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【鑑賞文】仙台白百合さんへ(堀下翔)パートツー

仙台白百合の西村さんとの鑑賞文交換、後篇です。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

〈仙台白百合さんへ〉旭川東・堀下翔

夕焼けや錆びた手すりに身を寄せて 熊本みな子
夕焼けは事象ではあるけれど、一方で、時間のことでもあるだろう。家に帰る時間だったり、部活の終わる時間であったり。詠者の場合は、誰かを待つ時間。待ち人が遅れているような雰囲気。まさか、昼からずっと待っていたんじゃないだろうな……。いや、それはあまりにひどい話だから、ちょっとだけ待たされている、ぐらいで考えよう。詠者と待ち人の時間は、夕焼けのあとから始まる。ちょっと大人。そういえば「錆びた手すりに身を寄せ」るなんて、オトナがするポーズだ。

遺失物届出用紙秋の蝶 熊本みな子
何を失くしたかは知らない。それが大事なものなのか、無くても死にはしないようなものなのかは分からない。けれど、そのものを失くした証明として、遺失物届出用紙は、ずっと残る。失くしたっきりにしてしまえば、それきり思い出すこともなかったものを、この書類を貰うことによって、それを失くした事実は、確実で、かつ、忘れようのないものになる。証明というものは、時にばかばかしいと思う。たとえこの場合の遺失物届出用紙が、何気なく申請したものであったとしても。このおろかさは、あわれであり、この点で、秋の蝶に接するんだと思う。この句、今年の仙台白百合さんで、一番好き。

指切りをした神社から夏の雨 熊本みな子
「から」ってのが不思議なんですよ。「指切りをした神社から夏の雨(になる)」? 「指切りをした神社から(誰かが来るね)夏の雨」? 「指切りをした神社から(再開発で取り壊されていくんです)夏の雨」? 「指切りをした神社から(何か始まるんだ!)夏の雨」? あ、これっぽい気がしてきた(雰囲気で)。指切りをした場所から何か始まる。いい感じ。劇的だ。そのうえ、場所が、神社。空気がすがすがしい。「指切り」「神社」「雨」と、シーンとして、出来過ぎている感じすらするが、このドラマチックぶり、好きです。

涼風やOKの指高々と 眞壁千里
これは断然、告白の句だと読みたい。きゃぴきゃぴ女子高生が、好きな男子に、告ろうか告るまいか、友だち連中に相談。で、みんなに背中を押され、「じゃあ、あいつんところ、行ってくるわ」。友達連中、「ウチらは先に玄関で待ってるね!」。三十分くらい経って、女子高生、玄関から飛び出してくる。そして、OKサインを高々と。これはもう、涼風の気分。セーラー服をぶわっと風が吹き抜ける。青春! 以上、男子高校生による勝手な女子高生像でした。

コピー機に紙詰まりたる晩夏かな 眞壁千里
晩夏になるといろんなことがもどかしくて仕方なくなる。高校生なら、勉強のこと、友だち関係のこと、恋のこと、その他、あらゆることが頭の中に溢れてきて、嫌になる。夏休みがあるからだろうか。夏休みの収支決算。長くて仕方がない夏休みの間に抱えた、失敗、やり残し。とにかく、晩夏はもどかしい季節だ。
コピー機に紙が詰まる。晩夏という言葉が先にあって、そこから膨らむイメージから出て来た景ではないか。何かを生み出そうと力を出すのに、うまくいかない。やりたいことができない。紙を詰まらせるコピー機は、若い作者自身だと思う。

三つ編みをほどいた後の夏の海 眞壁千里
三つ編みをほどいて入る夏の海、ではない。三つ編みをほどいた後の私の目に映る夏の海、だ。これがいい。準備は万端。あとはもう、飛び込むだけ。海の前に立つ詠者の気分のよさ。

団栗が街の明かりを見つめてる 荒舘香純
人の営みのぶんだけ光がある。だから光の多彩さは、人の営みの多彩さである。そしてそれらが混ざって、「街の明かり」というひとつのものになる。
けれどもその中に、どうやら団栗は含まれていないようである。秋のもの寂しさがそのまま形になったような団栗は、街の明かりに含めてもらえなかったのか、はたまた自分から拒否したのか。どちらにせよ、結局は羨ましげに、街の隅、たとえば道端とか、誰もいない部屋の机の上とかで、街の明かりを眺める。もし団栗に眼があったとしたら、きっと目を細めながら、だろう。個人的に、擬人法はどちらかと言えばユーモラスな句に用いられている印象があったが、この句のように、静けさを効果的にすることも出来るのか、と、ちょっとした発見をした気分である。

古書店の紙の匂ひや夏の夕 荒舘香純 
神保町へ行って古書店巡りをすると、それぞれの店で、匂いが違うことに気づく。黴臭いこっしょこしょ(いま思いついた造語)の店もあれば、インクの匂いの強い店もあり、古書店なのにあたらしい紙の匂いのする店もあり、ドアが開きっぱなしで外の匂いがそのままする店もある。
神保町はたくさんの店があるから較べられるけれど、ふつうの街には、古書店はせいぜい数軒しかない。となると、人間には、「自分にとっての古書店の匂い」が、「母の味」のような固有性でもって存在するのだろう。この句は、人それぞれの嗅覚を刺激する。眼にする「古書店の紙の匂ひ」というフレーズは同じでも、感じる匂いは違う。ことばのいいところだな、と思う。

あこがれはあこがれのまま夏の海 荒舘香純
夏の海での出来事はなんだって、華やかで、ときめくものでありそうな気がする。夏の海に来てしまえば、全部がいい思い出で終わるんじゃないか。そんな明るさを夏の海から感じる。だからこの句は、「あこがれはあこがれのまま(でいいや☆)夏の海」なんだと思う。「あこがれはあこがれのまま(にしておけばよかったわ。まさかあの人があんな人だったなんて……)夏の海」では、さみしい。あこがれの人と海へ行く。デートではなく、何かの機会で偶然決まったメンツの中にその人がいた、くらいだろう。海でたのしい一日を過ごしたけど、結局告白するまではいかなかった。これから先もその機会はなさそうだ。けど、まあ、楽しかったしいいか。あこがれは、あこがれのままで、いいや。恋の句は、甘すぎず、このくらいがちょうどいい。



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