旭川東高校文芸部 http://kyokutoubungei.grupo.jp/ ja 旭川東高校文芸部 http://kyokutoubungei.grupo.jp/ 新入生歓迎小説「アマネセル」 http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/4782825 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます!「どこ中出身なの?」「え?」「自己紹介、二、三時間目に終わっちゃったんだよね」正面の子の唐突な質問に、私に隣の席を勧めてくれた子が、教えてくれた。「えっと、中川中出身の、朝霧和弦です。平和の和に、下弦の月の弦って書いて、チヅルです」「へぇ、和って書いてチって読むんだ」正面の横の子が、日の丸弁当をつつきながら言った。私のクラスになった一年六組は、来年の受験で定員が減る関係で、今年で最後のクラスになる。そんな六組の中に私は、恐る恐る足を踏み入れた。けれど、幼馴染が全くいない高校は、思ってたほど怖くなかった。ただの言い訳になるかもしれないが、昨夜緊張のあまり寝られず、やっと眠りに落ちたと思ったら既に電車は駅を出ていた。少ない本数の電車に飛び乗ってみて、、自分の不運さを嘆いた。ただでさえ二時間近く汽車に揺られる通学時間なのに、今日に限って鹿が……鹿が飛び出してきた。アナウンスによると、鹿は驚きのあまり立ち尽くしていたようだ。あまりにも人間目線な解釈に見えるけど。おそらく、自分がまあまあな速度で走る金属の塊にぶつかったことを認識出来ず、ただ脇腹が痛いなぁぐらいに思っていたのだろう。そして、金属音がした方を警戒してみると、塊から飛び出た人間の顔が何十個も……そこでようやく、自分は人工物に衝突したと分かった。なんてところだろうか。鹿目線だと。鹿のお陰で電車は遅延し、私が校門を越えたのは、昼休み。ようやく登校した私を、クラスの人たちは温かく迎えてくれた。入試の日に通った駅から学校までの道のりを、間違えないように走っていたときは、クラスからハブられるかも、とか、クラスの人たちは皆冷たい顔するかも、とか、不安で胸がざわめいていたけど。「ん、そういえば、朝霧さんが来たら職員室来てって、先生言ってたよ」隣に座る子が、卵焼きを箸で小さくしながら言った。「えっ、ありがとう、ございます」私はリュックを椅子に乗せて、数回お辞儀をした。隣の子は、いいよいいよ、とひらひらと手を振った。念の為筆記用具を持って、教室を出ようとする。「あっ、職員室ってどこか分かりますか?」右手でドアを押さえたまま、のけ反るように教室を見たら、女子中心に爆笑された。 私は職員室の前で絶望していた。中学校のとき、職員室へ入るにはまずノックを三回して、静か扉を開けて、職員室の手前で学年組出席番号名前を言い、「〇〇先生いらっしゃいますか」と尋ねた。全校生徒数が少ない出身中では、日直の回るスピードが速かったから、なおさら身に染みた習慣になっている。ただ、それが高校でも通用するのかは、中学校で一回も習わなかった。職員室前でそわそわと手汗を握っていると、横を生徒が通った。靴の色は青。一年生ではない。多分先輩のその人は、ノックを三回して、職員室の中へ入って行った。個人情報を職員室前で提示しなくていいの?と疑心暗鬼になりながら、キョロキョロと周囲を見る。「朝霧」突然、背後から声を掛けられ、飛び上がるほど驚く。手汗がさらに手のひらを濡らす。「はっ、おはっ、こんにちはっ」おはようございますと言いかけ、自分の登校時間を思い出した。「よく来れたな。中川町からだっけ?」「そ、そうです。遅刻してすみませんっ」「JRの遅延は遅刻扱いにならないから。安心して」一番気になっていたことが担任の口からすぐさま出てきて、心底ほっとする。それにしても、担任はもう私の顔を覚えてたの?「あの、職員室来てって言われたんですけど……」「ああ、それね、職員室入ってそこの遅刻カード書いて俺に頂戴。それと、諸々のプリント回収は……帰りのショートで良いから」「分かりました」担任の後ろについて、職員室に入ると同時に、さっきの生徒が退室した。私はペンケースを置き、震える手で名前を書いた。 「あ、おかえりぃ」ウルフカットの子が、私のリュックの横の席で箸を掲げる。席と言っても六個くらいがくっつけられていて、その周辺に椅子が人数分だけ敷き詰められている状態だが。「あの……昼休みって、いつまでですか?」自分は一応自己紹介をしたが、他の人からの自己紹介は全く聞いていないので、なんとなく敬語を使ってしまう。「えーっと、一時十分!」素早く生徒手帳を取り出した眼鏡の子が言った。弁当を食べている人数が減っている。「私、西コムギ。中央中」「よろしくお願いします」弁当の風呂敷を解体しながら、隣の席の子の名前と中学校を聞く。どんな漢字を書くんだろう。「珊瑚の瑚に、普通の麦書いて、コムギ。結構ゴムギって言われるのはもう聞き飽きてるから」周りで小さな笑いが起きる。「分かる。私もよく、ワヅルとか、ワゲンとか言われる」弁当の蓋を開けながら勢いで言って、止まる。「あー、全然敬語使わなくていいから。これから同じクラスだよ?」冷や汗がいつの間にか止まっていた。高校は案外怖くない。私は安心してミニトマトを頬張った。 「部活何見に行く?」瑚麦が弁当を食べる手を止めて、私と芦澤光璃に尋ねた。「えっ?部活体験あるの?」「担任が朝ショートで言ってたよ。来週一週間は体験入部ある、って」丁寧に焼かれたタコさんウインナーをつまんだ光璃が教えてくれる。へぇ、とブロッコリーを口に入れながら相槌を打ち、二人の会話を聞く。「私は天文部辺りかなぁ。偏見だけど、ゆるそう」瑚麦が窓の方を見ながら言った。「瑚麦、天文部かぁ。テニスとか似合うと思うんだけどなぁ」「そう?」「絶対テニス似合うって。中学の時絶対運動部でしょ」「え、正解。陸上かじってた。光璃は?」光璃はまだ口をもぐもぐさせながら、うーん、と手を顎に当てる。「入学式の校歌聞いて、音楽部格好良いーって思ったけど、ヒカリ音痴だからなぁ」「光璃ちゃん、大丈夫だよ!音楽は初心者大歓迎!」隣のグループから、光璃の悩みに応えた声が飛んでくる。「涼音ちゃん、もう音楽部入ったの?」「姉ちゃんに音楽部宣伝して来いって言われたの」私の後ろの席の雨宮涼音は、チラシ片手に近づいてきた。「これ、新歓コンサート。良ければ来てって」私達三人に手渡したチラシには、桜と小鳥の手描きイラストが散りばめられている。「ウグイス可愛い!」涼音の持つチラシの束を覗き込んだ渡邉美紗妃が指さした。「姉ちゃんの友達が描いたの!確か美術部か、漫研部」「この学校、漫研部もあるの?」ウグイスを満面の笑みで眺めていた美紗妃が驚き、冷凍グラタンを落としそうになる。「あるよあるよ。あと、クイズ研究同好会とか、軽音同好会とか、囲碁・将棋部とかあるって!」涼音が高めの声で、情報源が姉の知識をペラペラと喋る。「チラシありがと!」美紗妃と喋り始めた涼音に、瑚麦が一言礼を言った。涼音もそれに気付き、近距離からピースサインを送ってくる。「中学の時、そんな部活無かったよね。高校って凄い」音楽部に心が傾きつつある光璃が、涼音の話の感想をこぼす。「それな。中学校なんて文化部、吹奏楽と美術部しか無かった気がする」「私のとこ、文化部は吹部しか無かったよ?」瑚麦の言葉に反応して、つい田舎話を披露してしまう。しまった。田舎臭い私は、出会ったばかりのクラスから簡単に浮くことが出来る。「えっ?中川過疎ってるねぇ。和弦は吹奏楽だったの?」大きな目を丸くした光璃が、ついに私にも尋ねてしまった。私は大きめの一口を急いで詰め、よく咀嚼する。「和弦は意外と運動部だったりして」スマホを片手に持った瑚麦が、ちらっとこちらを見た。まるで、そう言った場合の私の反応を慎重に窺うかのように。重くなったわかめご飯をどうにか飲み込み、箸をケースに一度しまう。「私、何も入ってなかった。これといった趣味は無くて、運動も出来ない。なんとなく小説書いてたけど、コンクールとかには一切応募してないし」光璃は私の発言を聞いて、静かになった。やっぱり、放課後に小説を書くっていうのは……変、だよね。瑚麦も何も言わないし。「凄!小説書けるの凄いよ!だからいっつも本読んでるんだ!」瑚麦は水筒から口を離すと、言った。私の趣味に呆れ、沈黙に耐えられず水を飲んだのかと思った。「てか、なんで本好きなの知ってるの?私、自己紹介出来てないよね、ほら……」「ん?朝ショートの前いっつも読んでるじゃん。単行本って言うの?ハードカバーの本をさ、寝てる?!ってくらい顔近づけて読んでるじゃん」瑚麦に後から読書姿を見られていたことに、耳の先まで赤くなる。そんなに頭を落としてるなんて、自覚してなかった。「それなら文芸部だね。木の城前にポスター貼ってあったよね」美紗妃との話が一段落ついたのか、涼音が再び部活について教えてくれる。「あー確かに、和弦は文芸部だわー」瑚麦が鮭をつまみながら、ウルフカットの髪の毛をさっと払った。「まあとにかく来週体験行ってみたら?」文芸部はよく知らないし、と言って、涼音はチラシの束と共に席へ戻った。「とりあえず、来週なってから決めようかな」文芸部、という響きにそそられながら、私は弁当を片付け始めた。中学の頃から変わらないチャイムが、呑気に響いた。 「想像以上だわ」教室の後ろのドアの方で、「野球部マネージャー募集してます!」ととりわけ大きな声が聞こえてくる。振り返ってみると、クラスでも特に美人の女子が、声を掛けられ狼狽えていた。「ほんとそれ。てか、全校人数からして規模が違う」中央中出身の瑚麦でさえそう言う。十五年間中川育ちの私からしたら、休日の名寄のイオンモールよりも人口密度が多くて、目眩がしそう。廊下は新入生を一人でも多く獲得しようとする二、三年生でごった返していて、昼休み中にトイレに行くことは、多分不可能だ。ジャンパー掛けの上の窓から、段ボール製の看板や、バスケ部の男子の顔や、生徒会特製タオルが見える。「これじゃあ逆に、どの部活が何喋ってるかも分からなくない?」光璃が梅干しを口に放り込んで言った。すぐに瑚麦が同意を示す。「私は、やっぱり陸上入ろうかな。受験期間走れてなかったから、久しぶりに走りたい」瑚麦は教卓で部活動紹介をする男バレの人達をちらっと見た。何分後にそこに陸上部の人達が何を持って立つのだろうか。「そうだ、涼音からもらったチラシのコンサート行くんだけど、二人とも行く?今日なんだよね」ぜひおいで〜、と教室の真ん中付近から澄んだ声が聞こえてくる。「こんな風に勧誘されてるし」弁当の中で暴れていたミニトマトを、口の外で破裂させそうになり、焦った。「和弦はやっぱり文芸部行くの?」「文芸部って部活動紹介で、何やってたっけ?」光璃は、文芸部が部活動オリエンテーションで何をしたか、どうしても思い出せないようだ。整った眉がしっかりと下がっている。「小説のPR動画作ってた。廊下のポスターからも読めるはず」「ふーん」文芸部に入る、と決めた訳じゃないけど、あからさまに興味無いと反応されると、自分事のように悲しくなる。「あのアニメーション凄かったよね。てか文芸部普通に絵うますぎ」「漫研も美術部もうまいけどね」私は漫研の廊下のポスターや、美術部の廊下の作品を思い出す。けれど、絵を描いている二つは文芸部に比べると、私の心にぴったりとははまらない。「てかさ、今日の物理やばくなかった?」「ヤバかったヤバかった。最初の授業あれは無理。オリエンテーションとかかと思ったら普通にプリント配りだすんだもん」瑚麦と光璃は、廊下のざわざわが聞こえないかのように新たな話題で喋りだす。私はそれに、笑ったり、相槌を打ったりして、この二人に置いていかれないようにしながら弁当を食べる。 軽いリュックを背負いながら階段を降りて、ジャンパーを教室に忘れたことに気付く。「文芸部どうですか」階段の踊り場で、青のラインの靴を履いた人が、木製の看板を持って立っていた。その声は、昼休みの廊下の運動部に比べたら何倍も小さかった。「あっあの、後で」咄嗟に上手く応えられず、支えながら言ってしまった。文芸部の人は、その言葉が「行けたら行く」だと捉えたのか、肩を下げて階段を降りて行った。向かう先に部室があるのだろう。申し訳なさで胸が一杯になったのと、一年生も廊下を動くせいで、昼休みより動きづらくなった三階の廊下に戻るのが億劫になったのもあり、私はその人の背中を追った。「あのっ」木の看板を下げた人は、廊下のざわめきから取り残された人のように、悲しげに顔を上げた。「文芸部気になってるんです。あの、小説読むのと書くのが好きなんです……こんな私でも入っていいですか?」文芸部の人は、誰も来ないと思っていたのか、少しの間何も言わなかった。「もちろん。入部拒否する部活なんて無いよ」私の方を向きながら、先輩は廊下の角へ向かって歩く。先輩の持つ看板は上高くに掲げられている。自分を受け入れてくれないかも、と登校中や昼休み、放課後に悩む必要は全く無かった。部活動オリエンテーションでは「部員それぞれ自由にやってます」とちゃんと言っていたし、もう、部室から明るい笑い声が漏れている。「さあ、あなたの経験や感性を、自由に書こう!」先輩はそう言って、右側のドアを軽やかに開けた。「文芸部へ、ようこそ!」 2024-04-08T08:21:00+09:00 新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます!「どこ中出身なの?」「え?」「自己紹介、二、三時間目に終わっちゃったんだよね」正面の子の唐突な質問に、私に隣の席を勧めてくれた子が、教えてくれた。「えっと、中川中出身の、朝霧和弦です。平和の和に、下弦の月の弦って書いて、チヅルです」「へぇ、和って書いてチって読むんだ」正面の横の子が、日の丸弁当をつつきながら言った。私のクラスになった一年六組は、来年の受験で定員が減る関係で、今年で最後のクラスになる。そんな六組の中に私は、恐る恐る足を踏み入れた。けれど、幼馴染が全くいない高校は、思ってたほど怖くなかった。ただの言い訳になるかもしれないが、昨夜緊張のあまり寝られず、やっと眠りに落ちたと思ったら既に電車は駅を出ていた。少ない本数の電車に飛び乗ってみて、、自分の不運さを嘆いた。ただでさえ二時間近く汽車に揺られる通学時間なのに、今日に限って鹿が……鹿が飛び出してきた。アナウンスによると、鹿は驚きのあまり立ち尽くしていたようだ。あまりにも人間目線な解釈に見えるけど。おそらく、自分がまあまあな速度で走る金属の塊にぶつかったことを認識出来ず、ただ脇腹が痛いなぁぐらいに思っていたのだろう。そして、金属音がした方を警戒してみると、塊から飛び出た人間の顔が何十個も……そこでようやく、自分は人工物に衝突したと分かった。なんてところだろうか。鹿目線だと。鹿のお陰で電車は遅延し、私が校門を越えたのは、昼休み。ようやく登校した私を、クラスの人たちは温かく迎えてくれた。入試の日に通った駅から学校までの道のりを、間違えないように走っていたときは、クラスからハブられるかも、とか、クラスの人たちは皆冷たい顔するかも、とか、不安で胸がざわめいていたけど。「ん、そういえば、朝霧さんが来たら職員室来てって、先生言ってたよ」隣に座る子が、卵焼きを箸で小さくしながら言った。「えっ、ありがとう、ございます」私はリュックを椅子に乗せて、数回お辞儀をした。隣の子は、いいよいいよ、とひらひらと手を振った。念の為筆記用具を持って、教室を出ようとする。「あっ、職員室ってどこか分かりますか?」右手でドアを押さえたまま、のけ反るように教室を見たら、女子中心に爆笑された。 私は職員室の前で絶望していた。中学校のとき、職員室へ入るにはまずノックを三回して、静か扉を開けて、職員室の手前で学年組出席番号名前を言い、「〇〇先生いらっしゃいますか」と尋ねた。全校生徒数が少ない出身中では、日直の回るスピードが速かったから、なおさら身に染みた習慣になっている。ただ、それが高校でも通用するのかは、中学校で一回も習わなかった。職員室前でそわそわと手汗を握っていると、横を生徒が通った。靴の色は青。一年生ではない。多分先輩のその人は、ノックを三回して、職員室の中へ入って行った。個人情報を職員室前で提示しなくていいの?と疑心暗鬼になりながら、キョロキョロと周囲を見る。「朝霧」突然、背後から声を掛けられ、飛び上がるほど驚く。手汗がさらに手のひらを濡らす。「はっ、おはっ、こんにちはっ」おはようございますと言いかけ、自分の登校時間を思い出した。「よく来れたな。中川町からだっけ?」「そ、そうです。遅刻してすみませんっ」「JRの遅延は遅刻扱いにならないから。安心して」一番気になっていたことが担任の口からすぐさま出てきて、心底ほっとする。それにしても、担任はもう私の顔を覚えてたの?「あの、職員室来てって言われたんですけど……」「ああ、それね、職員室入ってそこの遅刻カード書いて俺に頂戴。それと、諸々のプリント回収は……帰りのショートで良いから」「分かりました」担任の後ろについて、職員室に入ると同時に、さっきの生徒が退室した。私はペンケースを置き、震える手で名前を書いた。 「あ、おかえりぃ」ウルフカットの子が、私のリュックの横の席で箸を掲げる。席と言っても六個くらいがくっつけられていて、その周辺に椅子が人数分だけ敷き詰められている状態だが。「あの……昼休みって、いつまでですか?」自分は一応自己紹介をしたが、他の人からの自己紹介は全く聞いていないので、なんとなく敬語を使ってしまう。「えーっと、一時十分!」素早く生徒手帳を取り出した眼鏡の子が言った。弁当を食べている人数が減っている。「私、西コムギ。中央中」「よろしくお願いします」弁当の風呂敷を解体しながら、隣の席の子の名前と中学校を聞く。どんな漢字を書くんだろう。「珊瑚の瑚に、普通の麦書いて、コムギ。結構ゴムギって言われるのはもう聞き飽きてるから」周りで小さな笑いが起きる。「分かる。私もよく、ワヅルとか、ワゲンとか言われる」弁当の蓋を開けながら勢いで言って、止まる。「あー、全然敬語使わなくていいから。これから同じクラスだよ?」冷や汗がいつの間にか止まっていた。高校は案外怖くない。私は安心してミニトマトを頬張った。 「部活何見に行く?」瑚麦が弁当を食べる手を止めて、私と芦澤光璃に尋ねた。「えっ?部活体験あるの?」「担任が朝ショートで言ってたよ。来週一週間は体験入部ある、って」丁寧に焼かれたタコさんウインナーをつまんだ光璃が教えてくれる。へぇ、とブロッコリーを口に入れながら相槌を打ち、二人の会話を聞く。「私は天文部辺りかなぁ。偏見だけど、ゆるそう」瑚麦が窓の方を見ながら言った。「瑚麦、天文部かぁ。テニスとか似合うと思うんだけどなぁ」「そう?」「絶対テニス似合うって。中学の時絶対運動部でしょ」「え、正解。陸上かじってた。光璃は?」光璃はまだ口をもぐもぐさせながら、うーん、と手を顎に当てる。「入学式の校歌聞いて、音楽部格好良いーって思ったけど、ヒカリ音痴だからなぁ」「光璃ちゃん、大丈夫だよ!音楽は初心者大歓迎!」隣のグループから、光璃の悩みに応えた声が飛んでくる。「涼音ちゃん、もう音楽部入ったの?」「姉ちゃんに音楽部宣伝して来いって言われたの」私の後ろの席の雨宮涼音は、チラシ片手に近づいてきた。「これ、新歓コンサート。良ければ来てって」私達三人に手渡したチラシには、桜と小鳥の手描きイラストが散りばめられている。「ウグイス可愛い!」涼音の持つチラシの束を覗き込んだ渡邉美紗妃が指さした。「姉ちゃんの友達が描いたの!確か美術部か、漫研部」「この学校、漫研部もあるの?」ウグイスを満面の笑みで眺めていた美紗妃が驚き、冷凍グラタンを落としそうになる。「あるよあるよ。あと、クイズ研究同好会とか、軽音同好会とか、囲碁・将棋部とかあるって!」涼音が高めの声で、情報源が姉の知識をペラペラと喋る。「チラシありがと!」美紗妃と喋り始めた涼音に、瑚麦が一言礼を言った。涼音もそれに気付き、近距離からピースサインを送ってくる。「中学の時、そんな部活無かったよね。高校って凄い」音楽部に心が傾きつつある光璃が、涼音の話の感想をこぼす。「それな。中学校なんて文化部、吹奏楽と美術部しか無かった気がする」「私のとこ、文化部は吹部しか無かったよ?」瑚麦の言葉に反応して、つい田舎話を披露してしまう。しまった。田舎臭い私は、出会ったばかりのクラスから簡単に浮くことが出来る。「えっ?中川過疎ってるねぇ。和弦は吹奏楽だったの?」大きな目を丸くした光璃が、ついに私にも尋ねてしまった。私は大きめの一口を急いで詰め、よく咀嚼する。「和弦は意外と運動部だったりして」スマホを片手に持った瑚麦が、ちらっとこちらを見た。まるで、そう言った場合の私の反応を慎重に窺うかのように。重くなったわかめご飯をどうにか飲み込み、箸をケースに一度しまう。「私、何も入ってなかった。これといった趣味は無くて、運動も出来ない。なんとなく小説書いてたけど、コンクールとかには一切応募してないし」光璃は私の発言を聞いて、静かになった。やっぱり、放課後に小説を書くっていうのは……変、だよね。瑚麦も何も言わないし。「凄!小説書けるの凄いよ!だからいっつも本読んでるんだ!」瑚麦は水筒から口を離すと、言った。私の趣味に呆れ、沈黙に耐えられず水を飲んだのかと思った。「てか、なんで本好きなの知ってるの?私、自己紹介出来てないよね、ほら……」「ん?朝ショートの前いっつも読んでるじゃん。単行本って言うの?ハードカバーの本をさ、寝てる?!ってくらい顔近づけて読んでるじゃん」瑚麦に後から読書姿を見られていたことに、耳の先まで赤くなる。そんなに頭を落としてるなんて、自覚してなかった。「それなら文芸部だね。木の城前にポスター貼ってあったよね」美紗妃との話が一段落ついたのか、涼音が再び部活について教えてくれる。「あー確かに、和弦は文芸部だわー」瑚麦が鮭をつまみながら、ウルフカットの髪の毛をさっと払った。「まあとにかく来週体験行ってみたら?」文芸部はよく知らないし、と言って、涼音はチラシの束と共に席へ戻った。「とりあえず、来週なってから決めようかな」文芸部、という響きにそそられながら、私は弁当を片付け始めた。中学の頃から変わらないチャイムが、呑気に響いた。 「想像以上だわ」教室の後ろのドアの方で、「野球部マネージャー募集してます!」ととりわけ大きな声が聞こえてくる。振り返ってみると、クラスでも特に美人の女子が、声を掛けられ狼狽えていた。「ほんとそれ。てか、全校人数からして規模が違う」中央中出身の瑚麦でさえそう言う。十五年間中川育ちの私からしたら、休日の名寄のイオンモールよりも人口密度が多くて、目眩がしそう。廊下は新入生を一人でも多く獲得しようとする二、三年生でごった返していて、昼休み中にトイレに行くことは、多分不可能だ。ジャンパー掛けの上の窓から、段ボール製の看板や、バスケ部の男子の顔や、生徒会特製タオルが見える。「これじゃあ逆に、どの部活が何喋ってるかも分からなくない?」光璃が梅干しを口に放り込んで言った。すぐに瑚麦が同意を示す。「私は、やっぱり陸上入ろうかな。受験期間走れてなかったから、久しぶりに走りたい」瑚麦は教卓で部活動紹介をする男バレの人達をちらっと見た。何分後にそこに陸上部の人達が何を持って立つのだろうか。「そうだ、涼音からもらったチラシのコンサート行くんだけど、二人とも行く?今日なんだよね」ぜひおいで〜、と教室の真ん中付近から澄んだ声が聞こえてくる。「こんな風に勧誘されてるし」弁当の中で暴れていたミニトマトを、口の外で破裂させそうになり、焦った。「和弦はやっぱり文芸部行くの?」「文芸部って部活動紹介で、何やってたっけ?」光璃は、文芸部が部活動オリエンテーションで何をしたか、どうしても思い出せないようだ。整った眉がしっかりと下がっている。「小説のPR動画作ってた。廊下のポスターからも読めるはず」「ふーん」文芸部に入る、と決めた訳じゃないけど、あからさまに興味無いと反応されると、自分事のように悲しくなる。「あのアニメーション凄かったよね。てか文芸部普通に絵うますぎ」「漫研も美術部もうまいけどね」私は漫研の廊下のポスターや、美術部の廊下の作品を思い出す。けれど、絵を描いている二つは文芸部に比べると、私の心にぴったりとははまらない。「てかさ、今日の物理やばくなかった?」「ヤバかったヤバかった。最初の授業あれは無理。オリエンテーションとかかと思ったら普通にプリント配りだすんだもん」瑚麦と光璃は、廊下のざわざわが聞こえないかのように新たな話題で喋りだす。私はそれに、笑ったり、相槌を打ったりして、この二人に置いていかれないようにしながら弁当を食べる。 軽いリュックを背負いながら階段を降りて、ジャンパーを教室に忘れたことに気付く。「文芸部どうですか」階段の踊り場で、青のラインの靴を履いた人が、木製の看板を持って立っていた。その声は、昼休みの廊下の運動部に比べたら何倍も小さかった。「あっあの、後で」咄嗟に上手く応えられず、支えながら言ってしまった。文芸部の人は、その言葉が「行けたら行く」だと捉えたのか、肩を下げて階段を降りて行った。向かう先に部室があるのだろう。申し訳なさで胸が一杯になったのと、一年生も廊下を動くせいで、昼休みより動きづらくなった三階の廊下に戻るのが億劫になったのもあり、私はその人の背中を追った。「あのっ」木の看板を下げた人は、廊下のざわめきから取り残された人のように、悲しげに顔を上げた。「文芸部気になってるんです。あの、小説読むのと書くのが好きなんです……こんな私でも入っていいですか?」文芸部の人は、誰も来ないと思っていたのか、少しの間何も言わなかった。「もちろん。入部拒否する部活なんて無いよ」私の方を向きながら、先輩は廊下の角へ向かって歩く。先輩の持つ看板は上高くに掲げられている。自分を受け入れてくれないかも、と登校中や昼休み、放課後に悩む必要は全く無かった。部活動オリエンテーションでは「部員それぞれ自由にやってます」とちゃんと言っていたし、もう、部室から明るい笑い声が漏れている。「さあ、あなたの経験や感性を、自由に書こう!」先輩はそう言って、右側のドアを軽やかに開けた。「文芸部へ、ようこそ!」 ハレワタレ 第二章「向きたい方向」 http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/4540535 この小説は「ハレワタレ」の第二章となります。第一章「ハレワタルマエ」は同ページにて公開しております。向きたい方向[引用]私は時々思うことがある。探偵小説家というものには二種類あって、一つの方は犯罪者型とでも云うか、犯罪ばかりに興味を持ち、たとえ推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しないような作家であるし、もう一つの方は探偵型とでも云うか、ごく健全で、理智的な探偵の経路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などには一向に頓着しない。そして、私がこれから書こうとする探偵作家大江春泥は前者に属し、私自身はおそらく後者に属するのだ。江戸川乱歩陰獣より[/引用]先輩方が新しい戦隊ものの話で盛り上がっている横で、一人の新入部員が、背筋をピンとさせて、緊張した面持ちで佇んでいる。その彼女の目の前にいる男子生徒は、足を組みながら、スマホの画面を下にスライドさせていく。五月も半ば、廿楽美久はここ一二週間程度のうちに書き上げた、千文字もいかない小説……と言っていいのかも分からない代物を、部活の先輩で、廿楽を文芸部へと誘った本人である、酒々井斗和に読んでもらっていた。文芸部に正式に入ることになって少しして。酒々井に試しに小説を書いてみてはどうかと、ほぼ強制的に、ゴールデンウィーク中の宿題として出され、苦悩しながら書いた記念すべき処女作である。そもそも物語を考えることからして初めてで、何を書けばいいか分からず、殆ど台詞だけの、小説というより台本のような代物になってしまったのだが、廿楽の感覚では、初めてにしてはよく書けたのではないかと思っている。もしかしたら褒められるのでは?と思ったのも束の間、酒々井は廿楽の一週間分の努力を僅か二分で読み終わると、ただ一言。「うん、下手だね」と言った。「そ、そんなにはっきり言わなくても……」「下手なものは下手だよ。まず情景描写が少なすぎる。行動がプログラム的。セリフごとに誰が言ったのか説明がうざい。そもそもセリフの繋がりがおかしい。さっきまで喧嘩してたのにこの流れて好きだって言われても、流石に分からない」「で、でもよくドラマとかにあるじゃないですか。こういう、感じの」「それはドラマは映像があるから。小説は文字だけだから、これだけじゃ何も分からない。というか、いきなり好きって言われて、動揺せずに私も好きは絶対ない。常識的にあり得ない」「うぐっ」廿楽は分かりやすく呻き声を上げる。それだけ酒々井の言葉の矢はとてつもない命中率だった。確かに、こうやって読み返してみると、違和感ばかり目立って内容が入ってこない。完成した直後は達成感もあり、すごい傑作ができたと思っていたが、それは恥ずかしい程に大きな間違いだった。「酒々井、厳しすぎるよ。私は初めてにしてはよく出来てると思うよ」いつの間にか横から覗き見していた二年の桜森は、しゅんとなっている廿楽に向かって微笑みかける。「桜森先輩!」「小説なんてそんな直ぐにかけるようになるもんじゃないからね。どうやって小説を書いてるかなんて、意識しないと分からんし、まずは千文字書けたことを誇るべきだよ。私なんて、書こうとしても書けないから」「でも桜森さんは随筆書けるじゃん」「大したことないよ、小説なんかより」どこか自傷的に語る桜森は、そのまま誤魔化すようにトイレにでも行くつもりなのだろうか、部室を後にした。「何か、あったんですか?」「さあ?」酒々井は興味なさそうに答えた。「それはそれとして、どうしてシャボン玉の世界を書かなかったの?君、その為に文芸部に入ったんじゃないの?」「それは、そうなんですけど、いざ書こうとすると、何処をどう書けばいいか……」「ああ、そういうこと」酒々井は独り言のように呟きその後黙り込む。暫くして文芸部の隅に取り付けられている棚の方へと歩いていく。その棚というのは、初代から今までの約六十年分の部誌や、文豪の作品集、その他先輩方が置いて行った本が並んでいる、木製の古臭い棚だった。酒々井はその中から、一冊の分厚い本を取り出し、廿楽の前に置いた。埃の被ったその本には、「江戸川乱歩集」と書かれていた。「文豪の本は結構参考になる事が多いから、まずは江戸川乱歩の作品を読むといいよ。読みやすいし」「え、これ全部、ですか?」「……じゃあ、これとこれ」酒々井は顔を顰めた後、数ある作品の中から、二つに指を差す。一つは「地獄の道化師」という、何処かで聞き覚えのあるものだった。そしてもう一つは「……陰獣?」「うん、こっちは僕あまり好きじゃないんだけど、読み比べたら面白いと思うから」廿楽はまた陰獣の文字に目を向ける。黒インクの隙間から、獣の牙がチラリと垣間見えるようで、少し恐怖した。「短編だから直ぐ読み終わるよ」酒々井はそう言い残して席に戻り、シャーペンを持って小説の続きを書き始めた。「D坂もおすすめですよ」隣からいきなり声をかけられて、廿楽は肩をビクッとさせる。廿楽に話しかけたのは、廿楽と同じ一年生の、明空由衣子だった。後ろで長い髪を綺麗に結い、その上にまるでシルクのような白いリボンがそっと置かれている。彼女もどうやら小説を書くらしく、タブレットでずっとカチカチ打ち込んでいたのだが、態々その手を止めて、廿楽に紹介してくれたらしい。「あ、うん。ありがとう。読んでみる」廿楽は片言に答える。明空はニコッと微笑みかけると、またデジタル画面に向き直った。廿楽もう一度、その分厚い本と向き合う。正直読む気になれなかったが、これを読むかどうかでこれからの人間関係が決まるかもしれないと思うと、急にありがたいものに見えてきた。廿楽は意を決して、まずは「陰獣」から読み始めていくことにした。次の日、授業が終わって部室のドアを開けると、そこにはまだ桜森以外の部員はいなかった。「こんにちは」やっと噛まずに言えるようになってきた挨拶を交わし、隅にリュックサックを置いて、椅子に座る。有名書店のブックカバーで覆われた本を読んでいた桜森は、廿楽が座ったのを確認してから、パタンと本を閉じた。「美久ちゃんも大変だね。あの小説バカに振り回されて。これ、アイツに読めって言われたの?」「え?」廿楽はびっくりして、目をぱちくりさせる。確か酒々井にこの小説を押し付けられたとき、桜森は部室にいなくて、帰ってきた時には既にその話は終わっていたはずだ。なのに何故あたかもその場にいたかのような発言ができるのだろう。まさか、これが女の勘というやつなのだろうか。「あれ、違った?」「い、いえ。おっしゃる通りです」廿楽の歯切れの悪さを不審に思う桜森だったが、気にせず次に進める。「江戸川乱歩の作品だと、印象残ってるのは……やっぱり陰獣かな」「あ、それ、ちょうど読みました」「ガチ?さすが酒々井!やっぱ最初のあれは刺さるよね」「最初、ですか?」最初の文の印象が薄かった廿楽は、改めてそのページを開いてみた。「私は時々思う事がある」から始まる文は、本文とは全く関係のない、ただの筆者の自論が述べられていた。「あ、そうそう。探偵小説は二つに分類できるってやつ。私、これだけ妙に印象に残ってんだよね」「どうしてですか?」話したそうにしていたので、廿楽は少し気になるという事もあり、尋ねてみる。桜森はいざ話すとなると気恥ずかしい所があるようで、体をもじもじさせてから、ついに意を決して話し出した。「実は私ね、最初は小説志望だったんよ。小説書くのってなんかカッコいいし、元々そういうの想像するの好きだったからね。でも同じ学年に酒々井なんていう化け物がいたからさ、酒々井の小説と比べてああ私向いてないのかなって思い始めて、まあ、随筆の方はその頃から結構上手くいってたんだけど、やっぱり私は小説を書きたかったんだ。でさ、何でそんな話になったか忘れたけど、酒々井にそんな感じの事を言ったわけね。そしたらさ、これ渡されて、「陰獣でも読んどけ」って言われてさ。なんかよく分からないまま読んだとき、この言葉を見たってわけよ。正直さ、ぐさってきたよね。だって江戸川乱歩って意外と前者のような小説結構作ってて、そこそこ人気があるけど、それを否定してるわけだから。というより、自分は後者側だって分かった上で、前者の作品を書いてるように感じた。江戸川乱歩の作品を色々見てたってのもあると思うけど、少なくとも私はそう感じて、酒々井もそう感じたから私に勧めてくれたんだと思う。探偵小説ってさ、私の勝手な感想だけど、前者みたいなのって何というか、自身持てそうだよね。自分はこんな事も考えられるイカれたやつだ!みたいにさ。逆に王道っていうか、後者みたいなやつはさ、ありきたりっていうか、なんか凡人みたいな感じで、虚しくなったりするんだよ。だから前者みたいな小説を書こうとする。でも向いてないから失敗する。ぶっちゃけちゃうと、私の小説への執着も、似たような所から来てたんだ。私は時々思うところがある。そこの文章読んだ時、私は向いている方に行けってのと同時に、なりたいものになれって言われてるようだった。向いてる方向を変なこだわりで潰すな、でも向いてないものを挑戦する事を諦めてはいけない。私は向いてる方をに進む事を選んで、小説は書かなくなっちゃったけど、結構楽になったよ。まあ、全部が全部綺麗さっぱり無くなったってわけじゃないけど」桜森は照れ隠しに笑ってみせる。廿楽はその話を聞いて、自分なりに考えてみた。「どうしてシャボン玉の世界を書かなかったの?」酒々井の言葉が蘇る。廿楽はこの一週間、小説を書くにあたって、小説っぽくキャラクターを作って、小説っぽくセリフを入れて、小説っぽくすっきりした感じに終われるように、という事を考えながら、創作してきた。酒々井にはああ言ったが、別に情景が書けなかったわけではない。だがセリフを書かなくちゃと思って入れてみたら、その後どう繋げていいか分からず、結局セリフばっかりになってしまったのだ。変にこだわらない。そうか、それが行き詰まった理由。きっとそれを伝えるために薦めたのだろうと思うと、少しだけ心があったかくなった。「酒々井先輩って、人に興味ないと思ってたんですけど、意外と気にかけてくれているんですね」「ね、意外とね。本当は話す人いないからずっと小説書いてるんじゃない?」廿楽と桜森はクスクスと笑い合う。と、そのとき、「後輩に変な事吹き込まないでくれる?」「酒々井!」いつの間にかドアの前に立っていた酒々井の存在に気が付き、二人は目を大きく見開いた。桜森はただ驚いているだけだったが、廿楽は先輩を弄ってしまったという所から、冷や汗が止まらなかった。「へえ、後輩にどう思われるか気になるんだ。やっぱり酒々井も人間だねぇ」「廿楽さん、読み終わった?」「無視すんな、おい」桜森さんの的確なツッコミが炸裂する。廿楽は桜森に乗るべきか酒々井に乗るべきか、どうすればいいのか分からずおどおどしていると、どうやら桜森の方はそれ以上続ける気がなさそうなので、酒々井の質問に答えることにした。「あ、はい。読みました」「そう、で、どっちが良かった?」いつになく真剣な酒々井に、廿楽は首をコテっと傾げる。「え?そうですね。二つの中だと、ピエロの方ですかね?」「ええ!?」急に、桜森が机をバンと叩きながら立ち上がった。「ちょっと待ってよ、絶対陰獣でしょ!」「それは本当にセンスないと思う。道化師の方が絶対面白い」「はあ?あんな最初っから犯人分かるやつの何が面白いの?」「それは桜森さんが異常なんだよ。普通分からない。というか、陰獣こそ犯人見え見えでしょ」「でもあれはそこじゃない。人間の狂気っていうかさ。暴力っていう男の欲を引き出す女の異質な魅力がいいんじゃないか!」「意味わからない。というか、人間の狂気だったら、淡い恋心、よくあるだろう姉妹の些細な溝、それを深めに深めた故に起こる狂気じみた執着と犯行が書かれた道化師の方が人間の狂気を自然な形で、それでいて残酷に表されていると思う。その点陰獣は最後が少し雑すぎるよ。主人公が狂わされているように見せたかったんだろうけど、あれじゃあやらせにしか見えない」「それは、主人公が凡人であるが為に起こる事でしょうが!勢いに任せてやってるけど何処か冷静で、躊躇いがある。でも自分が狂わされてるって思いたいからそう振る舞う。そういう人間の、こう、欲ってゆうかさあ。というか君、そんな事も読み取れないで小説書いてるわけ?」「あ、あの……」唐突に始まった議論という名の喧嘩に、廿楽は困り果てた。これこそ犬猿の仲と言うのか。いや、少し違うような気もするが、それは置いといて、先輩の喧嘩を止める手段を持ってない廿楽はただあわあわとすることしかできない。しかし、このままにしておく程の肝も据わっていなかったので、立ち上がって止める素振りをみせてみる。「あらあら、大変なことになってるみたいね」と、後ろから声が聞こえて振り向くと、そこにはメガネを掛け、ひとつ縛りにした髪を横に流している、女子生徒が立っていた。現部長である神楽坂晴美だ。「神楽坂部長!」廿楽は瞳をうるうるさせながら、神楽坂に助けを求める。「神楽坂先輩……」「ぶ、部長、これは、その……」しかし逆に、急に酒々井と桜森の歯切れが悪くなった。廿楽は不思議に思って、コテっと首を傾げる。神楽坂は笑みを絶やさない。絶やさないまま、メガネを外す。「ふんふん、なるほどね。やだもう、酒々井君ったら、包丁なんて持ってないわよ。私を何だと思ってるの?莉里ちゃんも、水に沈めるなんて、そんなの小説の中でしかやらないから」冷や汗を流す二人、廿楽は何が起こっているのか分からず、そわそわさせる。「二人とも、次また後輩君達を困らせたら、分かってるよね?」「「はい、分かっております!」」「じゃあ、美久ちゃんに謝ろうか」「「はい、すみませんでした!」」「ええ……」騒動が収まったのはいいのものの、これはこれでどうしたらいいか分からず、廿楽は体をもじもじさせる。神楽坂はため息をひとつ吐くと、眼鏡を掛け直し、最後に鼻の微調整を行った。「よし、じゃあ、私今日はちょっと用があるから、お疲れ様」「「お疲れ様です!」」「お、お疲れ様です……」まるで大日本帝国時代の兵隊のように背筋をピンとさせて、ハキハキ喋る二人に戸惑いながら、廿楽は挨拶をする。神楽坂が帰った後、兵隊のようだった二人の先輩は、急に軟体動物のようにへなへなになった。「迂闊だった。まさか今日来るなんて……」「本当にそれ、美久ちゃん。部長だけは怒らせちゃダメだよ。人生ガチで終わるから」「は、はあ……」何のことかさっぱり分からず、曖昧な返事をする廿楽。だがあの酒々井があんなになるのだから余程のことがあると見て、今後神楽坂に逆らうことはやめようと、心に誓う廿楽だった。 2023-09-14T19:33:00+09:00 この小説は「ハレワタレ」の第二章となります。第一章「ハレワタルマエ」は同ページにて公開しております。向きたい方向[引用]私は時々思うことがある。探偵小説家というものには二種類あって、一つの方は犯罪者型とでも云うか、犯罪ばかりに興味を持ち、たとえ推理的な探偵小説を書くにしても、犯人の残虐な心理を思うさま描かないでは満足しないような作家であるし、もう一つの方は探偵型とでも云うか、ごく健全で、理智的な探偵の経路にのみ興味を持ち、犯罪者の心理などには一向に頓着しない。そして、私がこれから書こうとする探偵作家大江春泥は前者に属し、私自身はおそらく後者に属するのだ。江戸川乱歩陰獣より[/引用]先輩方が新しい戦隊ものの話で盛り上がっている横で、一人の新入部員が、背筋をピンとさせて、緊張した面持ちで佇んでいる。その彼女の目の前にいる男子生徒は、足を組みながら、スマホの画面を下にスライドさせていく。五月も半ば、廿楽美久はここ一二週間程度のうちに書き上げた、千文字もいかない小説……と言っていいのかも分からない代物を、部活の先輩で、廿楽を文芸部へと誘った本人である、酒々井斗和に読んでもらっていた。文芸部に正式に入ることになって少しして。酒々井に試しに小説を書いてみてはどうかと、ほぼ強制的に、ゴールデンウィーク中の宿題として出され、苦悩しながら書いた記念すべき処女作である。そもそも物語を考えることからして初めてで、何を書けばいいか分からず、殆ど台詞だけの、小説というより台本のような代物になってしまったのだが、廿楽の感覚では、初めてにしてはよく書けたのではないかと思っている。もしかしたら褒められるのでは?と思ったのも束の間、酒々井は廿楽の一週間分の努力を僅か二分で読み終わると、ただ一言。「うん、下手だね」と言った。「そ、そんなにはっきり言わなくても……」「下手なものは下手だよ。まず情景描写が少なすぎる。行動がプログラム的。セリフごとに誰が言ったのか説明がうざい。そもそもセリフの繋がりがおかしい。さっきまで喧嘩してたのにこの流れて好きだって言われても、流石に分からない」「で、でもよくドラマとかにあるじゃないですか。こういう、感じの」「それはドラマは映像があるから。小説は文字だけだから、これだけじゃ何も分からない。というか、いきなり好きって言われて、動揺せずに私も好きは絶対ない。常識的にあり得ない」「うぐっ」廿楽は分かりやすく呻き声を上げる。それだけ酒々井の言葉の矢はとてつもない命中率だった。確かに、こうやって読み返してみると、違和感ばかり目立って内容が入ってこない。完成した直後は達成感もあり、すごい傑作ができたと思っていたが、それは恥ずかしい程に大きな間違いだった。「酒々井、厳しすぎるよ。私は初めてにしてはよく出来てると思うよ」いつの間にか横から覗き見していた二年の桜森は、しゅんとなっている廿楽に向かって微笑みかける。「桜森先輩!」「小説なんてそんな直ぐにかけるようになるもんじゃないからね。どうやって小説を書いてるかなんて、意識しないと分からんし、まずは千文字書けたことを誇るべきだよ。私なんて、書こうとしても書けないから」「でも桜森さんは随筆書けるじゃん」「大したことないよ、小説なんかより」どこか自傷的に語る桜森は、そのまま誤魔化すようにトイレにでも行くつもりなのだろうか、部室を後にした。「何か、あったんですか?」「さあ?」酒々井は興味なさそうに答えた。「それはそれとして、どうしてシャボン玉の世界を書かなかったの?君、その為に文芸部に入ったんじゃないの?」「それは、そうなんですけど、いざ書こうとすると、何処をどう書けばいいか……」「ああ、そういうこと」酒々井は独り言のように呟きその後黙り込む。暫くして文芸部の隅に取り付けられている棚の方へと歩いていく。その棚というのは、初代から今までの約六十年分の部誌や、文豪の作品集、その他先輩方が置いて行った本が並んでいる、木製の古臭い棚だった。酒々井はその中から、一冊の分厚い本を取り出し、廿楽の前に置いた。埃の被ったその本には、「江戸川乱歩集」と書かれていた。「文豪の本は結構参考になる事が多いから、まずは江戸川乱歩の作品を読むといいよ。読みやすいし」「え、これ全部、ですか?」「……じゃあ、これとこれ」酒々井は顔を顰めた後、数ある作品の中から、二つに指を差す。一つは「地獄の道化師」という、何処かで聞き覚えのあるものだった。そしてもう一つは「……陰獣?」「うん、こっちは僕あまり好きじゃないんだけど、読み比べたら面白いと思うから」廿楽はまた陰獣の文字に目を向ける。黒インクの隙間から、獣の牙がチラリと垣間見えるようで、少し恐怖した。「短編だから直ぐ読み終わるよ」酒々井はそう言い残して席に戻り、シャーペンを持って小説の続きを書き始めた。「D坂もおすすめですよ」隣からいきなり声をかけられて、廿楽は肩をビクッとさせる。廿楽に話しかけたのは、廿楽と同じ一年生の、明空由衣子だった。後ろで長い髪を綺麗に結い、その上にまるでシルクのような白いリボンがそっと置かれている。彼女もどうやら小説を書くらしく、タブレットでずっとカチカチ打ち込んでいたのだが、態々その手を止めて、廿楽に紹介してくれたらしい。「あ、うん。ありがとう。読んでみる」廿楽は片言に答える。明空はニコッと微笑みかけると、またデジタル画面に向き直った。廿楽もう一度、その分厚い本と向き合う。正直読む気になれなかったが、これを読むかどうかでこれからの人間関係が決まるかもしれないと思うと、急にありがたいものに見えてきた。廿楽は意を決して、まずは「陰獣」から読み始めていくことにした。次の日、授業が終わって部室のドアを開けると、そこにはまだ桜森以外の部員はいなかった。「こんにちは」やっと噛まずに言えるようになってきた挨拶を交わし、隅にリュックサックを置いて、椅子に座る。有名書店のブックカバーで覆われた本を読んでいた桜森は、廿楽が座ったのを確認してから、パタンと本を閉じた。「美久ちゃんも大変だね。あの小説バカに振り回されて。これ、アイツに読めって言われたの?」「え?」廿楽はびっくりして、目をぱちくりさせる。確か酒々井にこの小説を押し付けられたとき、桜森は部室にいなくて、帰ってきた時には既にその話は終わっていたはずだ。なのに何故あたかもその場にいたかのような発言ができるのだろう。まさか、これが女の勘というやつなのだろうか。「あれ、違った?」「い、いえ。おっしゃる通りです」廿楽の歯切れの悪さを不審に思う桜森だったが、気にせず次に進める。「江戸川乱歩の作品だと、印象残ってるのは……やっぱり陰獣かな」「あ、それ、ちょうど読みました」「ガチ?さすが酒々井!やっぱ最初のあれは刺さるよね」「最初、ですか?」最初の文の印象が薄かった廿楽は、改めてそのページを開いてみた。「私は時々思う事がある」から始まる文は、本文とは全く関係のない、ただの筆者の自論が述べられていた。「あ、そうそう。探偵小説は二つに分類できるってやつ。私、これだけ妙に印象に残ってんだよね」「どうしてですか?」話したそうにしていたので、廿楽は少し気になるという事もあり、尋ねてみる。桜森はいざ話すとなると気恥ずかしい所があるようで、体をもじもじさせてから、ついに意を決して話し出した。「実は私ね、最初は小説志望だったんよ。小説書くのってなんかカッコいいし、元々そういうの想像するの好きだったからね。でも同じ学年に酒々井なんていう化け物がいたからさ、酒々井の小説と比べてああ私向いてないのかなって思い始めて、まあ、随筆の方はその頃から結構上手くいってたんだけど、やっぱり私は小説を書きたかったんだ。でさ、何でそんな話になったか忘れたけど、酒々井にそんな感じの事を言ったわけね。そしたらさ、これ渡されて、「陰獣でも読んどけ」って言われてさ。なんかよく分からないまま読んだとき、この言葉を見たってわけよ。正直さ、ぐさってきたよね。だって江戸川乱歩って意外と前者のような小説結構作ってて、そこそこ人気があるけど、それを否定してるわけだから。というより、自分は後者側だって分かった上で、前者の作品を書いてるように感じた。江戸川乱歩の作品を色々見てたってのもあると思うけど、少なくとも私はそう感じて、酒々井もそう感じたから私に勧めてくれたんだと思う。探偵小説ってさ、私の勝手な感想だけど、前者みたいなのって何というか、自身持てそうだよね。自分はこんな事も考えられるイカれたやつだ!みたいにさ。逆に王道っていうか、後者みたいなやつはさ、ありきたりっていうか、なんか凡人みたいな感じで、虚しくなったりするんだよ。だから前者みたいな小説を書こうとする。でも向いてないから失敗する。ぶっちゃけちゃうと、私の小説への執着も、似たような所から来てたんだ。私は時々思うところがある。そこの文章読んだ時、私は向いている方に行けってのと同時に、なりたいものになれって言われてるようだった。向いてる方向を変なこだわりで潰すな、でも向いてないものを挑戦する事を諦めてはいけない。私は向いてる方をに進む事を選んで、小説は書かなくなっちゃったけど、結構楽になったよ。まあ、全部が全部綺麗さっぱり無くなったってわけじゃないけど」桜森は照れ隠しに笑ってみせる。廿楽はその話を聞いて、自分なりに考えてみた。「どうしてシャボン玉の世界を書かなかったの?」酒々井の言葉が蘇る。廿楽はこの一週間、小説を書くにあたって、小説っぽくキャラクターを作って、小説っぽくセリフを入れて、小説っぽくすっきりした感じに終われるように、という事を考えながら、創作してきた。酒々井にはああ言ったが、別に情景が書けなかったわけではない。だがセリフを書かなくちゃと思って入れてみたら、その後どう繋げていいか分からず、結局セリフばっかりになってしまったのだ。変にこだわらない。そうか、それが行き詰まった理由。きっとそれを伝えるために薦めたのだろうと思うと、少しだけ心があったかくなった。「酒々井先輩って、人に興味ないと思ってたんですけど、意外と気にかけてくれているんですね」「ね、意外とね。本当は話す人いないからずっと小説書いてるんじゃない?」廿楽と桜森はクスクスと笑い合う。と、そのとき、「後輩に変な事吹き込まないでくれる?」「酒々井!」いつの間にかドアの前に立っていた酒々井の存在に気が付き、二人は目を大きく見開いた。桜森はただ驚いているだけだったが、廿楽は先輩を弄ってしまったという所から、冷や汗が止まらなかった。「へえ、後輩にどう思われるか気になるんだ。やっぱり酒々井も人間だねぇ」「廿楽さん、読み終わった?」「無視すんな、おい」桜森さんの的確なツッコミが炸裂する。廿楽は桜森に乗るべきか酒々井に乗るべきか、どうすればいいのか分からずおどおどしていると、どうやら桜森の方はそれ以上続ける気がなさそうなので、酒々井の質問に答えることにした。「あ、はい。読みました」「そう、で、どっちが良かった?」いつになく真剣な酒々井に、廿楽は首をコテっと傾げる。「え?そうですね。二つの中だと、ピエロの方ですかね?」「ええ!?」急に、桜森が机をバンと叩きながら立ち上がった。「ちょっと待ってよ、絶対陰獣でしょ!」「それは本当にセンスないと思う。道化師の方が絶対面白い」「はあ?あんな最初っから犯人分かるやつの何が面白いの?」「それは桜森さんが異常なんだよ。普通分からない。というか、陰獣こそ犯人見え見えでしょ」「でもあれはそこじゃない。人間の狂気っていうかさ。暴力っていう男の欲を引き出す女の異質な魅力がいいんじゃないか!」「意味わからない。というか、人間の狂気だったら、淡い恋心、よくあるだろう姉妹の些細な溝、それを深めに深めた故に起こる狂気じみた執着と犯行が書かれた道化師の方が人間の狂気を自然な形で、それでいて残酷に表されていると思う。その点陰獣は最後が少し雑すぎるよ。主人公が狂わされているように見せたかったんだろうけど、あれじゃあやらせにしか見えない」「それは、主人公が凡人であるが為に起こる事でしょうが!勢いに任せてやってるけど何処か冷静で、躊躇いがある。でも自分が狂わされてるって思いたいからそう振る舞う。そういう人間の、こう、欲ってゆうかさあ。というか君、そんな事も読み取れないで小説書いてるわけ?」「あ、あの……」唐突に始まった議論という名の喧嘩に、廿楽は困り果てた。これこそ犬猿の仲と言うのか。いや、少し違うような気もするが、それは置いといて、先輩の喧嘩を止める手段を持ってない廿楽はただあわあわとすることしかできない。しかし、このままにしておく程の肝も据わっていなかったので、立ち上がって止める素振りをみせてみる。「あらあら、大変なことになってるみたいね」と、後ろから声が聞こえて振り向くと、そこにはメガネを掛け、ひとつ縛りにした髪を横に流している、女子生徒が立っていた。現部長である神楽坂晴美だ。「神楽坂部長!」廿楽は瞳をうるうるさせながら、神楽坂に助けを求める。「神楽坂先輩……」「ぶ、部長、これは、その……」しかし逆に、急に酒々井と桜森の歯切れが悪くなった。廿楽は不思議に思って、コテっと首を傾げる。神楽坂は笑みを絶やさない。絶やさないまま、メガネを外す。「ふんふん、なるほどね。やだもう、酒々井君ったら、包丁なんて持ってないわよ。私を何だと思ってるの?莉里ちゃんも、水に沈めるなんて、そんなの小説の中でしかやらないから」冷や汗を流す二人、廿楽は何が起こっているのか分からず、そわそわさせる。「二人とも、次また後輩君達を困らせたら、分かってるよね?」「「はい、分かっております!」」「じゃあ、美久ちゃんに謝ろうか」「「はい、すみませんでした!」」「ええ……」騒動が収まったのはいいのものの、これはこれでどうしたらいいか分からず、廿楽は体をもじもじさせる。神楽坂はため息をひとつ吐くと、眼鏡を掛け直し、最後に鼻の微調整を行った。「よし、じゃあ、私今日はちょっと用があるから、お疲れ様」「「お疲れ様です!」」「お、お疲れ様です……」まるで大日本帝国時代の兵隊のように背筋をピンとさせて、ハキハキ喋る二人に戸惑いながら、廿楽は挨拶をする。神楽坂が帰った後、兵隊のようだった二人の先輩は、急に軟体動物のようにへなへなになった。「迂闊だった。まさか今日来るなんて……」「本当にそれ、美久ちゃん。部長だけは怒らせちゃダメだよ。人生ガチで終わるから」「は、はあ……」何のことかさっぱり分からず、曖昧な返事をする廿楽。だがあの酒々井があんなになるのだから余程のことがあると見て、今後神楽坂に逆らうことはやめようと、心に誓う廿楽だった。 作品ページについて http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/4485588 この度管理上の都合で、「ブログ」ページ内の部員作品へのリンクをまとめた「作品」ページを消去しました。また、それに伴い「ブログ」ページの名称を「作品・ブログ」に変更しています。今後部員作品をご覧になる際は直接そちらからお願いします。「作品・ブログ」ページ内の作品は「小説」「詩」「俳句」「短歌」「評論」「句会録」「歌会録」というようにカテゴリー分けされています。記事のカテゴリーはページ左側のバーより選択できますので、ジャンルごとに作品をご覧になりたい際にご活用ください。 2023-07-26T21:27:00+09:00 この度管理上の都合で、「ブログ」ページ内の部員作品へのリンクをまとめた「作品」ページを消去しました。また、それに伴い「ブログ」ページの名称を「作品・ブログ」に変更しています。今後部員作品をご覧になる際は直接そちらからお願いします。「作品・ブログ」ページ内の作品は「小説」「詩」「俳句」「短歌」「評論」「句会録」「歌会録」というようにカテゴリー分けされています。記事のカテゴリーはページ左側のバーより選択できますので、ジャンルごとに作品をご覧になりたい際にご活用ください。 新入生歓迎小説「ハレワタレ」 http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/4317543 新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんの入学を祝い文芸部員が書いた小説を公開いたします。(新一年生以外の方も楽しめる内容となっておりますので、どうぞご覧ください)ハレワタルマエ淡く滲むように広がる水色。ほのかに紫がかった、わたあめのような雲。彼女は草原に寝そべって、そばにある先が白みがかったたんぽぽを摘み取ると、切り離された部分を上にして、空をぐるぐるとかき混ぜ始めた。すると雲が汁を垂らす先に絡みつき、徐々にその大きさを増していく。ちょうど彼女の顔ぐらいの大きさになった時、彼女はそれにはふっとかぶりつき、口元を一周ペロリとと舐めると、頬をほんのり桃色に染め、ふふっと小さく微笑んだ。どうやらこの世界は、距離も大小も彼女の意のままであるらしい。そしてやはりあの空に浮かぶあれは、わたあめであったらしい。次に彼女は、わたあめにふうと息を吹きかけた。今度は何が起こるのだろうと不思議に思って見ていると、わたあめの先が次第に黒く染まり始め、いつの間にかわたあめの中に夕焼け色の、鮮やかな炎が生まれていた。彼女がゆっくり立ち上るのと同時に茎が彼女の背丈と同じぐらいに伸びる。白いたんぽぽでしかなかったそれは、炎を従えるステッキへと変化したのだ。彼女はそのステッキを半分におり、片方で火花を、もう片方で白い花弁を撒き散らしながら、大空の下で一人、舞い始めた。まるで白鳥の湖の演目を、見ているかのようだった。「夢はいつだって現実から生まれる。だから、信じていればきっと、どこまでも高く飛べるんだ」彼女の声だろうか。どこからか鈴の音のような優しい声が、そよ風によって運ばれてきた。彼女の姿は、遠くへと消えていく……。パチンハッとして目を開けると、そこには青く淡い空があった。爽やかな風が服と肌の間を駆け巡る。気が付くと僕は学校の屋上で、大の字に寝そべっていた。わたあめのように軽やかな雲を、人差し指を立てて彼女のようにかき混ぜてみる。何故、僕はここにいるのだろう。ああそうだ。部長から逃げてきたんだ。今は四月の後半。つまり、体験入部が活発に行われる時期である。一年生からしたら新たな自分を見つけるための時期と言えるだろうが、二、三年生からしたら、部の存続を賭けた部活同士の殴り合いだ。僕が所属している文芸部は、今は三年が四人、二年生は二人の計六人で活動している。生徒会の方で定められている部の規定として、部員が最低でも五人必要なのだが、今の三年生が卒業すると、部員は僕ともう一人の二人となり、新たな部員が入らなければ、同好会に降格される危機に陥ってしまうのである。また、文芸部の男子は今の所僕一人。新入部員を最低でも3人、そして男子部員を増やしたいと考えている現部長の神楽坂先輩は、僕を見せ物にするために、部室の前で待ち伏せしていたのだ。そして神楽坂先輩に見つかる前に、その気配を察知した僕は、慌てて屋上へと避難したのである。しかし何故僕は学校の屋上で、しかも大の字で変な夢を見ていたのか。屋上を目指した経緯については説明できるものの、今僕の置かれている状況については、考えても考えても全く思い当たる節がない。仕方なく僕はこれ以上考えることを諦めて、ひとまず体を起こした。「ん?これは……」その時、ぷよんと。太陽の光で虹色に輝く物体が、地面にへばりついているのを見つけて、僕は四足歩行で近づいた。「シャボン玉?」僕は手を伸ばしてみるが、既に限界を迎えていたようで、パチンと弾けて消えてしまう。そうだ思い出した。屋上に出て、大きく背中を伸ばしていたら、いきなり目の前に大きなシャボン玉が現れたのだ。僕は興味本位でそれに触れ、そしたらあんな不思議な夢を見たんだ。そういえばあの時、奥に女子生徒がいたような……。僕は周りを見渡してみる。しかし屋上には僕一人だ。誰もいない。「気のせい、だったのか?」全く、今日は変なことばかり起こるなと思いながら、僕はリュックからノートと筆箱を取り出した。夢とは思えないほど僕の心にこびりつくさっきの光景。あの世界は、僕の知るどの世界より美しかった。だから感動の余韻が残っているうちに、文字としてまとめておきたかったのだ。僕は神楽坂先輩が僕を見つけ出すまで、ダンゴムシのように丸まって、がむしゃらにノートに書き込み続けた。次の日。今日は神楽坂先輩の魔の手から逃げ切ることができず、強制的に部員集めに駆り出された。一年生の廊下は同じように三年生の先輩に駆り出された他部員の二年生が、うじゃうじゃいる。こうなってくると、誰が一年生なのか見当もつかない。僕の行動が無駄としか思えないほどに。「すっごい混んでるね」僕と同じく神楽坂先輩に駆り出された、もう一人の二年生の部員、桜森さんは僕の耳に顔を近づけさせてから言った。ここまでしないと声が聞こえないほどに、廊下はうるさいのだ。「僕のいる意味ないよね、帰っていい?」「ん?なんか言った?」元々声に深みのない僕の声では、この環境下だと猫の手以下の能力しか発揮しないようで、桜森さんはもっと僕に顔を近づけた。「近い……」年頃の男女がこんな近くにいていいものなのかという良識から、そもそも人とこんなに近くに居たくないという思いから、僕は顔を顰める。本当はこんな人混みの中にいることすら嫌なのだ。確かに文芸部が危機的状況にあることは僕も理解している。だが、そこまで頑張って新入部員を集めることもないと思うし、こんなことをするなら小説を書いていた方が何百倍もマシだ。「あー、もう無理。酔う。一旦、あっちに寄ろう」桜森さんも本質的には僕と同じ側の人間。この人混みに長時間いることを、好むはずがない。僕達は何かに急かされるように、ある程度人の少ない階段の方に逃げた。「すごい人の多さだね。あの道を通らないと文芸部に戻れないなんて、ここは地獄だ。だからといって遠回りするのも面倒くさい」「同感する」僕は顰めっ面で吐き捨てた。こんなことなら、昼休みの入部勧誘に付き合えば良かった。蹴ってしまったせいで、断り辛くなってしまった。ため息しか出てこない。こんな時、この憂鬱を晴らせてくれるような、わくわくすることが起きればいいのだが。例えば、あの不思議な世界を見せてくれたシャボン玉とか……。「あ……」とか考えていると、上へと続く階段に、一つのシャボン玉がぷかぷかと浮いているのが見えた。もしかしてまた、不思議なことを起こしてくれるだろうか。僕は期待を胸に、そのシャボン玉に触れてみた。暗闇の中に、彼女が浮かんでいた。殻の中に閉じこもって、何かに怯えてじっと身を屈めている。殻の外側から聞こえるゴンゴンという音に合わせて、暗闇が震えている。誰かがこの殻を壊そうとしているんだ。ピキピキっと、空間に罅が入る。パリンと鏡が割れたかのような音がしたと思ったら、眩し過ぎる光が彼女を捉え、彼女は小さく悲鳴を上げた。「大丈夫だよ」そう言いながら。開けられた穴に誰かの手が差し込まれる。とても温かみのある、太陽のような手。その手が彼女の肩に置かれた時、彼女は熱せられた鉄の棒を押し付けられたかのような悲鳴を上げた。穴は徐々に開いていき、手が次々に嫌がる彼女の体を掴む。その手はどうやら、彼女を光のある世界に連れ出したいらしい。例え彼女の身が、その光で焼かれようとも。「何故みんな、私を光に連れて行くの?私はずっと闇の中にいたいのに」彼女の悲痛な叫びが聞こえてきて……。パチン「おーい、大丈夫?」僕は桜森さんに呼ばれて、ハッとした。現実世界に戻ってる。もう少しあの世界にいたかったのに。「あれ、怒ってる?小説以外のことで感情を面に出すなんて……いや、小説のことなのか」僕は桜森さんを実質無視して、シャボン玉が飛んできた方を見た。外にシャボン玉が群れを成している。どうやらさっきのシャボン玉は、開いた窓から迷い込んだらしい。シャボン玉は上から舞い降りている。屋上……屋上に行けば、シャボン玉の主に会えるのだろうか。「桜森さん。ごめん、後は任せた」「あーはいはい、神楽坂部長にはきっちり伝えさせてもらうからね」桜森さんはこれまでの付き合いから、こうなった僕を止められないと分かっていたらしく、僕を無理にでも引き止めようとはしなかった。僕はそれに甘えて屋上への階段を一気に駆け上がった。シャボン玉が、世界が溢れている。屋上でシャボン玉をふいていたのは、一人の女子生徒だった。顎の高さで切り揃えられた髪を、耳に掛からないように押さえつけながら、ため息を吐くようにシャボン玉をふいていた。そのシャボン玉のひとつひとつに、僕の見た彼女たちが、映っている。「君が彼女達の世界を作ってるの?」突然話しかけたせいか、女子生徒は小さく悲鳴を上げて、勢いよく僕の方を向いた。パチンと、シャボン玉がひとつ、消える。「えっと、あの、先輩ですよね?」「僕のことはどうでもいい。それよりシャボン玉の中の世界、君が作ったの?」僕が尋ねると、女子生徒は心の底から驚いたような表情を見せた。「シャボン玉の世界が、見えるんですか?」「やっぱり、君が作ったんだね」僕は女子生徒に近づく。「君、名前は?」「廿楽、仁美ですが……」「廿楽さん、どうやったの?シャボン玉」僕は廿楽さんと名乗る女子生徒を問い詰めた。僕は小説のことになると、どうも歯止めが効かなくなるのだ。廿楽さんは僕の無神経過ぎる言葉が余りにも新鮮だったのか、口をパクパクと動かした。「えっと、シャボン玉に気持ちを込めるんです。シャボン玉として吐き出して、そのシャボン玉が割れた時、その気持ちから解放される、なんて……」「ふーん、とても興味深い能力だ」つまりあのシャボン玉の世界は、廿楽さんの心の世界ということか。あの素晴らしい世界が、廿楽さんの中にはまだまだたくさん溢れている。彼女の世界をもっと見てみたい。言葉にしたい。僕の心がはち切れんばかりにそう叫んでいる。「ねえ、文芸部に入りなよ」「はえ!?」僕の唐突な勧誘に、廿楽さんは素っ頓狂な声を出した。「あの、どういう……」「君の世界が気に入った。すごいよ、こんなにわくわくしたのは初めてだ」「そんな淡々とした口調で言われても……というか、無理です。私にはそんな」「僕は君の世界をもっと見たい。書いてみたい。君の言葉を読んでみたい。僕にここまで言わせても無理っていう?」「いや、えっと……」廿楽さんは目玉をキョロキョロさせる。「ご、ごめんなさい!」そして廿楽さんは僕にシャボン玉をふきつけて……。パチン気がついた時には僕は屋上に大の字に寝転がっていて、廿楽さんの姿はどこにもなかった。シャボン玉も全て消えてしまっている。でも、今はそんなことどうでもいい。廿楽さんの世界を、また見ることができたから。「やっぱり、すごいな」僕は胸に手を当てる。わくわくが止まらなかった。あの世界を小説として、一刻も早く残したかった。僕はすぐさま立ち上がり、部室へと一直線に向かった。部室のドアを開ける。何か落ち着かないなと思っていたら、体験入部の子が何人か、僕の顔をまじまじと見つめていた。僕は気にせず、彼らから少し離れた席に座り、執筆作業に取り掛かった。「ちょっと、挨拶ぐらいしなよ。後輩くん達が怖がってるよ」「僕のことはいないものと思っていいよ。僕は小説を書くのに忙しいから」「あのね君……って、既に心ここに在らずか」桜森さんは、ため息を吐く。そして僕のノートを取り上げて、その内容を読み始めた。「返してよ」「やだね。それより、何か作風変えた?」僕は顔を顰めた。「僕の、世界じゃないから」「どういうこと?」「廿楽さんって人の世界。すごかったから文芸部に誘ったんだけど、断られた」「へえ。……って、え!?君が、誘ったの?」桜森さんは信じられないという様子で僕を見た。「何?」「いや、ちゃんと仕事してたんだなっと。確かに独特な世界だとは思うけど」「僕がすごいって言ったのに、断られた。変だよね」「いや、うーん……。少なくとも、見知らぬ人に言い寄られて、逃げない人はいないと思いよ」桜森さんはまるで屋上での様子を、その場で見たかのように語る。桜森さんの言葉は大体合っているので、僕は顰めっ面で桜森さんを睨むことしかできなかった。次の日の放課後、僕は部員の誰かに見つかる前に、屋上へと向かった。廿楽さんを勧誘しに行くためだ。屋上に出た時、僕は目の前の光景に驚愕した。シャボン玉が、溢れていたのだ。屋上から溢れるばかりの。泡風呂にでも浸かっているかのように。そのシャボン玉の群れに飲まれるように、一人の女子生徒が倒れている。「もしかして、これが全部君の世界なのか?」あの世界をこんなにも作り出せるなんて、本当にすごい才能だ。でも何故だろうか。倒れている廿楽さんが、苦しんでいるように見えるのは。確かなことは、倒れているということは何かあったということ。取り敢えず、様子を確認しに行こう。僕は廿楽さんに近づくために、シャボン玉の大群に飛び込んだ。「どうせ全部壊れるのに、どうせ全部消えるのに」パチン「だからこそ、その一瞬が何よりも尊い。その輝きこそ生きている意味だ」パチン「これが、廿楽さんの心の中」一旦足を止める。僕は次々に流れ込む情報に酔い、頭を押さえた。すごい情報量だ。こんなものを一人で抱え込んでいたのか。本当に、天才だ。僕はもう一度、シャボン玉の群れに飛び込んだ。「この世界に、何の意味がある」パチン「意味なんてなくていい。今ここに存在している。それが全てだ」パチン「そうだとしても、この世界はいつも身勝手で」「もう、疲れたんだ」突然、体が水中に投げ出された。息は、できる。ここも廿楽さんのシャボン玉の中なのだろうか。僕は辺りを見渡してみた。そして僕は少し先にいる廿楽さんの姿を見つけた。心の窓から大量の水が流れ出している。もしかしてシャボン玉となる前の原液なのだろうか。つまり、あの世界の根源。「廿楽さん!」僕はこのままでは行けない気がして、廿楽さんに手を伸ばした。激流に飲まれないように、下から回り込んで、廿楽さんの手を掴む。パチン溢れかえっていたシャボン玉が、一斉に消えた。気がつくと僕は、廿楽さんの前に立っていた。廿楽さんはまだ倒れている。「大丈夫?廿楽さん」僕はしゃがみ込んで、廿楽さんの肩を軽く叩いて呼びかけた。彼女はどうやら意識はあるらしく、しかしこちらを向きたくないようで、ダンゴムシのように丸まった。「もう、嫌だ。吐き出しても、溢れてくる。どうすれば、楽になるの?」廿楽さんは今にも消えてしまいそうな声で、悲鳴を上げた。そうか、分かった。廿楽さんがあの素晴らしい世界をシャボン玉として吐き出していた理由。人の身で抱えきれなかったからだ。それだけ廿楽さんの世界は大きいんだ。「なら、文字にすればいい」「え……」廿楽さんは思いっきり顔を上げた。僕はゆっくりと立ち上がる。「小説を書くということは、ただ物語を書くという行為じゃない。自分の汚いところ、綺麗なところ、そういうものを他者に伝えるツールだよ。だから僕は小説を書く。自分を知るために、自分を知ってもらうために。君にはそれができる」廿楽さんは目を大きく見開いた。「ねえ、僕と」僕は廿楽さんに手を差し伸べる。「君の世界を書きに行こうよ」廿楽さんはもっと、目を見開いた。口をパクパクさせて、瞳を動かす。そして廿楽さんは唇を噛み締めて下を向いた。「楽に、なるんですか?それで」「さあ、でも君の世界はすごい。シャボン玉にするなんて、勿体無いよ。で、文芸部に入りたくなった?」僕は廿楽さんに問いかけた。廿楽さんは目をぱちくりとさせて、僕を見つめるばかりだ。「……まあ、ゆっくり考えると良いさ」これ以上は時間の無駄だ。そう切り捨てて、僕は廿楽さん背を向けた。「ま、待って!……ください」僕は足を止める。「な、名前。聞いてなかったから」「僕の?ああ、言ってなかったっけ?」僕は廿楽さんの方を向く。「酒々井だよ、酒々井斗和。じゃあ行くね、僕はこう見えて、小説を書くので忙しいんだ」「あ、あの、酒々井先輩!」もう一度呼び止められて、僕は眉を顰めた。「今度は何?」「文芸部に、一緒に行っていいですか?」今度は僕が目を見開いた。驚いた。だがそれよりも、廿楽さんを引き入れられたことに幸福を感じた。あの世界をこれからも、間近で見ることができる。僕はただ口元に薄っすらと笑みを浮かべた。「そっか。じゃあ、行こうか」「は、はい!」廿楽さんは元気よく返事をする。僕たちは並んで、階段を降りた。 2023-04-12T13:00:00+09:00 新一年生の皆さん、ご入学おめでとうございます。皆さんの入学を祝い文芸部員が書いた小説を公開いたします。(新一年生以外の方も楽しめる内容となっておりますので、どうぞご覧ください)ハレワタルマエ淡く滲むように広がる水色。ほのかに紫がかった、わたあめのような雲。彼女は草原に寝そべって、そばにある先が白みがかったたんぽぽを摘み取ると、切り離された部分を上にして、空をぐるぐるとかき混ぜ始めた。すると雲が汁を垂らす先に絡みつき、徐々にその大きさを増していく。ちょうど彼女の顔ぐらいの大きさになった時、彼女はそれにはふっとかぶりつき、口元を一周ペロリとと舐めると、頬をほんのり桃色に染め、ふふっと小さく微笑んだ。どうやらこの世界は、距離も大小も彼女の意のままであるらしい。そしてやはりあの空に浮かぶあれは、わたあめであったらしい。次に彼女は、わたあめにふうと息を吹きかけた。今度は何が起こるのだろうと不思議に思って見ていると、わたあめの先が次第に黒く染まり始め、いつの間にかわたあめの中に夕焼け色の、鮮やかな炎が生まれていた。彼女がゆっくり立ち上るのと同時に茎が彼女の背丈と同じぐらいに伸びる。白いたんぽぽでしかなかったそれは、炎を従えるステッキへと変化したのだ。彼女はそのステッキを半分におり、片方で火花を、もう片方で白い花弁を撒き散らしながら、大空の下で一人、舞い始めた。まるで白鳥の湖の演目を、見ているかのようだった。「夢はいつだって現実から生まれる。だから、信じていればきっと、どこまでも高く飛べるんだ」彼女の声だろうか。どこからか鈴の音のような優しい声が、そよ風によって運ばれてきた。彼女の姿は、遠くへと消えていく……。パチンハッとして目を開けると、そこには青く淡い空があった。爽やかな風が服と肌の間を駆け巡る。気が付くと僕は学校の屋上で、大の字に寝そべっていた。わたあめのように軽やかな雲を、人差し指を立てて彼女のようにかき混ぜてみる。何故、僕はここにいるのだろう。ああそうだ。部長から逃げてきたんだ。今は四月の後半。つまり、体験入部が活発に行われる時期である。一年生からしたら新たな自分を見つけるための時期と言えるだろうが、二、三年生からしたら、部の存続を賭けた部活同士の殴り合いだ。僕が所属している文芸部は、今は三年が四人、二年生は二人の計六人で活動している。生徒会の方で定められている部の規定として、部員が最低でも五人必要なのだが、今の三年生が卒業すると、部員は僕ともう一人の二人となり、新たな部員が入らなければ、同好会に降格される危機に陥ってしまうのである。また、文芸部の男子は今の所僕一人。新入部員を最低でも3人、そして男子部員を増やしたいと考えている現部長の神楽坂先輩は、僕を見せ物にするために、部室の前で待ち伏せしていたのだ。そして神楽坂先輩に見つかる前に、その気配を察知した僕は、慌てて屋上へと避難したのである。しかし何故僕は学校の屋上で、しかも大の字で変な夢を見ていたのか。屋上を目指した経緯については説明できるものの、今僕の置かれている状況については、考えても考えても全く思い当たる節がない。仕方なく僕はこれ以上考えることを諦めて、ひとまず体を起こした。「ん?これは……」その時、ぷよんと。太陽の光で虹色に輝く物体が、地面にへばりついているのを見つけて、僕は四足歩行で近づいた。「シャボン玉?」僕は手を伸ばしてみるが、既に限界を迎えていたようで、パチンと弾けて消えてしまう。そうだ思い出した。屋上に出て、大きく背中を伸ばしていたら、いきなり目の前に大きなシャボン玉が現れたのだ。僕は興味本位でそれに触れ、そしたらあんな不思議な夢を見たんだ。そういえばあの時、奥に女子生徒がいたような……。僕は周りを見渡してみる。しかし屋上には僕一人だ。誰もいない。「気のせい、だったのか?」全く、今日は変なことばかり起こるなと思いながら、僕はリュックからノートと筆箱を取り出した。夢とは思えないほど僕の心にこびりつくさっきの光景。あの世界は、僕の知るどの世界より美しかった。だから感動の余韻が残っているうちに、文字としてまとめておきたかったのだ。僕は神楽坂先輩が僕を見つけ出すまで、ダンゴムシのように丸まって、がむしゃらにノートに書き込み続けた。次の日。今日は神楽坂先輩の魔の手から逃げ切ることができず、強制的に部員集めに駆り出された。一年生の廊下は同じように三年生の先輩に駆り出された他部員の二年生が、うじゃうじゃいる。こうなってくると、誰が一年生なのか見当もつかない。僕の行動が無駄としか思えないほどに。「すっごい混んでるね」僕と同じく神楽坂先輩に駆り出された、もう一人の二年生の部員、桜森さんは僕の耳に顔を近づけさせてから言った。ここまでしないと声が聞こえないほどに、廊下はうるさいのだ。「僕のいる意味ないよね、帰っていい?」「ん?なんか言った?」元々声に深みのない僕の声では、この環境下だと猫の手以下の能力しか発揮しないようで、桜森さんはもっと僕に顔を近づけた。「近い……」年頃の男女がこんな近くにいていいものなのかという良識から、そもそも人とこんなに近くに居たくないという思いから、僕は顔を顰める。本当はこんな人混みの中にいることすら嫌なのだ。確かに文芸部が危機的状況にあることは僕も理解している。だが、そこまで頑張って新入部員を集めることもないと思うし、こんなことをするなら小説を書いていた方が何百倍もマシだ。「あー、もう無理。酔う。一旦、あっちに寄ろう」桜森さんも本質的には僕と同じ側の人間。この人混みに長時間いることを、好むはずがない。僕達は何かに急かされるように、ある程度人の少ない階段の方に逃げた。「すごい人の多さだね。あの道を通らないと文芸部に戻れないなんて、ここは地獄だ。だからといって遠回りするのも面倒くさい」「同感する」僕は顰めっ面で吐き捨てた。こんなことなら、昼休みの入部勧誘に付き合えば良かった。蹴ってしまったせいで、断り辛くなってしまった。ため息しか出てこない。こんな時、この憂鬱を晴らせてくれるような、わくわくすることが起きればいいのだが。例えば、あの不思議な世界を見せてくれたシャボン玉とか……。「あ……」とか考えていると、上へと続く階段に、一つのシャボン玉がぷかぷかと浮いているのが見えた。もしかしてまた、不思議なことを起こしてくれるだろうか。僕は期待を胸に、そのシャボン玉に触れてみた。暗闇の中に、彼女が浮かんでいた。殻の中に閉じこもって、何かに怯えてじっと身を屈めている。殻の外側から聞こえるゴンゴンという音に合わせて、暗闇が震えている。誰かがこの殻を壊そうとしているんだ。ピキピキっと、空間に罅が入る。パリンと鏡が割れたかのような音がしたと思ったら、眩し過ぎる光が彼女を捉え、彼女は小さく悲鳴を上げた。「大丈夫だよ」そう言いながら。開けられた穴に誰かの手が差し込まれる。とても温かみのある、太陽のような手。その手が彼女の肩に置かれた時、彼女は熱せられた鉄の棒を押し付けられたかのような悲鳴を上げた。穴は徐々に開いていき、手が次々に嫌がる彼女の体を掴む。その手はどうやら、彼女を光のある世界に連れ出したいらしい。例え彼女の身が、その光で焼かれようとも。「何故みんな、私を光に連れて行くの?私はずっと闇の中にいたいのに」彼女の悲痛な叫びが聞こえてきて……。パチン「おーい、大丈夫?」僕は桜森さんに呼ばれて、ハッとした。現実世界に戻ってる。もう少しあの世界にいたかったのに。「あれ、怒ってる?小説以外のことで感情を面に出すなんて……いや、小説のことなのか」僕は桜森さんを実質無視して、シャボン玉が飛んできた方を見た。外にシャボン玉が群れを成している。どうやらさっきのシャボン玉は、開いた窓から迷い込んだらしい。シャボン玉は上から舞い降りている。屋上……屋上に行けば、シャボン玉の主に会えるのだろうか。「桜森さん。ごめん、後は任せた」「あーはいはい、神楽坂部長にはきっちり伝えさせてもらうからね」桜森さんはこれまでの付き合いから、こうなった僕を止められないと分かっていたらしく、僕を無理にでも引き止めようとはしなかった。僕はそれに甘えて屋上への階段を一気に駆け上がった。シャボン玉が、世界が溢れている。屋上でシャボン玉をふいていたのは、一人の女子生徒だった。顎の高さで切り揃えられた髪を、耳に掛からないように押さえつけながら、ため息を吐くようにシャボン玉をふいていた。そのシャボン玉のひとつひとつに、僕の見た彼女たちが、映っている。「君が彼女達の世界を作ってるの?」突然話しかけたせいか、女子生徒は小さく悲鳴を上げて、勢いよく僕の方を向いた。パチンと、シャボン玉がひとつ、消える。「えっと、あの、先輩ですよね?」「僕のことはどうでもいい。それよりシャボン玉の中の世界、君が作ったの?」僕が尋ねると、女子生徒は心の底から驚いたような表情を見せた。「シャボン玉の世界が、見えるんですか?」「やっぱり、君が作ったんだね」僕は女子生徒に近づく。「君、名前は?」「廿楽、仁美ですが……」「廿楽さん、どうやったの?シャボン玉」僕は廿楽さんと名乗る女子生徒を問い詰めた。僕は小説のことになると、どうも歯止めが効かなくなるのだ。廿楽さんは僕の無神経過ぎる言葉が余りにも新鮮だったのか、口をパクパクと動かした。「えっと、シャボン玉に気持ちを込めるんです。シャボン玉として吐き出して、そのシャボン玉が割れた時、その気持ちから解放される、なんて……」「ふーん、とても興味深い能力だ」つまりあのシャボン玉の世界は、廿楽さんの心の世界ということか。あの素晴らしい世界が、廿楽さんの中にはまだまだたくさん溢れている。彼女の世界をもっと見てみたい。言葉にしたい。僕の心がはち切れんばかりにそう叫んでいる。「ねえ、文芸部に入りなよ」「はえ!?」僕の唐突な勧誘に、廿楽さんは素っ頓狂な声を出した。「あの、どういう……」「君の世界が気に入った。すごいよ、こんなにわくわくしたのは初めてだ」「そんな淡々とした口調で言われても……というか、無理です。私にはそんな」「僕は君の世界をもっと見たい。書いてみたい。君の言葉を読んでみたい。僕にここまで言わせても無理っていう?」「いや、えっと……」廿楽さんは目玉をキョロキョロさせる。「ご、ごめんなさい!」そして廿楽さんは僕にシャボン玉をふきつけて……。パチン気がついた時には僕は屋上に大の字に寝転がっていて、廿楽さんの姿はどこにもなかった。シャボン玉も全て消えてしまっている。でも、今はそんなことどうでもいい。廿楽さんの世界を、また見ることができたから。「やっぱり、すごいな」僕は胸に手を当てる。わくわくが止まらなかった。あの世界を小説として、一刻も早く残したかった。僕はすぐさま立ち上がり、部室へと一直線に向かった。部室のドアを開ける。何か落ち着かないなと思っていたら、体験入部の子が何人か、僕の顔をまじまじと見つめていた。僕は気にせず、彼らから少し離れた席に座り、執筆作業に取り掛かった。「ちょっと、挨拶ぐらいしなよ。後輩くん達が怖がってるよ」「僕のことはいないものと思っていいよ。僕は小説を書くのに忙しいから」「あのね君……って、既に心ここに在らずか」桜森さんは、ため息を吐く。そして僕のノートを取り上げて、その内容を読み始めた。「返してよ」「やだね。それより、何か作風変えた?」僕は顔を顰めた。「僕の、世界じゃないから」「どういうこと?」「廿楽さんって人の世界。すごかったから文芸部に誘ったんだけど、断られた」「へえ。……って、え!?君が、誘ったの?」桜森さんは信じられないという様子で僕を見た。「何?」「いや、ちゃんと仕事してたんだなっと。確かに独特な世界だとは思うけど」「僕がすごいって言ったのに、断られた。変だよね」「いや、うーん……。少なくとも、見知らぬ人に言い寄られて、逃げない人はいないと思いよ」桜森さんはまるで屋上での様子を、その場で見たかのように語る。桜森さんの言葉は大体合っているので、僕は顰めっ面で桜森さんを睨むことしかできなかった。次の日の放課後、僕は部員の誰かに見つかる前に、屋上へと向かった。廿楽さんを勧誘しに行くためだ。屋上に出た時、僕は目の前の光景に驚愕した。シャボン玉が、溢れていたのだ。屋上から溢れるばかりの。泡風呂にでも浸かっているかのように。そのシャボン玉の群れに飲まれるように、一人の女子生徒が倒れている。「もしかして、これが全部君の世界なのか?」あの世界をこんなにも作り出せるなんて、本当にすごい才能だ。でも何故だろうか。倒れている廿楽さんが、苦しんでいるように見えるのは。確かなことは、倒れているということは何かあったということ。取り敢えず、様子を確認しに行こう。僕は廿楽さんに近づくために、シャボン玉の大群に飛び込んだ。「どうせ全部壊れるのに、どうせ全部消えるのに」パチン「だからこそ、その一瞬が何よりも尊い。その輝きこそ生きている意味だ」パチン「これが、廿楽さんの心の中」一旦足を止める。僕は次々に流れ込む情報に酔い、頭を押さえた。すごい情報量だ。こんなものを一人で抱え込んでいたのか。本当に、天才だ。僕はもう一度、シャボン玉の群れに飛び込んだ。「この世界に、何の意味がある」パチン「意味なんてなくていい。今ここに存在している。それが全てだ」パチン「そうだとしても、この世界はいつも身勝手で」「もう、疲れたんだ」突然、体が水中に投げ出された。息は、できる。ここも廿楽さんのシャボン玉の中なのだろうか。僕は辺りを見渡してみた。そして僕は少し先にいる廿楽さんの姿を見つけた。心の窓から大量の水が流れ出している。もしかしてシャボン玉となる前の原液なのだろうか。つまり、あの世界の根源。「廿楽さん!」僕はこのままでは行けない気がして、廿楽さんに手を伸ばした。激流に飲まれないように、下から回り込んで、廿楽さんの手を掴む。パチン溢れかえっていたシャボン玉が、一斉に消えた。気がつくと僕は、廿楽さんの前に立っていた。廿楽さんはまだ倒れている。「大丈夫?廿楽さん」僕はしゃがみ込んで、廿楽さんの肩を軽く叩いて呼びかけた。彼女はどうやら意識はあるらしく、しかしこちらを向きたくないようで、ダンゴムシのように丸まった。「もう、嫌だ。吐き出しても、溢れてくる。どうすれば、楽になるの?」廿楽さんは今にも消えてしまいそうな声で、悲鳴を上げた。そうか、分かった。廿楽さんがあの素晴らしい世界をシャボン玉として吐き出していた理由。人の身で抱えきれなかったからだ。それだけ廿楽さんの世界は大きいんだ。「なら、文字にすればいい」「え……」廿楽さんは思いっきり顔を上げた。僕はゆっくりと立ち上がる。「小説を書くということは、ただ物語を書くという行為じゃない。自分の汚いところ、綺麗なところ、そういうものを他者に伝えるツールだよ。だから僕は小説を書く。自分を知るために、自分を知ってもらうために。君にはそれができる」廿楽さんは目を大きく見開いた。「ねえ、僕と」僕は廿楽さんに手を差し伸べる。「君の世界を書きに行こうよ」廿楽さんはもっと、目を見開いた。口をパクパクさせて、瞳を動かす。そして廿楽さんは唇を噛み締めて下を向いた。「楽に、なるんですか?それで」「さあ、でも君の世界はすごい。シャボン玉にするなんて、勿体無いよ。で、文芸部に入りたくなった?」僕は廿楽さんに問いかけた。廿楽さんは目をぱちくりとさせて、僕を見つめるばかりだ。「……まあ、ゆっくり考えると良いさ」これ以上は時間の無駄だ。そう切り捨てて、僕は廿楽さん背を向けた。「ま、待って!……ください」僕は足を止める。「な、名前。聞いてなかったから」「僕の?ああ、言ってなかったっけ?」僕は廿楽さんの方を向く。「酒々井だよ、酒々井斗和。じゃあ行くね、僕はこう見えて、小説を書くので忙しいんだ」「あ、あの、酒々井先輩!」もう一度呼び止められて、僕は眉を顰めた。「今度は何?」「文芸部に、一緒に行っていいですか?」今度は僕が目を見開いた。驚いた。だがそれよりも、廿楽さんを引き入れられたことに幸福を感じた。あの世界をこれからも、間近で見ることができる。僕はただ口元に薄っすらと笑みを浮かべた。「そっか。じゃあ、行こうか」「は、はい!」廿楽さんは元気よく返事をする。僕たちは並んで、階段を降りた。 サイトのデザインをリニューアルしました http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/4315786 ホームページ再始動、先日まず第一歩としてサイト全体のデザインを見やすいようにリニューアルいたしました。本日中にまた動きがあると思います。お楽しみに。今後も、よりわかりやすく旭東文芸部の情報を発信できるサイトとなるよう、公式Twitterとも連携しつつ更新していきたいと思います。文責こね 2023-04-12T06:31:00+09:00 ホームページ再始動、先日まず第一歩としてサイト全体のデザインを見やすいようにリニューアルいたしました。本日中にまた動きがあると思います。お楽しみに。今後も、よりわかりやすく旭東文芸部の情報を発信できるサイトとなるよう、公式Twitterとも連携しつつ更新していきたいと思います。文責こね このブログについて http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/3992231 このホームページをぼちぼち再始動していこうと考えています。とりあえずこの夏休みのうちに古くなっている情報などを更新していくつもりです。気長にお待ちください。運営方針などが具体的に決まるまでは主に[link:https://twitter.com/kyokutou_bungei:別窓]ツイッターで情報を発信していくのでご確認ください。文責とがし 2022-08-06T17:30:00+09:00 このホームページをぼちぼち再始動していこうと考えています。とりあえずこの夏休みのうちに古くなっている情報などを更新していくつもりです。気長にお待ちください。運営方針などが具体的に決まるまでは主に[link:https://twitter.com/kyokutou_bungei:別窓]ツイッターで情報を発信していくのでご確認ください。文責とがし 有島青少年文芸賞 最優秀賞受賞 http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/1980433 北海道新聞社主催、第55回有島青少年文芸賞にて2年吉田圭佑の詩「OContradictio」が最優秀賞を受賞しました。また、11月28日の北海道新聞朝刊22面23面で特集されていますので、もし宜しければご覧になってください。以下、受賞作です。――――――――――――――――――――――OContradictioⅠ国家検閲済み「地味と滋味」表だけ見てはいけません大切なのは中身です渋い顔をせず取り込みましょう各自判断で吐いても良いです(改)それが如何に醜くても「衝動と聖道」ひたすらに我慢あるのみです世の中は全て我慢と受諾全てを受け止めたその時人は聖人へと成り得るのです(改)いくら修行を積んだとしても女、酒には目を向けます抗おうとも無駄でしょう聖人である前に動物ですから「則とノリ」周りの軽率な風潮に流されてはいけません大河があってそこで初めて別々の流れを作れるのです(改)その遥か上に絶対的な規則が有るのをお忘れなく「芥とACTER」人を選別してはいけません無駄も誰かにとっては芸術であり命もそれぞれ選択肢があり可能性があり希望があります(改)常に何かを生み出して我々自身を豊かにしましょう非生産的、無気力的なら塵芥も同然なのですから「後悔と航海」数え切れない後悔をしましょう果てしない航路を往くことで新しい大陸を美しい山を発見でき得るのです(改)過ぎ去る事象一切に対して思い巡らすのは無駄です今の時代に海路を辿り世界一周を目論むように「紙価と詞華」言葉は集合してこそです集合し、目に入った時白い背景と相まって(改)言葉は常に紙を与えられその言葉が高次的な程より高級な紙を得てより一層に輝きます「武闘と舞踏」美しい舞にはそれを支える肉体がありますそしてそれを動作させる確固たる意志で成り立ちます(改)高い跳躍は逞しい肢から美と力とは比例です「怒りと錨」自己防衛の感情です「怒りっぽい」は個性なのです船も一度錨を下げないと止まらないようなものですから(改)それは貴方を束縛し暗い彼方へと沈めます暗さと無音と冷たさが貴方の全身を錆びつかせます「王と翁」いつか猛威を振るった王も皆に等しく優しい王もいつかは白髪を携えて次の王の礎となります(改)歯と知力とを失います「起源と期限」我々のスタートを知ることで今の地点を確認できます我々のルーツを知ることでそこから解決策が出る時も(改)後ろを向きながら走ると前への意識が疎かになりやがては躓き歩み遅れます「鉄と哲」鉄は錆びて心理は変わり今までの「はい」が「いいえ」になりまた最初から築き上げるその手間を惜しんではいけない(改)真鍮のように永遠に輝き切れ目はおろか曲げも出来ないこの完璧かつ美しい構造に我々は生かされているのです「自己と事故」人と人とはいつも事故を引き起こしますそうして衝突する事で貴方はやっと過ちを感じます(改)私たちと共に頑張りましょうⅡ遠くに吠えるうたこの頃向いの家の犬が真夜中によく吠えている空気が澄んだこの町は犬のダミ声もよく通す何が不服で吠えているのかそれは遥か西の革靴の雑踏が耳障りなのかしらあの高慢で帝国主義で孤独を孕んだあの靴音が或いは北の大氷塊が落ちる音かぽっかり開いた天の穴からじりじり焼かれ断末魔を上げるあの声がいいや東の大演説家に違いない全てを拒み鉄壁を築き摩天楼を築く指示を出すあの雄弁がそれとも南の風が唸る音かも幾重もの雲を従え計算不能のルートを辿る大気の螺旋が兎にも角にも家の向いのナチュラリストで国際主義な犬がよく吠えているⅢ夢見がちなcapriccio松がある火の粉を降らし自身を焦がして乱立する松月がある太陽に憧れ大きくなって鉄の心を晒している荒れ果てた月湖がある住む魚を息詰まらせ微小な生物すら溶かし尽くすひとりぼっちの湖骨がある獣でもない人でもない所有者を持たず尖っている風に鳴る骨鳥があるこれから山の連続を飛び続ける航路の上の所在を持たぬ鳥虫がある生まれ唯まぐわうだけのエチュードを奏でる跳躍する虫私がある絶世とも言えるこの舞台でこのまま静かに終結していく私を夢むRitardando薄紅の拍動Ⅳ因果交流電燈●いたみアア、アデウス様聞コエマセウカアナタ様ヲオ慕イシテオリマシタ(耳鳴リガスル)サウスレバモウ苦シマズニ“ぱらいそ”ヘ行ケルト思イ上ガツテオリマシタ(爪、剥ガレタ)今、家モ、山モ、クロスモ、空モ、アノ人懐ツコイ野良ノ猫モ誓子モ、拓郎モ焼カレタノデス引キ裂カレタノデス押シ潰サレ揉ミシダカレ紙切ノヤウニ折ラレタノデス(腹モパツクリ割レチマツタ)コレハ“ぱらいそ”デセウカコレガ“御加護”デセウカアア、イ、痛イ背ガメクレテイル手、手モ痛アアア喉ガジボンデグル景色ノ白、白、白、白アア、セメ、テ、オ答エ、ォ●いつくしみにわをふらふらあるいていたらぴかぴかひかるばらがさいてたがらすのばらがらすのばらはいちりんだけそのほかみんなふつうのばらそれをながめていたらあめがふりだしかぜもふきだしいつのまにやらあらしになったがらすのばらにひびがはいってはなびらひとつおちてわれたかぜにふかれてまたひとつしずくがおちてまたひとつみずのおもみでまたひとつかみなりのおとでまたひとつ僕はこまったこまってこまってこまったあげくそこらのばらをぜんぶ切ってがらすのばらを野晒にしたそしてばらはさしこむひかりにたえきれなくてさいごのはなびらをおとしていったⅤときのうた白い巨塔果てなくそびえ象眼に満ちる回廊を行く塔の中は発条でまみれその一動作が西日を受け光るその金属音との間に呻く声、泣く声鉄の歪み出す音火の咆哮母を求める黄色い声がそのまま火の粉になったようで火が消えたようにその子も居なくなったろう祈りの声も「十戒」よろしく口裂けるほど叫ぶようにもはや何の敬意も称さず高温が、波打つように耳を撫で、頬をノックするその実体だけだ感じが分からない歩を進める象眼は薄れ熱も消えたが不感な俺への疑問が残った塔の小窓から白い気体が立ち込めている雲海を抜けたことはそれと強い光で知ったその窓から天使が腰を下ろしている頭の輪は交信するように疲弊を必死に伝えている矢尽き弓折れ背中の翼はもぎ取られ光沢のある骨の尖りと青白い血を晒している「辞職してやる人間八十億人より俺の庭の咲きかけのシラサギが気がかりだ!」そういって退職届を持ち忘れたまま憔悴の表情で空に落ちていった踵を返すと強風が吹き髪が逆立つ外の空気は…やはり匂わない屋上はもうそこらが剥げて天に一番近い所だと貼り紙が告げている(赤い字で)集合墓地大時鐘無情な光線が待ち受ける日本の墓石から十字架粗末な石塔黄金の棺晒された首…そこに一つ無名の墓石ひたすらに黒い吸い込まれそうな艶やかさが瞬間鐘の音が空を断つ理解した定刻の合図だ復僕はこの塔を登る確定事項であった 2017-12-02T22:15:00+09:00 北海道新聞社主催、第55回有島青少年文芸賞にて2年吉田圭佑の詩「OContradictio」が最優秀賞を受賞しました。また、11月28日の北海道新聞朝刊22面23面で特集されていますので、もし宜しければご覧になってください。以下、受賞作です。――――――――――――――――――――――OContradictioⅠ国家検閲済み「地味と滋味」表だけ見てはいけません大切なのは中身です渋い顔をせず取り込みましょう各自判断で吐いても良いです(改)それが如何に醜くても「衝動と聖道」ひたすらに我慢あるのみです世の中は全て我慢と受諾全てを受け止めたその時人は聖人へと成り得るのです(改)いくら修行を積んだとしても女、酒には目を向けます抗おうとも無駄でしょう聖人である前に動物ですから「則とノリ」周りの軽率な風潮に流されてはいけません大河があってそこで初めて別々の流れを作れるのです(改)その遥か上に絶対的な規則が有るのをお忘れなく「芥とACTER」人を選別してはいけません無駄も誰かにとっては芸術であり命もそれぞれ選択肢があり可能性があり希望があります(改)常に何かを生み出して我々自身を豊かにしましょう非生産的、無気力的なら塵芥も同然なのですから「後悔と航海」数え切れない後悔をしましょう果てしない航路を往くことで新しい大陸を美しい山を発見でき得るのです(改)過ぎ去る事象一切に対して思い巡らすのは無駄です今の時代に海路を辿り世界一周を目論むように「紙価と詞華」言葉は集合してこそです集合し、目に入った時白い背景と相まって(改)言葉は常に紙を与えられその言葉が高次的な程より高級な紙を得てより一層に輝きます「武闘と舞踏」美しい舞にはそれを支える肉体がありますそしてそれを動作させる確固たる意志で成り立ちます(改)高い跳躍は逞しい肢から美と力とは比例です「怒りと錨」自己防衛の感情です「怒りっぽい」は個性なのです船も一度錨を下げないと止まらないようなものですから(改)それは貴方を束縛し暗い彼方へと沈めます暗さと無音と冷たさが貴方の全身を錆びつかせます「王と翁」いつか猛威を振るった王も皆に等しく優しい王もいつかは白髪を携えて次の王の礎となります(改)歯と知力とを失います「起源と期限」我々のスタートを知ることで今の地点を確認できます我々のルーツを知ることでそこから解決策が出る時も(改)後ろを向きながら走ると前への意識が疎かになりやがては躓き歩み遅れます「鉄と哲」鉄は錆びて心理は変わり今までの「はい」が「いいえ」になりまた最初から築き上げるその手間を惜しんではいけない(改)真鍮のように永遠に輝き切れ目はおろか曲げも出来ないこの完璧かつ美しい構造に我々は生かされているのです「自己と事故」人と人とはいつも事故を引き起こしますそうして衝突する事で貴方はやっと過ちを感じます(改)私たちと共に頑張りましょうⅡ遠くに吠えるうたこの頃向いの家の犬が真夜中によく吠えている空気が澄んだこの町は犬のダミ声もよく通す何が不服で吠えているのかそれは遥か西の革靴の雑踏が耳障りなのかしらあの高慢で帝国主義で孤独を孕んだあの靴音が或いは北の大氷塊が落ちる音かぽっかり開いた天の穴からじりじり焼かれ断末魔を上げるあの声がいいや東の大演説家に違いない全てを拒み鉄壁を築き摩天楼を築く指示を出すあの雄弁がそれとも南の風が唸る音かも幾重もの雲を従え計算不能のルートを辿る大気の螺旋が兎にも角にも家の向いのナチュラリストで国際主義な犬がよく吠えているⅢ夢見がちなcapriccio松がある火の粉を降らし自身を焦がして乱立する松月がある太陽に憧れ大きくなって鉄の心を晒している荒れ果てた月湖がある住む魚を息詰まらせ微小な生物すら溶かし尽くすひとりぼっちの湖骨がある獣でもない人でもない所有者を持たず尖っている風に鳴る骨鳥があるこれから山の連続を飛び続ける航路の上の所在を持たぬ鳥虫がある生まれ唯まぐわうだけのエチュードを奏でる跳躍する虫私がある絶世とも言えるこの舞台でこのまま静かに終結していく私を夢むRitardando薄紅の拍動Ⅳ因果交流電燈●いたみアア、アデウス様聞コエマセウカアナタ様ヲオ慕イシテオリマシタ(耳鳴リガスル)サウスレバモウ苦シマズニ“ぱらいそ”ヘ行ケルト思イ上ガツテオリマシタ(爪、剥ガレタ)今、家モ、山モ、クロスモ、空モ、アノ人懐ツコイ野良ノ猫モ誓子モ、拓郎モ焼カレタノデス引キ裂カレタノデス押シ潰サレ揉ミシダカレ紙切ノヤウニ折ラレタノデス(腹モパツクリ割レチマツタ)コレハ“ぱらいそ”デセウカコレガ“御加護”デセウカアア、イ、痛イ背ガメクレテイル手、手モ痛アアア喉ガジボンデグル景色ノ白、白、白、白アア、セメ、テ、オ答エ、ォ●いつくしみにわをふらふらあるいていたらぴかぴかひかるばらがさいてたがらすのばらがらすのばらはいちりんだけそのほかみんなふつうのばらそれをながめていたらあめがふりだしかぜもふきだしいつのまにやらあらしになったがらすのばらにひびがはいってはなびらひとつおちてわれたかぜにふかれてまたひとつしずくがおちてまたひとつみずのおもみでまたひとつかみなりのおとでまたひとつ僕はこまったこまってこまってこまったあげくそこらのばらをぜんぶ切ってがらすのばらを野晒にしたそしてばらはさしこむひかりにたえきれなくてさいごのはなびらをおとしていったⅤときのうた白い巨塔果てなくそびえ象眼に満ちる回廊を行く塔の中は発条でまみれその一動作が西日を受け光るその金属音との間に呻く声、泣く声鉄の歪み出す音火の咆哮母を求める黄色い声がそのまま火の粉になったようで火が消えたようにその子も居なくなったろう祈りの声も「十戒」よろしく口裂けるほど叫ぶようにもはや何の敬意も称さず高温が、波打つように耳を撫で、頬をノックするその実体だけだ感じが分からない歩を進める象眼は薄れ熱も消えたが不感な俺への疑問が残った塔の小窓から白い気体が立ち込めている雲海を抜けたことはそれと強い光で知ったその窓から天使が腰を下ろしている頭の輪は交信するように疲弊を必死に伝えている矢尽き弓折れ背中の翼はもぎ取られ光沢のある骨の尖りと青白い血を晒している「辞職してやる人間八十億人より俺の庭の咲きかけのシラサギが気がかりだ!」そういって退職届を持ち忘れたまま憔悴の表情で空に落ちていった踵を返すと強風が吹き髪が逆立つ外の空気は…やはり匂わない屋上はもうそこらが剥げて天に一番近い所だと貼り紙が告げている(赤い字で)集合墓地大時鐘無情な光線が待ち受ける日本の墓石から十字架粗末な石塔黄金の棺晒された首…そこに一つ無名の墓石ひたすらに黒い吸い込まれそうな艶やかさが瞬間鐘の音が空を断つ理解した定刻の合図だ復僕はこの塔を登る確定事項であった 「助詞から『花間一壺』を見晴るかす」 http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/1581560 「助詞から『花間一壺』を見晴るかす」旭川東三年柳元佑太田中裕明は、岸本尚毅や櫂未知子、長谷川櫂や小澤實らと共に活躍した、いわゆる昭和三十年代俳人の一人である。一九五九年、大阪市生まれ。高校生のころ島田牙城に誘われ「青」に入会し、波多野爽波の選を受け、京都大学在学中に、史上最年少二十二歳で角川賞を獲る。二〇〇四年の十二月三十日、骨髄性白血病による肺炎で、四十五歳という若さで逝去した。(『セレクション俳人田中裕明集』収録「田中裕明略歴」/二刷を参照)裕明には、句柄の転換期があると評されることがあり、岸本尚毅の「句集解題・それぞれの句集について」(『田中裕明全句集』)でも前期と後期に分けて語られている。前期は、第一句集『山信』第二句集『花間一壺』第三句集『桜姫譚』の、二十代から三十にかけて。後期は、第四句集『先生から手紙』、死後に刊行された第五句集『夜の客人』の、三十から四十代にかけての、晩年と呼べるような時期にあたる。前期は、豊富な型と凝ったレトリック、後期は、平明かつ明るい詩情によって特徴づけられるように思う。ぼくは、前期と後期どちらが好きかと問われると、結構困ってしまう。ミーハーめいたことをいうと、前期も後期も好きなのだ。ただ、おそらくぼくは、前期と後期の句をそれぞれ異なるやり方で面白がっているのではなくて、裕明の句のなかに一貫して流れている何かを好んでいるゆえ、前期の句も、後期の句も好きなのだと思う。裕明評にはこれからも何度も挑戦するつもりなので、一貫して流れる何かについては、少しずつその水脈を辿っていきたい。まず今回はその序章として、『セレクション俳人田中裕明集』から第二句集『花間一壺』を鑑賞してみる。『花間一壺』は、牧羊社から一九八五年に刊行された句集で、裕明の二十一歳から二十五歳の時期にあたる。角川賞を獲った「童子の夢」五十句からも、〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈あゆみきし涅槃の雪のくらさかな〉などの十一句が収録されている句集でもある。『花間一壺』には、平面で澄んだ詩情といった後期の裕明の句の文脈では掬い取れない面白さがあるので、本論ではそこを掘り下げて見ていきたい。裕明は取り合わせを中心に語られることが多い。『花間一壺』にも、惚れ惚れするような取合わせの句がいくつもある。天道蟲宵の電車の明るくて桐一葉入江かはらず寺はなく雪舟は多くのこらず秋螢夏やなぎ湯を出て肩の匂ひけり鋭きものを恐るる病ひ更衣どれもぼくの愛唱句だ。一句目には、明るい〈宵の電車〉と取合わせられた、〈天道虫〉の生活感のある儚さがあるし、二句目には、緩やかで無常な空間がある。三句目は長い時間を経た〈雪舟〉と〈秋螢〉が時間をはるけきものにする。どの句も裕明の代表句といって良いはずだ。ただ、これらは『花間一壺』のなかでは割に平明で、語りやすい句だ。そして、平明ではなく、語りにくい句が、『花間一壺』にはたくさん見受けられる。むしろ『花間一壺』を特徴づけるのは、そのような句であるようにも思うのだ。それらを鑑賞するために、今回は取合わせではなく、裕明の独特な助詞に注目してみたい。裕明の助詞のなにが独特なのかというと、一句を文法的に切らない助詞を、積極的に選ぶという点である。『セレクション俳人田中裕明集』収録の、小澤實による「平安の壺」と銘打つ『花間一壺』評のなかでも、〈ぐだくだと一行が続いていく。すっきりしない。短歌的な印象がある。〉とやや否定的な側面から、そのことについて触れられている。小澤が引用している句を引いてみる。この旅も半ばは雨の夏雲雀たしかにこの句はある種、短歌的だという指摘を受け付ける。それはおそらく、中七の最後の助詞「の」に起因する。旅の最中、雨が降り出してきた。振り返れば前回の旅も雨だったはずで、またしても旅の半ばは雨だ。そんな思いを抱いたとき、どこからか夏雲雀の声が聞こえる、あるいは夏雲雀が横切った——句意はこれくらいだろう。この句意を鑑みるに、措辞と〈夏雲雀〉との取り合わせであるから、中七に意味としての断絶を持つはずであり、前述の指摘を避けるには〈この旅も半ばは雨よ夏雲雀〉とでもすればよいはずである。しかしながら裕明はここを「の」で繋ぐ。ぼくには、これが成功しているか失敗しているかは分からないけれど、少なくとも短歌的だ、などとして簡単に失敗と言い切ってはいけない何かがあることも、同時に思う。短歌的であるというのはあくまでも副次的なものであり、裕明にとってのメインパーパス、意図したところはこれではなかったように思うのである。ではその意図するところはなんであったのかというと、それは非常に言語化しづらくて、ひとまずぼくが考え得るところを記す。この助詞「の」は、文法により、断絶されるべき二者のスキマティックな結びつきを強めることで、二者があたかも意味上の断絶を乗り越えて、意味としてすら結びついているような感覚を生み出しているのではないだろうか。(以後、語彙と文法により理解される句の意味を「本来的な句意」、文法による裏打ちしか持たないスキマティックな句の意味を「文法的な句意」と呼ぶ)抽象的になってしまったので、この句において換言してみる。〈この旅も半ばは雨〉と〈夏雲雀〉は、意味の上では断絶を持つはずの取り合わせであるにも関わらず、その二者が切れを挟んで対等な関係として並置されないように、助詞「の」で繋がれる。「文法的な句意」の獲得により、二者が意味とは別の空間——文法の空間——で、相互に関わり合う。それにより、〈この旅は半ばは雨の〉というイメージを引き受けた〈夏雲雀〉が「本来的な句意」の裏側、意味で回収しきれないねじれの位置に潜むことになるのである。おそらくぼくたちのプリミティブな読みにおいて、「本来的な句意」と「文法的な句意」は、互いを排斥する関係にはない。もちろん最後は「本来的な句意」に「文法的な句意」は回収されると思うのだけれど、その回収された分の情報が、「本来的な句意」に言語化されない詩情として、影響を及ぼすのではないか。あるいは、それが「本来的な句意」によって回収されないことによって、「本来的な句意」を回収したにも関わらず、まだ句がなんらかの詩情を含有しているような感覚が生じるのではないか。上五中七のイメージを多分に受け止めた〈夏雲雀〉の淡い明るさが、ぼくは好きなのである。このような使い方の助詞が現れている句は『花間一壺』において、他にもある。いちにちをあるきどほしの初櫻〈いちにちをあるきどほし〉という措辞と〈初櫻〉が並置される関係を超えて結びつく。〈いちにちをあるきどほし〉である主体は〈わたし〉であるにも関わらず、文法的に主体になり得る可能性を秘めた〈初櫻〉がこの句においては主体のように振る舞う。この時、一瞬ぼくたちは歩きどおしで疲れのある〈わたし〉の身体と、春先でまだ冷たい幹を持てる〈初櫻〉が重なるような身体感覚を引き受ける。裕明特有の助詞「の」の使用法は、〈意味における切れ〉と〈文法における切れ〉をずらすことにより、単純明快な二者の振幅の構造により理解されることを拒む。意味でないところで二者の結びつけを強め、多層的な質感を演出するのだ。そういえば昔、祖父母の家に行くと、なぜだか分からないけれど、大量のセロファン紙があった。赤、青、黄、緑。どれも半透明で、何色重ねてもぼやっと向こう側のひかりが見える。小さい頃のぼくは、そのひかりにドキドキした。裕明の助詞「の」は、これに似ていると思う。その向こうからやってくるひかりを遮らずに、様々なイメージを幾重にも重ね合わせ、詩情に重層性を持たせるのである。思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟さだまらぬ旅のゆくへに盆の波また、助詞「に」も、独特の使い方がされている。「に」で繋がれている二者も、一般的には取合わせとして書くべき内容であるはずのものなのである。一句目と二句目ともに、中七で切れを伴うのが普通だ。しかしながら裕明は、これも緩やかに助詞を用いて繋いでゆく。このように使われる助詞「に」は〈概念を場所化する〉とでも言おうか。句において具体的に換言してみる。一句目、〈思ひ出せぬ川のなまへ〉というわたし的な概念を「に」によって場所化し、水がたゆたうぼんやりとした空間として立ち上げる。そしてこれにより〈藻刈舟〉が浮かぶことができる空間を確保する。意味としては概念を書いているにも関わらず、テクニカルな助詞により、〈川に舟が浮かんでいる〉という景を具象的に喚起するという、非常に技巧的なことが起きている。二句目もそうだ。〈さだまらぬ旅のゆくへ〉という概念を、助詞「に」によって、さもそれが物質的な空間であるかのように立ち上げる。そしてそこには〈盆の波〉が寄せては引いていく。裕明の助詞「に」は、概念のなかに現実を引き入れ、概念を現実と同じ段階のように見せるのだ。探梅やここも人住むぬくさにて午後もまた山影あはし幟の日この旅も半ばは雨の夏雲雀月もまた七種いろに出でしかな山茱萸の道も三日を経にけるや柳散る夜もうるはし上京はまひるまも倉橋山の枇杷の花影もまたひとり酔へるか春の月今度は、『花間一壺』において助詞「も」が見られる句を引いてみた。この句数を見ればわかる通り、助詞「も」を含む型は、とりわけ裕明が好んで使うものの一つだ。そういえば第一句集『山信』に収められている初期の代表句〈大学も葵祭のきのふけふ〉にも、この助詞が見られる。そう言った意味で助詞「も」は、裕明の志向がよく表出しているものなのではないかと思う。二句目。〈午後もまた〉という措辞の前提にあるのは、「午後以外の時間」だ。ぼくたちがこの句に時間の流れを感じるのは、ひとえにこの助詞の効果である。七句目〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉もそうだ。〈まひるまも〉の措辞の背景にある淡さは〈まひるま以外の時間〉によって裏打ちされている。〈倉橋山〉という固有名詞のゆかしさや閉鎖性も相まって、現実から乖離した永遠性の明るさが、そこに現れる。しかしながら、助詞「も」は写生という概念と相性が悪い。眼前にあるものを言葉で写し取ろうとするとき、写し取ろうとする対象とは別のものの存在を添加する「も」は、写生にとっては過分な情報であるからだ。写生の理論の反対を向いているという点では、助詞「の」、助詞「に」の使い方にもこれは通じるだろう。なぜ裕明はこのような助詞を使うのか。それは、裕明が写生よりも詩情を優先する俳人であったからである。ゆえに、写生の考えが制限をかけるテリトリーを侵してでも、技巧的な手段を用いて詩情を生み出そうとする。晩年に創刊、主宰した「ゆう」の創刊の言葉には、「写生と季語の本意を基本に詩情を大切にする」とある。ぼくには、これは詩情を「主」とし、写生を「従」とする、という宣言にすら聞こえる。前期、後期ともに、なによりも詩情を重んじるという姿勢を裕明は貫いているのだ。その意識が、前期においては、複雑な助詞——写生でなく詩情を重視した結果——として、現れているのではないか。輪郭をくっきりと描きとるのではなく、ぼんやりとした水彩画のような滲みを生む助詞こそ、裕明が詩情を描き出すための方法、レパートリーのひとつだったのである。といっても、この詩情というのは先に挙げた〈天道虫宵の電車の明るくて〉〈桐一葉入江かはらず寺はなく〉とは、やはり異なる手触りを持つ。〈この度も半ばは雨の夏雲雀〉〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉にはもっとなにか言語的な、抽象的ななにかを感じるのである。それは、これまで示してきたように、一句が、助詞や難しい切れという「言語的な装置」を備えているから、というのが一つの理由であろう。そして、その「言語的な装置」は、個人の体験としての〈その夏雲雀〉ではなくて、歴史の中で言葉が引き受けてきた、体系としてのイメージの〈夏雲雀〉へと、ぼくたちを誘う。そこは、体験を媒介として必要としない、直接的な言語イメージの世界なのである。そしてそのような読まれ方を、おそらく裕明は了解済みだ。そのうえで、どのように良質な詩情を醸し出すことが出来るか、ということが、『花間一壺』における裕明の一つの挑戦であったように思える。(あとがき)高校二年の夏、第十八回松山俳句甲子園で森賀まりさんとご縁があり、そして『セレクション俳人田中裕明集』に出会った。白状すると、裕明の句の魅力はその頃、全然わからなかった。(今も分かっているかはだいぶ怪しいけれど)ただ、気になった句には印を付けながら読むことにしているので、そのときぼくが裕明のどんな句を喜んでいたかはわかる。そして今、その頃と俳句観がかなり変わったなかで、裕明の句集を再び読み直している。しかしながら、現在ぼくが好きな裕明の句の一つに、あのころのぼくはきちんと印をつけていて、ちょっと不思議な気持ちになった。野分雲悼みてことばうつくしく死を悼めば、そのことばがうつくしい、というのは、あるいは抒情過多かもしれない。でも、これはぼくの中で一生大切にされる句であるような予感がとても、する。この感覚を信じることができるから、ぼくは俳句を書いてこれたし、これからもたぶん書ける。今回の論はかなり理屈っぽかったが、結局のところ、俳句をやっていけるかどうかは、このように思える句を、どれほど心の中に持てるかだと思う。そして、そのように思える句に高校生のうちに出会えたことを、本当に嬉しく思う。そういった意味で、俳句甲子園がぼくに俳句の入り口を開いてくれたことを感謝しなければならない。ついでなので、ちょっとだけ俳句甲子園について書くと、「俳句甲子園が俳句の全てじゃない」ということを俳句甲子園自体が教えてくれる存在であったおかげで、ぼくはちょっとだけ人より多く成長できた気がする。俳句甲子園を終えたぼくには、俳句が残った。俳句甲子園は良い場所だなと思う。話を戻そう。裕明の句は、飴玉が溶け出すように、少しずつ素敵なところに気づける。そんなところも、好きだ。それはぼくが単に鈍感なだけなのかもしれないけれど。ただ、だいぶ前に舐めたその飴玉は、今もまだ、ぼくの口の中にある。全然舐め終わらないうえに、そもそも何の味なのか、舐めている今も実はよくわかっていない。困った。*句は正字表記ですが、都合により一部新字としています。(参考文献)『セレクション俳人田中裕明集』邑書林/二〇〇三『田中裕明全句集』ふらんす堂/二〇〇七 2016-12-30T10:33:00+09:00 「助詞から『花間一壺』を見晴るかす」旭川東三年柳元佑太田中裕明は、岸本尚毅や櫂未知子、長谷川櫂や小澤實らと共に活躍した、いわゆる昭和三十年代俳人の一人である。一九五九年、大阪市生まれ。高校生のころ島田牙城に誘われ「青」に入会し、波多野爽波の選を受け、京都大学在学中に、史上最年少二十二歳で角川賞を獲る。二〇〇四年の十二月三十日、骨髄性白血病による肺炎で、四十五歳という若さで逝去した。(『セレクション俳人田中裕明集』収録「田中裕明略歴」/二刷を参照)裕明には、句柄の転換期があると評されることがあり、岸本尚毅の「句集解題・それぞれの句集について」(『田中裕明全句集』)でも前期と後期に分けて語られている。前期は、第一句集『山信』第二句集『花間一壺』第三句集『桜姫譚』の、二十代から三十にかけて。後期は、第四句集『先生から手紙』、死後に刊行された第五句集『夜の客人』の、三十から四十代にかけての、晩年と呼べるような時期にあたる。前期は、豊富な型と凝ったレトリック、後期は、平明かつ明るい詩情によって特徴づけられるように思う。ぼくは、前期と後期どちらが好きかと問われると、結構困ってしまう。ミーハーめいたことをいうと、前期も後期も好きなのだ。ただ、おそらくぼくは、前期と後期の句をそれぞれ異なるやり方で面白がっているのではなくて、裕明の句のなかに一貫して流れている何かを好んでいるゆえ、前期の句も、後期の句も好きなのだと思う。裕明評にはこれからも何度も挑戦するつもりなので、一貫して流れる何かについては、少しずつその水脈を辿っていきたい。まず今回はその序章として、『セレクション俳人田中裕明集』から第二句集『花間一壺』を鑑賞してみる。『花間一壺』は、牧羊社から一九八五年に刊行された句集で、裕明の二十一歳から二十五歳の時期にあたる。角川賞を獲った「童子の夢」五十句からも、〈春昼の壺盗人の酔ふてゐる〉〈あゆみきし涅槃の雪のくらさかな〉などの十一句が収録されている句集でもある。『花間一壺』には、平面で澄んだ詩情といった後期の裕明の句の文脈では掬い取れない面白さがあるので、本論ではそこを掘り下げて見ていきたい。裕明は取り合わせを中心に語られることが多い。『花間一壺』にも、惚れ惚れするような取合わせの句がいくつもある。天道蟲宵の電車の明るくて桐一葉入江かはらず寺はなく雪舟は多くのこらず秋螢夏やなぎ湯を出て肩の匂ひけり鋭きものを恐るる病ひ更衣どれもぼくの愛唱句だ。一句目には、明るい〈宵の電車〉と取合わせられた、〈天道虫〉の生活感のある儚さがあるし、二句目には、緩やかで無常な空間がある。三句目は長い時間を経た〈雪舟〉と〈秋螢〉が時間をはるけきものにする。どの句も裕明の代表句といって良いはずだ。ただ、これらは『花間一壺』のなかでは割に平明で、語りやすい句だ。そして、平明ではなく、語りにくい句が、『花間一壺』にはたくさん見受けられる。むしろ『花間一壺』を特徴づけるのは、そのような句であるようにも思うのだ。それらを鑑賞するために、今回は取合わせではなく、裕明の独特な助詞に注目してみたい。裕明の助詞のなにが独特なのかというと、一句を文法的に切らない助詞を、積極的に選ぶという点である。『セレクション俳人田中裕明集』収録の、小澤實による「平安の壺」と銘打つ『花間一壺』評のなかでも、〈ぐだくだと一行が続いていく。すっきりしない。短歌的な印象がある。〉とやや否定的な側面から、そのことについて触れられている。小澤が引用している句を引いてみる。この旅も半ばは雨の夏雲雀たしかにこの句はある種、短歌的だという指摘を受け付ける。それはおそらく、中七の最後の助詞「の」に起因する。旅の最中、雨が降り出してきた。振り返れば前回の旅も雨だったはずで、またしても旅の半ばは雨だ。そんな思いを抱いたとき、どこからか夏雲雀の声が聞こえる、あるいは夏雲雀が横切った——句意はこれくらいだろう。この句意を鑑みるに、措辞と〈夏雲雀〉との取り合わせであるから、中七に意味としての断絶を持つはずであり、前述の指摘を避けるには〈この旅も半ばは雨よ夏雲雀〉とでもすればよいはずである。しかしながら裕明はここを「の」で繋ぐ。ぼくには、これが成功しているか失敗しているかは分からないけれど、少なくとも短歌的だ、などとして簡単に失敗と言い切ってはいけない何かがあることも、同時に思う。短歌的であるというのはあくまでも副次的なものであり、裕明にとってのメインパーパス、意図したところはこれではなかったように思うのである。ではその意図するところはなんであったのかというと、それは非常に言語化しづらくて、ひとまずぼくが考え得るところを記す。この助詞「の」は、文法により、断絶されるべき二者のスキマティックな結びつきを強めることで、二者があたかも意味上の断絶を乗り越えて、意味としてすら結びついているような感覚を生み出しているのではないだろうか。(以後、語彙と文法により理解される句の意味を「本来的な句意」、文法による裏打ちしか持たないスキマティックな句の意味を「文法的な句意」と呼ぶ)抽象的になってしまったので、この句において換言してみる。〈この旅も半ばは雨〉と〈夏雲雀〉は、意味の上では断絶を持つはずの取り合わせであるにも関わらず、その二者が切れを挟んで対等な関係として並置されないように、助詞「の」で繋がれる。「文法的な句意」の獲得により、二者が意味とは別の空間——文法の空間——で、相互に関わり合う。それにより、〈この旅は半ばは雨の〉というイメージを引き受けた〈夏雲雀〉が「本来的な句意」の裏側、意味で回収しきれないねじれの位置に潜むことになるのである。おそらくぼくたちのプリミティブな読みにおいて、「本来的な句意」と「文法的な句意」は、互いを排斥する関係にはない。もちろん最後は「本来的な句意」に「文法的な句意」は回収されると思うのだけれど、その回収された分の情報が、「本来的な句意」に言語化されない詩情として、影響を及ぼすのではないか。あるいは、それが「本来的な句意」によって回収されないことによって、「本来的な句意」を回収したにも関わらず、まだ句がなんらかの詩情を含有しているような感覚が生じるのではないか。上五中七のイメージを多分に受け止めた〈夏雲雀〉の淡い明るさが、ぼくは好きなのである。このような使い方の助詞が現れている句は『花間一壺』において、他にもある。いちにちをあるきどほしの初櫻〈いちにちをあるきどほし〉という措辞と〈初櫻〉が並置される関係を超えて結びつく。〈いちにちをあるきどほし〉である主体は〈わたし〉であるにも関わらず、文法的に主体になり得る可能性を秘めた〈初櫻〉がこの句においては主体のように振る舞う。この時、一瞬ぼくたちは歩きどおしで疲れのある〈わたし〉の身体と、春先でまだ冷たい幹を持てる〈初櫻〉が重なるような身体感覚を引き受ける。裕明特有の助詞「の」の使用法は、〈意味における切れ〉と〈文法における切れ〉をずらすことにより、単純明快な二者の振幅の構造により理解されることを拒む。意味でないところで二者の結びつけを強め、多層的な質感を演出するのだ。そういえば昔、祖父母の家に行くと、なぜだか分からないけれど、大量のセロファン紙があった。赤、青、黄、緑。どれも半透明で、何色重ねてもぼやっと向こう側のひかりが見える。小さい頃のぼくは、そのひかりにドキドキした。裕明の助詞「の」は、これに似ていると思う。その向こうからやってくるひかりを遮らずに、様々なイメージを幾重にも重ね合わせ、詩情に重層性を持たせるのである。思ひ出せぬ川のなまへに藻刈舟さだまらぬ旅のゆくへに盆の波また、助詞「に」も、独特の使い方がされている。「に」で繋がれている二者も、一般的には取合わせとして書くべき内容であるはずのものなのである。一句目と二句目ともに、中七で切れを伴うのが普通だ。しかしながら裕明は、これも緩やかに助詞を用いて繋いでゆく。このように使われる助詞「に」は〈概念を場所化する〉とでも言おうか。句において具体的に換言してみる。一句目、〈思ひ出せぬ川のなまへ〉というわたし的な概念を「に」によって場所化し、水がたゆたうぼんやりとした空間として立ち上げる。そしてこれにより〈藻刈舟〉が浮かぶことができる空間を確保する。意味としては概念を書いているにも関わらず、テクニカルな助詞により、〈川に舟が浮かんでいる〉という景を具象的に喚起するという、非常に技巧的なことが起きている。二句目もそうだ。〈さだまらぬ旅のゆくへ〉という概念を、助詞「に」によって、さもそれが物質的な空間であるかのように立ち上げる。そしてそこには〈盆の波〉が寄せては引いていく。裕明の助詞「に」は、概念のなかに現実を引き入れ、概念を現実と同じ段階のように見せるのだ。探梅やここも人住むぬくさにて午後もまた山影あはし幟の日この旅も半ばは雨の夏雲雀月もまた七種いろに出でしかな山茱萸の道も三日を経にけるや柳散る夜もうるはし上京はまひるまも倉橋山の枇杷の花影もまたひとり酔へるか春の月今度は、『花間一壺』において助詞「も」が見られる句を引いてみた。この句数を見ればわかる通り、助詞「も」を含む型は、とりわけ裕明が好んで使うものの一つだ。そういえば第一句集『山信』に収められている初期の代表句〈大学も葵祭のきのふけふ〉にも、この助詞が見られる。そう言った意味で助詞「も」は、裕明の志向がよく表出しているものなのではないかと思う。二句目。〈午後もまた〉という措辞の前提にあるのは、「午後以外の時間」だ。ぼくたちがこの句に時間の流れを感じるのは、ひとえにこの助詞の効果である。七句目〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉もそうだ。〈まひるまも〉の措辞の背景にある淡さは〈まひるま以外の時間〉によって裏打ちされている。〈倉橋山〉という固有名詞のゆかしさや閉鎖性も相まって、現実から乖離した永遠性の明るさが、そこに現れる。しかしながら、助詞「も」は写生という概念と相性が悪い。眼前にあるものを言葉で写し取ろうとするとき、写し取ろうとする対象とは別のものの存在を添加する「も」は、写生にとっては過分な情報であるからだ。写生の理論の反対を向いているという点では、助詞「の」、助詞「に」の使い方にもこれは通じるだろう。なぜ裕明はこのような助詞を使うのか。それは、裕明が写生よりも詩情を優先する俳人であったからである。ゆえに、写生の考えが制限をかけるテリトリーを侵してでも、技巧的な手段を用いて詩情を生み出そうとする。晩年に創刊、主宰した「ゆう」の創刊の言葉には、「写生と季語の本意を基本に詩情を大切にする」とある。ぼくには、これは詩情を「主」とし、写生を「従」とする、という宣言にすら聞こえる。前期、後期ともに、なによりも詩情を重んじるという姿勢を裕明は貫いているのだ。その意識が、前期においては、複雑な助詞——写生でなく詩情を重視した結果——として、現れているのではないか。輪郭をくっきりと描きとるのではなく、ぼんやりとした水彩画のような滲みを生む助詞こそ、裕明が詩情を描き出すための方法、レパートリーのひとつだったのである。といっても、この詩情というのは先に挙げた〈天道虫宵の電車の明るくて〉〈桐一葉入江かはらず寺はなく〉とは、やはり異なる手触りを持つ。〈この度も半ばは雨の夏雲雀〉〈まひるまも倉橋山の枇杷の花〉にはもっとなにか言語的な、抽象的ななにかを感じるのである。それは、これまで示してきたように、一句が、助詞や難しい切れという「言語的な装置」を備えているから、というのが一つの理由であろう。そして、その「言語的な装置」は、個人の体験としての〈その夏雲雀〉ではなくて、歴史の中で言葉が引き受けてきた、体系としてのイメージの〈夏雲雀〉へと、ぼくたちを誘う。そこは、体験を媒介として必要としない、直接的な言語イメージの世界なのである。そしてそのような読まれ方を、おそらく裕明は了解済みだ。そのうえで、どのように良質な詩情を醸し出すことが出来るか、ということが、『花間一壺』における裕明の一つの挑戦であったように思える。(あとがき)高校二年の夏、第十八回松山俳句甲子園で森賀まりさんとご縁があり、そして『セレクション俳人田中裕明集』に出会った。白状すると、裕明の句の魅力はその頃、全然わからなかった。(今も分かっているかはだいぶ怪しいけれど)ただ、気になった句には印を付けながら読むことにしているので、そのときぼくが裕明のどんな句を喜んでいたかはわかる。そして今、その頃と俳句観がかなり変わったなかで、裕明の句集を再び読み直している。しかしながら、現在ぼくが好きな裕明の句の一つに、あのころのぼくはきちんと印をつけていて、ちょっと不思議な気持ちになった。野分雲悼みてことばうつくしく死を悼めば、そのことばがうつくしい、というのは、あるいは抒情過多かもしれない。でも、これはぼくの中で一生大切にされる句であるような予感がとても、する。この感覚を信じることができるから、ぼくは俳句を書いてこれたし、これからもたぶん書ける。今回の論はかなり理屈っぽかったが、結局のところ、俳句をやっていけるかどうかは、このように思える句を、どれほど心の中に持てるかだと思う。そして、そのように思える句に高校生のうちに出会えたことを、本当に嬉しく思う。そういった意味で、俳句甲子園がぼくに俳句の入り口を開いてくれたことを感謝しなければならない。ついでなので、ちょっとだけ俳句甲子園について書くと、「俳句甲子園が俳句の全てじゃない」ということを俳句甲子園自体が教えてくれる存在であったおかげで、ぼくはちょっとだけ人より多く成長できた気がする。俳句甲子園を終えたぼくには、俳句が残った。俳句甲子園は良い場所だなと思う。話を戻そう。裕明の句は、飴玉が溶け出すように、少しずつ素敵なところに気づける。そんなところも、好きだ。それはぼくが単に鈍感なだけなのかもしれないけれど。ただ、だいぶ前に舐めたその飴玉は、今もまだ、ぼくの口の中にある。全然舐め終わらないうえに、そもそも何の味なのか、舐めている今も実はよくわかっていない。困った。*句は正字表記ですが、都合により一部新字としています。(参考文献)『セレクション俳人田中裕明集』邑書林/二〇〇三『田中裕明全句集』ふらんす堂/二〇〇七 高校生らしさを考える http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/1248428 「高校生らしさ」について思うこと(柳元佑太)「高校生らしさ」という言葉は、反感を憶えていた言葉のひとつだった。とまあ、過去形であるのは、既に自分の中で折り合いの付いている言葉であるからだ。ようするにそんなことを気にしなければ良いのだ。ぼくは書きたいものを書く。けれども「高校生らしさ」という言葉自体に、そのままにしておけないあやふやさは未だに感じている。それに、「高校生らしさ」について高校生が語るという、青臭い面白さを見過ごすことはできない。どうせ高校生のときにしか当事者問題とならないのだし、少し書いてみようと思う。北国の高校生の独り言くらいに思ってほしい。まず、ぼくは「高校生らしい良さ」というのは、誰がなんと言おうと存在すると思っている。俳句甲子園の入賞句や、これまでの高校生を対象にしたコンテストの大賞句なんかを引けば、理屈なしに分かるはずだ。○キャンバスに赤といふ意思秋澄みぬ(川村貴子)これは二千十四年の神奈川大学全国高校生俳句大賞の最優秀句だ。キャンバスには赤。それは意思であり、キャンバスに対峙する強さだ。澄みぬ、という一瞬の把握、素敵だ。○号砲や飛び出す一塊の日焼(兵頭輝)これは第十八回の俳句甲子園の最優秀句。号砲が鳴り、めいっぱい飛び出していく日焼けした身体。そのほんのコンマ何秒。一塊の日焼、なんて把握も省略と客体化が効いていて気持ち良い。○向日葵が全校生徒より多い(山下真)これも第十八回俳句甲子園より。散文的であることがなにかしらの切実さを生み、詩性を打ち出す。言葉に無理をさせない作りながら、隙がない。三句しか引かなかったが、きっと十分すぎるだろう。そこには彼らの実感があって、青春の息遣いのようなものが確かにある。確かで伸びやかな感覚がびったり定型に嵌ったときの強さなんかには本当にため息をつきたくなる。こんな句作れるものなら作ってみたい。そしてこの場合の「高校生らしさ」というのは、そのときにしかない瞬間性や実感、すなわち得難いリアリティ——それに読む側の、青春という切なさを求める気持ちを少し投影したもの——なんて言い換えることが出来るんじゃないだろうか。しかしである。この意味の「高校生らしさ」というのは一つの属性でしかないはずだ。当たり前だけれど、俳句を評価する観点のひとつ、たとえば「丁寧な写生だね」だとか「うおお、すごい二物衝撃だ」だとか「ふふふ、これは俳諧性があるなぁ」だとかと同じものではないだろうか。つまり必ずしも全てを満たす必要はなく(写生と二物衝撃なんて両立しないだろうし)、その中の幾つかを満たすことで句としての魅力を獲得する。「高校生らしさ」ということも句を構成する一つの魅力ではあるが、句の魅力を構成する全てではない。必ずしも必要な条件ではないのである。よって、その要素を持つ句に対して高校生らしさという観点を鑑賞することは出来ても、すべての句に高校生らしさを求めることは出来ないのではないかなぁと思っている。語気に覇気がないのは、背景に複雑な問題がある気がしているからで、それは作者を作品に反映させるかどうか、つまり俳句に十七音以外の要素を認めるかどうかということだ。たとえば子規の絶筆三句はそのままでも面白いけれど、でも子規に関する背景を知っている方が絶対に分かりがよい。このことには、書くべきことを持つ世代と持たない世代の意識差なんかも絡むと思うのだけれど、手に負えないのでここでは割愛しようと思う。とりあえずぼくは一句はその十七音で完結するべきだと思っているので、十七音以外の要素がそれに干渉する形で魅力を求められても、簡単には諾えない。それに、周りを見てみれば素敵な高校生らしい俳句が、今この一瞬に切実さを覚えないくらいにはたくさんある。高校生からすればそれは結構重要で、高校生らしさがあるというだけでは高校生のなかではアイデンディティたり得ないと思うのだ。高校生が対象の俳句賞は、おそらく「高校生らしさ」がキーワードなのは言うまでもない。「高校生らしさ」についてあれこれネガティヴなニュアンスの発言をしてきた訳だけれど、でもぼくはそれをどうしてほしいというわけではないし、むしろそれはそのままで良いんじゃないかと思う。高校生らしさは、ぼくらの砦だ。書きたいことがあるのに技巧が追いついていかない、高校生の俳句はそんな句がきっと、多い。そんな句を掬いあげてくれるのが「高校生らしさ」でもあるんじゃないだろうか。そうして掬いあげて貰うことで「俳句って楽しいな、勉強してみよう」くらいに思う人がいるならば、それは十分すぎるほど価値がある。そして、ぼくたちは気づく。いずれその砦を出なければならない。しかもその砦は時が流れるにつれ、自然とぼくたちの周りから消えてしまう。そして砦の外では、内容をより面白く伝えるためのそれ相応の技巧が必要だ。十の面白さを伝える適切な技巧が十だとするならば、八でも十二でもない技巧を身につけることがきっと、必要になる。気づけばもう高三になる。振り返れば、砦の中では書きたいものがあまり見つからなかったので、そろそろ砦を出る準備を始めようかな、なんて、思ひゐし。 2016-03-18T18:39:00+09:00 「高校生らしさ」について思うこと(柳元佑太)「高校生らしさ」という言葉は、反感を憶えていた言葉のひとつだった。とまあ、過去形であるのは、既に自分の中で折り合いの付いている言葉であるからだ。ようするにそんなことを気にしなければ良いのだ。ぼくは書きたいものを書く。けれども「高校生らしさ」という言葉自体に、そのままにしておけないあやふやさは未だに感じている。それに、「高校生らしさ」について高校生が語るという、青臭い面白さを見過ごすことはできない。どうせ高校生のときにしか当事者問題とならないのだし、少し書いてみようと思う。北国の高校生の独り言くらいに思ってほしい。まず、ぼくは「高校生らしい良さ」というのは、誰がなんと言おうと存在すると思っている。俳句甲子園の入賞句や、これまでの高校生を対象にしたコンテストの大賞句なんかを引けば、理屈なしに分かるはずだ。○キャンバスに赤といふ意思秋澄みぬ(川村貴子)これは二千十四年の神奈川大学全国高校生俳句大賞の最優秀句だ。キャンバスには赤。それは意思であり、キャンバスに対峙する強さだ。澄みぬ、という一瞬の把握、素敵だ。○号砲や飛び出す一塊の日焼(兵頭輝)これは第十八回の俳句甲子園の最優秀句。号砲が鳴り、めいっぱい飛び出していく日焼けした身体。そのほんのコンマ何秒。一塊の日焼、なんて把握も省略と客体化が効いていて気持ち良い。○向日葵が全校生徒より多い(山下真)これも第十八回俳句甲子園より。散文的であることがなにかしらの切実さを生み、詩性を打ち出す。言葉に無理をさせない作りながら、隙がない。三句しか引かなかったが、きっと十分すぎるだろう。そこには彼らの実感があって、青春の息遣いのようなものが確かにある。確かで伸びやかな感覚がびったり定型に嵌ったときの強さなんかには本当にため息をつきたくなる。こんな句作れるものなら作ってみたい。そしてこの場合の「高校生らしさ」というのは、そのときにしかない瞬間性や実感、すなわち得難いリアリティ——それに読む側の、青春という切なさを求める気持ちを少し投影したもの——なんて言い換えることが出来るんじゃないだろうか。しかしである。この意味の「高校生らしさ」というのは一つの属性でしかないはずだ。当たり前だけれど、俳句を評価する観点のひとつ、たとえば「丁寧な写生だね」だとか「うおお、すごい二物衝撃だ」だとか「ふふふ、これは俳諧性があるなぁ」だとかと同じものではないだろうか。つまり必ずしも全てを満たす必要はなく(写生と二物衝撃なんて両立しないだろうし)、その中の幾つかを満たすことで句としての魅力を獲得する。「高校生らしさ」ということも句を構成する一つの魅力ではあるが、句の魅力を構成する全てではない。必ずしも必要な条件ではないのである。よって、その要素を持つ句に対して高校生らしさという観点を鑑賞することは出来ても、すべての句に高校生らしさを求めることは出来ないのではないかなぁと思っている。語気に覇気がないのは、背景に複雑な問題がある気がしているからで、それは作者を作品に反映させるかどうか、つまり俳句に十七音以外の要素を認めるかどうかということだ。たとえば子規の絶筆三句はそのままでも面白いけれど、でも子規に関する背景を知っている方が絶対に分かりがよい。このことには、書くべきことを持つ世代と持たない世代の意識差なんかも絡むと思うのだけれど、手に負えないのでここでは割愛しようと思う。とりあえずぼくは一句はその十七音で完結するべきだと思っているので、十七音以外の要素がそれに干渉する形で魅力を求められても、簡単には諾えない。それに、周りを見てみれば素敵な高校生らしい俳句が、今この一瞬に切実さを覚えないくらいにはたくさんある。高校生からすればそれは結構重要で、高校生らしさがあるというだけでは高校生のなかではアイデンディティたり得ないと思うのだ。高校生が対象の俳句賞は、おそらく「高校生らしさ」がキーワードなのは言うまでもない。「高校生らしさ」についてあれこれネガティヴなニュアンスの発言をしてきた訳だけれど、でもぼくはそれをどうしてほしいというわけではないし、むしろそれはそのままで良いんじゃないかと思う。高校生らしさは、ぼくらの砦だ。書きたいことがあるのに技巧が追いついていかない、高校生の俳句はそんな句がきっと、多い。そんな句を掬いあげてくれるのが「高校生らしさ」でもあるんじゃないだろうか。そうして掬いあげて貰うことで「俳句って楽しいな、勉強してみよう」くらいに思う人がいるならば、それは十分すぎるほど価値がある。そして、ぼくたちは気づく。いずれその砦を出なければならない。しかもその砦は時が流れるにつれ、自然とぼくたちの周りから消えてしまう。そして砦の外では、内容をより面白く伝えるためのそれ相応の技巧が必要だ。十の面白さを伝える適切な技巧が十だとするならば、八でも十二でもない技巧を身につけることがきっと、必要になる。気づけばもう高三になる。振り返れば、砦の中では書きたいものがあまり見つからなかったので、そろそろ砦を出る準備を始めようかな、なんて、思ひゐし。 旭東文芸部ジャンケン最弱王決定戦(?) http://kyokutoubungei.grupo.jp/blog/1242180 先日、部誌『月』の製本作業中に、「旭東文芸部ジャンケン最弱王決定戦」を行いました(……とは言っても部員6人中4人しかいなかったのですが)。最弱王は即興で作句し発表、という部長の思いつきにより、1年生の堤の句を発表致します。字題は部誌名にちなんで「月」です。病院の天井は白春の月(1年堤)近いうちに部員全員でもう一度行いたいものです。短歌発表でも楽しいかもしれませんね。 2016-03-13T21:14:00+09:00 先日、部誌『月』の製本作業中に、「旭東文芸部ジャンケン最弱王決定戦」を行いました(……とは言っても部員6人中4人しかいなかったのですが)。最弱王は即興で作句し発表、という部長の思いつきにより、1年生の堤の句を発表致します。字題は部誌名にちなんで「月」です。病院の天井は白春の月(1年堤)近いうちに部員全員でもう一度行いたいものです。短歌発表でも楽しいかもしれませんね。