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【エッセイ】 16のわたし、18の私(水沢/佐藤和香)

水沢高校の和香さんにエッセイを寄せていただきました。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ


〈16のわたし、18の私〉岩手県立水沢高校 佐藤和香

 東日本大震災の発生から早くも3年が経とうとしている。震災発生時の私は、卒業を控えた中学生で、高校すら決まっていない時だった。それから数ヵ月後、運命なのか偶然なのか、俳句と出会い、俳句甲子園に出場したことで、震災と思わぬ形で関わることとなる。

 震災の被害をあまり受けることがなかった私も傍から見れば、“被災地岩手に住む高校生”。
「震災の俳句は詠みましたか?」「震災についてどう思いましたか?」「震災について詠んだ俳句を教えてください!」
 俳句甲子園への出場が決まってから何度も向けられたこの言葉に、私は一度も答えられなかった。もちろん、連日ニュースで報道される被災地の現状を見て、何も考えていなかったわけではない。友人達の中には親戚を亡くした人も少なくなく、被災地ほどではないが、震災について感じることは多かった。けれども、被災者ではない私が震災を俳句にすることは、どこか違和感があったのだ。先輩達が口々に「震災を詠むことなんて出来ません。あの現状を見たら、俳句とかそういうことで綺麗に片づけてはいけないと思います。」と言っていたのを思い出す。

 その年の俳句甲子園は、震災の影響を強く受けていた。「ことばの力を信じて」というスローガンが初めて掲げられ、被災地岩手から大槌高校が招待された。けれども、私は四国初上陸に少し浮かれ、その後、ある衝撃に出会うなんて考えてもいなかった。

 その衝撃とは、自分と同じ高校生が震災についての俳句を詠み、震災について必死にディベートをしていたことである。それと同時にやはり違和感を感じた。やっぱり違う、何かが違う。ずっと、ずっと、ずっと、ずっと悶々とした。岩手に帰ってきても悶々とした。この違和感はなんなんだろう、どうしてこう、言葉に出来ないものがあるのだろう、と。

 その後、様々な震災俳句を読み、震災俳句に対する意見文も読んだ。いい句も多く、共感するものもあった。けれど、自分が詠むのは違う気がした。

 そして私にとって最後の俳句甲子園となった今年の夏。私は今年もまた、震災俳句と出会って、悶々としたまま大会を終えてしまうのだろうか、そんな不安が心のどこかにあった。震災を題材にしているだけで、俳句としての良さはどの句にもある。それが分かっていても受け入れられない。そんな自分が嫌でもあった。

 ウェルカムパーティーの際、顧問にいつまで席に座ってるんだと怒られ、大好きな俳人たちがいる審査員席へ向かうために席を離れた。岩手県立水沢高校です、と挨拶をしたとき、あらあらと稲畑汀子先生が話しかけてくださった。
「震災どうだったの?」私たちの地区は幸い被害がなかったんです。「あらそうなの?」はい。「それでもあなたたちはいい経験したわね。被害は受けなくても感じることはあったでしょ。それをね俳句に詠みなさい。俳句はね、綺麗なことだけじゃないの。自然は美しいけど、時には残酷なことだってある。感じたことを素直に俳句に詠みなさい。」
 この時、違和感の正体が少しだけ分かった気がした。震災という大きなものの前では、頭の中で作った俳句など、違和感の塊でしかない。感じたことではなく、考えたことを詠んでいる句が震災俳句には多かった、だから受け入れることが出来なかった。

 震災俳句は自己美化や自己満足だと批判されることも多い。しかし公式文書やレポートでは残せない、実感としての震災を残す力が俳句にはあるのではないかと思う。
 素直に感じたことを詠む。それは簡単なようで案外難しいことだけれど、震災から三年が経とうとしている今、ようやく震災について俳句を詠んでもいい気がしてきた。



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