょっとの間、お付き合いください。




☆10人の部員の句が約10句ずつ掲載されているほか、エッセイや自作解題などが附されている。気になった句を見ていく。括弧内は本名とペンネームである。

脱走の爪を網戸に引っかけて(藤原彩圭/めろん・三年)
○網戸から飼い猫が逃げ出そうとしている。傍目には可愛いし、飼い主だって「こらこら」と叱っておしまい。だけど猫は必死だ。この薄っぺらい網を破ってしまえば猫は自由になれる。そういえば波多野爽波は「冬空や猫塀づたひどこへもゆける」と詠んでいた。この猫だって、網戸さえ突破できればあとはどこへもゆける。――もしかしてこの猫は作者自身かもしれない。この句の少し前に載っていたのは「大寒や猫になりたいと思う」。人間はどこへもゆけるわけではないから。猫が網戸を破れるかどうかは、まだ分からないけれど。

生きるって辛いよ目高助けてよ(森山雄太/もりさん・三年)
○こっちは目高に救いを求めた句。目高が助けてくれるわけはない。どうせならライオンとかゾウとかに頼んだ方がちょっとは心強いと思うが、作者は目高の元へ向かった。どうして目高を選んだのか。目高しかいなかったのか、目高じゃなければ駄目だったのか。前者なら、あまりにかなしい。目高に話しかけるには、水槽にせよ小川にせよ、屈まなければならない。背を曲げて目高に畳み掛ける作者のうしろ姿は切実だ。

芳春や誰其さんの死のことを(大池莉奈/柚子子・三年)
○この句を見て思い出したのは岸本尚毅先生の「鳥帰るテレビに故人映りつつ」だった。どちらも春の誰かの死。――どうして春と死が結びついて俳句になるのか。変な言い方をすれば、どうして映えるのか。僕が思うに、それはたぶん、理不尽だからだ。華やかなものの予感に充ちた季節に死ななければならないことの理不尽。俳句は理不尽が美しくなる。誰其さんの死も、そのことを考えている作者も。誰其さんという表現からは、作者がその人物とは関わりがないかのような印象を受ける。もし作者が考えている死が、見ず知らずの他人のものだとしたら。作者はどれほど理不尽なことに敏感なのか、と驚く。

秋深む一枚足りぬ紙芝居(若目田智之/わかめ・二年)
○個人的なことを言えば紙芝居が大好きだ。自分の句にも紙芝居がよく出てくる。だからこの句を採ったのは、好みと言ってしまえばそれまでである。だけれど、この句、すごく巧いと思いませんか。紙芝居は全部が揃っていないと、文字通り、話にならない。たった一枚無いだけでこの紙芝居は意味のないものになってしまった。「たった一枚」がもたらす大きな断絶感。読んでいて、響いた。それともう一つ考えたのは、作者が一枚足りないことに気づいたのは、紙芝居の実演の最中だったのではないか、ということだ。秋の静かな時間の中で、子どもたちが目を輝かせながら自分の紙芝居を観ている。そんなときに一枚足りないと知った作者。どうしようもなさが巧い。

濁りたるゼリーの底を突いて食う(松本雄大/松茸・二年)
○この句がいいなと思ったのは、ゼリーに濁りを発見したところである。季語の本意としては透き通った美しさだと思うし、俳句甲子園で兼題「ゼリー」に寄せられた句のほとんどは、歳時記通りにゼリーを「透明・ふるふる・鮮やか」捉えたものだった筈だ。この句は違う。自分の眼でゼリーを見て、それを濁っていると感じ、その発見を活かして句にする。だからこの句には全体に実感がある。

一つ採り一つ零して櫟の実(小嶋美雲/寅猫叉・二年)
○これ、言葉がかっこいい。「採り」と「零し」。団栗だから、もちろん本来は「採る」ものだったけど、ちょっと今の団栗の可愛らしい感じとは合わない(今だったら「取る」の方がしっくりくる、ような気がする)。「零す」もそう。ふつう、団栗は「落とす」。「採る」「零す」ことで、団栗が急にいきいきとしてくる。俳句って景よりも表現が大事になる場面があるよなあ……と思った。

螻蛄の行く地球の裏の大河まで(菅野拓也/かんの・一年)
○オケラ、地球の裏まで行ってしまうのか、と笑ったところで、ふと考える。日本の裏側の大河ってどこだっけ。アホな筆者は(いやホラ地理の授業とってないから)ネットで調べる。なるほど、アマゾン川か! この句、「オケラがアマゾン川まで行っちゃった」では面白くない。でーんと大げさに「地球の裏の大河」と言って、読むひとに「なんだなんだあ?」と思わせる。僕のようにググるところまで持って行かせたら勝ち(かもしれない)。

金魚鉢黒板消しで消す黒板(橋本紗羅/紅葉・一年)
○黒板消しで黒板を消すのは当たり前だ。こんなことが俳句になるのかと驚く。もしかしたら「これは俳句になってない」と見るひとだっているかも。そういえば、当たり前な俳句のことを書いた文章があったなと思って本棚を調べたら、ありましたありました、角川「俳句」(2013年3月号)。新鋭俳人・鈴木まゆうさんが、作品に添えた短いエッセイの中にこう書いている。
「最近世間では「あたりまえ体操」なるものが流行っているとか。日常の「当たり前」をただ並べているだけなのに妙に納得してしまうのはそこに「気付き」があるから。俳句もまた同じ」(P205)
橋本さんは、「黒板」を「黒板消し」で消すことに、何か気づくところがあったのではないか。それ、なんとなく分かるような感じがする。

紅蓮の血の通ひける平手かな(張沢碩/アゲハ・一年)
○部員が作者を紹介する頁には「博学」「哲学者」「知性」といった言葉が並ぶ。どんな生真面目な句を詠むんだと身構えたら、載せられた十句から立ち上がってくるのは、機智ではなくむしろセンスの良さだった。上に掲げた句以外にも「初夏のふみきりと月だけの夜」「満月をくづしてめだか野をすべり」など、すげー! と思う句はたくさんある。機知とセンスは紙一重かもしれないし、これらの文句なしの面白さは知性が裏付けているのかもしれないけれど、読者が見るのは俳句だけだ。掲句、「通ひける」に目が行った。僕だったら「たる」にするところだろう。連体止めでなくて、名詞に接続するときに「ける」を用いるのは、たぶん珍しい。けど作者はきっと、珍しいから使ってみたわけではないだろう。「ける」の響きの良さだとか、強さだとかを、直感している。

野良猫と並んだ神社夏の果(嘉永明日海/明月・一年)
○神社と夏はよく似合う。神社と猫もよく似合う。夏と猫もよく似合う(ハインラインの『夏への扉』とか!)。かといって、この句はつきすぎだろうか。似合うこととつきすぎは違う。晩夏の神社で猫と二人きりの作者。景のなかのそれぞれの距離感が、なんか、いい。距離感のよさの句だと思う。作者は猫と一緒に夏が過ぎ去っていくところを見届けている。そんな気がする。



吹田東のみなさん、部誌、ありがとうございましたー!

「群青」第5号
2013年9月14日初版第一刷発行
定価:0円(非売品)
監修:俳句部一同
編集者:若目田智之
装丁:俳句部一同
発行者:俳句短歌部
発行:吹田東高校印刷所(職員室)

夏フェス事後報告

2013年09月01日
こんばんは、本日二回目の新管理人、想真唯愛です。
今回は先週8月25日に買物公園で行われた夏フェスについての事後報告を少し。

夏フェスは旭川UC主催のイベントで、買物公園で行われました。

私たち1年生が編集作業を覚えるために、とのことで、私はありあちゃんとともに部誌「泉」の第一号の編集長を任されました。第1号、創刊号です! そんな大それたものの編集長だなんて……びっくりしました。
ちょうど夏フェスの日が俳句甲子園とかぶっており、編集や製本に参加できる人数も少ない中何とか前日に製本作業を終わらせることができました(本当はもっと余裕があるはずだったのですが……)。

当日は、雨がぱらつく中、3時には部誌が全てなくなりました!
中には、第5期卒業生の方(ちなみに今年3月に卒業した3年生が63期だそうです)や、十年ほど前の文芸部部長の弟さんなど、我が旭川東高校にゆかりのある方々も部誌を受け取って下さり、来年に繋がるような様々なアドバイスなどもいただきました(旭東文芸部とわかるような工夫をする、コスプレをしたりして目立つようにするなど)。

このような貴重な機会をくださった旭川UCの皆さんにこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
また、こういうイベントがあるよと教えてくださった先輩、受験勉強で忙しいにもかかわらず、前日の製本作業まで手伝ってくださった先輩、表紙を書いてくださった先輩、私が用事で部室に行けない日も一人で印刷作業をしてくれた友達など、こんな頼りない編集長を支えてくださった文芸部の皆さん。そしてもうひとりの編集長、ありあちゃんにも感謝です。皆さん本当にありがとうございました!

それではみなさん、長くなってしまいましたが、これからも旭川東高校文芸部をよろしくお願いします。

こんばんは、想真唯愛です。
この度、三年生の引退に伴い、空集合さんから管理人を引き継ぐことになりました。管理人という重役をいただいて、新管理人と名乗る価値もあるのかわからない一年生ですが、精一杯頑張ります!

私たち一年生が入部してから早くも四ヶ月が経ちました。
俳句甲子園、学校祭、夏フェス(後で事後報告をさせていただきます)、高文連など、たくさんの大きな行事を経験してきました。わからないことばかりでしたが、先輩方のおかげでどれもこれも思い出深いものとなりました。また、先輩方には文芸部の様々な改革をしていただきました。先輩方、本当にありがとうございました!

今後は、残った私たち一・二年生で、先輩方に残していただいたものを試行錯誤しながらよりよくしていきたいと思います。というわけで、昨日一・二年生でミーティングを行いました。新たな試みにも挑戦していく予定です! また、このブログについては、一・二年生で週番で更新していく予定です。

それでは皆さん、これからも旭川東高校文芸部をよろしくお願いします!

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