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【対談】堀下×涼(首里高) 「この句にしびれた!」

青本シスターズに続く他校ゲスト第2弾。ベリーキュートな南国の女子高生俳人といえば、そう、あの人です。お相手は堀下(下の名前はカケルです)。



第16回俳句甲子園公式作品集を読む!(目次)へ

堀「こんばんはー。俳句甲子園の句を読み合う対談シリーズ第5回。沖縄県首里高3年、涼さんに来ていただきました! 涼さん、よろしくー」

涼「こんばんはー! よろしくお願いします!!! 気合たっぷり!!!」

堀「盛り上がりましょー。今回の対談では『今年はこの句にしびれた!』というのをテーマに話して行きたいです。涼さんは今年の俳句甲子園、どの句にしびれた?」

涼「私は、京都府洛南高校Aチームの辻本敬之さんの『指そへて風鈴鳴らぬやうに吊る』。一瞬で景が浮かんできて、その素敵さにしびれちゃったな~!」

堀「おれも気になってた! いいところを切りとったもんだなぁって」

涼「そうそう、この着眼が素敵だなぁと^ ^ なんだかドラマや映画のちょっとしたワンシーンのようで、風鈴を吊る瞬間の横顔がきっと真剣なんだろうなって微笑ましくなった!」

堀「真剣な顔が風鈴を釣り終えたときの涼しさ。よし、って」

涼「風に吹かれてはじめて鳴り出す風鈴の音に目を細める……。17音に切り取った瞬間だけじゃなくて、その後のことまで想像させるなんて、やっぱりしびれちゃうなぁ。その後の景に、風鈴の涼しさが効いてるのも素敵」

堀「あ、その後にはじめて鳴るからイイのか。釣っている最中の、呼吸の張りつめ、だけじゃないんだね」

涼「そうだね、吊ってる最中の無音にも近い張りつめから、風鈴が鳴った時の涼しさや安堵感へ。この感覚の移り変わりに、風鈴という季語がいきてるんじゃないかな」

堀「風鈴は感覚がふっと切り替わるスイッチだね」

涼「『指そへて』という措辞にも優しさがあって、神経質なだけじゃない詠者の心が伝わるよね」

堀「そうそう、やさしさ。生真面目な詠者は、もう一面ではやさしい」

涼「この優しさは、表記にも表れてると思うよ! 旧仮名遣いのやわらかさが、詠者の心だけでなく風のやわらかさも風鈴の音の軽やかさもうまくまとめていて、目でも感じられる涼しさがあるのがいい。それでも切り取った瞬間が、風鈴が鳴る直前の張り詰めた瞬間だからこそ、やわらかさという雰囲気だけに流されないしっかりした句になるんじゃないかな。私もこういう俳句が詠めるようになりたいなー!」

堀「あ、旧仮名のことはおれが言おうと思ってたのに!(笑) おれは旧仮名の空気感自体にちょっと息の詰まった感じが出てるなと読んだ。ゆっくりゆっくり……の呼吸はやわらかさでもあるけど、緊張感も孕んでいる」

涼「お、偶然!(笑)でも、そっか、旧仮名のゆっくりとした感じが緊張感なんだね。言われてみれば。でもビシッと硬い緊張感じゃなくて、そろりそろりとした緊張感だね。きっと吊っているその間も優しく風は吹いていて。そういう意味では旧仮名遣いはやわらかさと緊張感、どっちも含んでるんだ。でも、さっきも言ったけど、風鈴という季語の涼しさや軽やかさをそのまま詠むのではなく、少しの無音と緊張感を詠むことで、季語の雰囲気だけに流されないこの句の世界がうまく出来上がっているよね」

堀「そーだね。『季語の雰囲気に流されない』これが核心(^o^) 辻本さんの句では去年の俳句甲子園に出ていた『日直の一人はまじめ水中花』も好き。これもまた、水中花の冷たい感じ、屈折した感じに流されない句」

涼「これもまた素敵な俳句! 雰囲気に流されずに、けれどその季語の雰囲気をうまく一句の世界に取り込んでいるのが、辻本さんの俳句の良さなのかもね。いやぁ、見習わなきゃ!」

堀「だね(^o^) 他に『これは!』という句はあるー?」

涼「神奈川県立厚木東高校の伊村史帆さんの『手を繋いだっていいくらい夕焼けだ』。これにもしびれた! 『素直で共感しやすい! なんだかかわいい!』と単純に思うけど、鑑賞すればするほど、なるほどと思う。口語が素敵な一句」

堀「きゅんきゅん。これはもうリア充なのかな。それとも、リア充になりたいかも、ってふと思ったのかな」

涼「 ねー(笑) 私はリア充なんだと思うけども^ ^ でもこの句、夕焼けがほんとに素敵だと思う。単純に、綺麗な夕焼けがこんなにロマンチックで一日が終わりに近づいてる瞬間だから、手を繋いだっていいじゃないかと思うのかもしれないけど、この言葉の裏では夕焼けのもつ少しの愁いや儚さも感じていて、今こそ手を繋がなきゃって思ってるんじゃないかな。『青春詠だ』と、一言では片付けたくないけど、これはしっかり『今』を詠んだ句だと思いました」

堀「なるほど。今手を繋ぐんだ! 今が青春だ! っていう確信だ。夕焼けの中でしか感じられない『今』。となると儚さだけじゃなく、夕焼けには手ごたえもあると思う。儚さっていうのは、もっと噛み砕いて言うとどういうこと?」

涼「確かに手ごたえもあるね。夕焼けを迎えるとき、一日が終わる中に安堵感と儚さの両方を感じるんじゃないかと思うよ。『今』は確かにここにあるはずだけど、それがこの先どうなるかわからないし、また同じ夕焼けは見れないだろうって。身近でいうと私たちは高校三年生になって、3月には卒業する。この生活がもう長くはないことは確かだし、「君」と見れる夕焼けはあと何回だって考えたら、「青春って、夕焼けって、儚いな」と思うんだ。だからこそ今ここで、手を繋がなきゃ。その思いは十分夕焼けという季語に託して、あとはこの句が口語であることに実感が詰まってるんじゃないかな。もしかしたら、「君」にはちょっと可愛らしく映るのかもね^ ^ ギュッて握ってあげよう、って思うかも。そこに確かな『今』がある」

堀「もうページ提供するから涼さん単独で鑑賞文を書いてもらったほうがいいかもしれない(笑) そうか、その儚さか。高校生活ももうタイムアップ目前。まして夕焼けどころか、雪の季節(あ、そっちには降らないか)を迎えた今これを読む。切実さがあるね。高校一年生の恋愛ではこうはいかない。うん、手を繋ぎたくなった。この実感は口語でなくちゃいけない。さっきの句では旧仮名だからこその実感があったけれど、口語からしか生まれない実感もある。今、というか青春を詠むときに口語が効果をもたらすのはたしか、かな。涼さん自身はどうですか、今を詠みたいと思ったら」

涼「あら、嬉しいお言葉を!(笑) でも、翔くんと話しながら、どんどん深くなっていくのが自分でも面白いよ!^ ^ そうだなぁ、口語の魅力はやっぱり実感が詰まるところじゃないかと思う。私も「今」を詠むならば口語を! という意識は持つようにしているよ^ ^ 高校生の私たちだからこそ特に、口語俳句は等身大ってイメージが強いんだろうけど、でも、それはまた韻文としての俳句の定型やリズムへの挑戦だと思ってるから、そこをよく気を付けて詠まなきゃいけない気もする」

堀「口語に実感がこもるなぁと思わされるのは、たとえば福田若之さんの「未完なんだ詩を夏痩の手が隠す」(週刊俳句2010落選展『青い月面』所収)。これは「未完なり」じゃ響かない。「未完なんだ」で、破調なのも効果的。涼さんの言う「韻文としての俳句の定型やリズムへの挑戦」はこういうことだよね。となると、ただ等身大だから、って口語で詠むわけにはいかない」

涼「そうだね、破調ならば、破調にしたことで表れる効果が句の中でどう活きているのかとか、口語にしたことで散文的になってはいないかということも注意すべきポイントじゃないかな。口語俳句と文語俳句、それぞれの良さをその時々で使い分けるのが、難しいかもしれないけどすごく大事なんだと思うなぁ」

堀「うんうん」

涼「俳句という文学がこれから先も長生きするように、どんどん挑戦して発展させつつ、本来の良さも守らなきゃね^ ^今の口語が「文語」と言われる時代が来たときにも、今の口語俳句がちゃんと残っているように、私たちも頑張らなくちゃ!」

堀「だね! では、口語俳句への認識がひとまとまりしたところで、堀下のしびれた句の話に移って良いでしょーか」

涼「お、待ってました!お聞かせくださいな^ ^」

堀「おれがしびれたのは開成高校Aチームの網倉朔太郎さんの『画用紙に地平を与へ草田男忌』。松山のステージで出た句です。個人的に草田男が大好きで(笑) やられました。観客席の印象としては、高校生が忌日俳句を詠むことの珍しさ、というのがあったと思うんだけど、どうだろう」

涼「この句、ステージで読まれた瞬間思わず溜め息ついちゃった!(笑)私も好きな一句。たしかに高校生がこういう大会に忌日俳句を詠むというのは珍しいのかもしれないね。挑戦するのになかなか勇気がいるのかも」

堀「結果としてもこの句は負けた。たしか田中亜美先生が、もう少し対象への認識の掘り下げが欲しかったというようなことを言っていたよね。そういう意味で、俳句甲子園に忌日俳句を出すのは、自分の俳句的な実力を考えてしまったときには、ためらわれる。けど、さ、おれ忌日俳句大好きなんだ。所属の『里』誌にもよくよく投句する。忌日俳句は好きな人のことを存分に思える。恋の句みたいなもんだと思う。だからもっと、高校生俳人が忌日俳句に取り組まないかなーって思ってるの」

涼「ん~そうだね、私はあんまり忌日俳句を詠んだことがないけど、こういう挑戦は高校生でもどんどんしていくべきだと思う。忌日俳句は、誕生日とはまた違った「忌日」を特別に思う、俳句という日本でできた文学だからこその特徴だと私は思うんだよね。そういう点でも、きっと難しい分野なんだろうけど、寧ろ私たち高校生から忌日俳句に取り組む姿勢を持たなければいけないのかもしれないね。私も翔くん見習わなきゃー!」

堀「挑戦っていうより、もっと自然体で、好きな人のことを表現できたらいいな、と思うんだ。忌日俳句はそもそもは、その人を知っている関係者が詠んだものだろうけど(草田男に直接教わった鍵和田秞子さんの『炎天こそすなはち永遠の草田男忌』など)、今の俳句の世界では、その人を尊敬している、ある種のファンであっても、詠むことは可能になってるから(網倉さんの句など)。今年の甲子園で言えば水沢の佐藤和香さんも忌日で出していたね。『指銃を手に隠したる多喜二の忌』。おれたちくらいの年齢なら、もう好きで好きでたまらない作家とかがひとりくらいいると思う。その人への思いを表現することも、『高校生らしさ』かな、って」

涼「なるほど。それじゃあさっき翔くんの言った『忌日俳句は恋の句みたいなもの』というのは、好きな作家や俳人への思いを俳句に表現するということなのかな。そう考えると、私たち高校生でも忌日俳句がもっと身近で実感のこもったものになるのかもね。忌日俳句と聞くと、小難しくてちょっと身構える意識になってしまうのが多くの高校生の持つ印象かもしれないけど、自分の好きな人への思いだと考えてみたら、詠みたい!って思うなぁ~。実際、恋の句は高校生も詠んでいるし、『青春詠』だけが『高校生らしさ』じゃないよね。忌日で表現できる『今の自分』があるのかもしれない。句に込める思いは、今だからこそ詠めるものだからね」

堀「今だから詠めるものを、ということをさっきの句で話したところなので、余計にそう思う(^o^) たとえば、太宰が好きで仕方ない高校生がいるとする。いつか大人になったらその人は読書から離れるかもしれない。太宰への愛も薄れる。あるいは、不安定な高校生の時期だからこそ太宰が好きだったのかも。となると、その思いを桜桃忌に託して詠むのは高校生らしさだ。だから忌日は決して、高校生には難しいものではないはず。網倉さんや和香さんの句のように、その句の世界の中にその人がいそうな気がする、ってのがイイなと思う^_^」

涼「句の世界の中にその人がいそうな気がする、って素敵^ ^ これが忌日俳句の良さだね。季節感だけじゃなく、その句の世界にしっかり軸を据えてくれる。『今だからこそ詠めるものを』は私たち高校生にとっては特に大きなテーマなのかもね」

堀「それはよく思う。何のために俳句を詠むのか。もちろん、俳句が好きだから、なんだけど、その上に乗っかってるものは、『今このときの、たまらなくいい気分』を残せることの素敵さじゃないかな(^o^) おっと、網倉さんの句のことをあんまりしゃべってない(笑) これさ、きもちいいよね。画用紙に地平を『与える』って。大きな気分になる」

涼「私も、この句では『与へ』がとても効いてると思う!画用紙という平面なものが、あたかも立体になったかのような広がりが素敵だよね」

堀「神野紗希さんは『平面に立体を描く寒さかな』(筑紫磐井・対馬康子・高山れおな編『新撰21』所収)なんて言ったけど、いや、寒くなんかない(^O^)」

涼「紗希さんの句は『立体』を描くということに寒さを感じる。この世界で描かれた「立体」は、実際には平面なまま。網倉くんの句だと「立体」を描いた訳ではなく、おそらく線なんだよね。故意に立体を描くのか、線を地平と見立てて立体を生み出したのか、その違いなんじゃないかな。それに、網倉くんの句はやっぱり『与へ』とすることで、自然に広がり出す立体感をうまく伝えている」

堀「わっ、言葉尻だけ捉えた発言だった。ごめんなさい! 『与へ』は、世界創生だよね。まず一本の線を描くことによって、地平が生まれる。一本の線があるだけで、画用紙の中に世界が湧き出る。二本、三本と足していきたい衝動も感じるんだ」

涼「そう、世界創生。衝動もあるのかもね。どんどん世界が広がっていく。色もだんだん出てくるんじゃない? 『与へ』ることで、力強さも感じる」

堀「あ、たしかに。色も出てくるわ。そのうちに絵が動きだしそう。この躍動・強さが、草田男なんだろーね(⌒▽⌒)」

涼「激しくはないけど、世界が生まれ出てくる力強さを感じる句。草田男に、『萬緑の中や吾子の歯生え初むる』(『火の鳥』所収)があるように、網倉くんの句では、『生まれる力強さ』が草田男によく響いているよね」

堀「うん! あと、戦後に発表された『空は太初の青さ妻より林檎うく』(『来し方行方』所収)を見ると、草田男は、この世界に生きてるのが嬉しくて仕方ないんだなって思う(^ ^) だから画用紙に生まれる世界への期待も感じた! ……では、最後の句にいきましょう。
松山東高校Aチームの森優希乃さんの『背に水を撒けり大夕焼の象』」

涼「これはまた、思わずシャッターを切りたくなるようなワンシーン!」

堀「綺麗よね。そしてもうひとつ、これさ、暑いよね。象も自分も。松山でたくさん夕焼の句を見たけど、どれも視覚的な美しさが主だった印象がある。けどこれは、夕焼に温度がある。夕焼の本意に暑さがあったか分からないけど、夏だからさ、たしかに暑いんだ。他の人の句にも深く入っていったらば暑さがあるかもしれないけど、この句は、明らかに暑い。なんか新鮮だった」

涼「あぁ、なるほど。この句には温度があるんだね。たしかに鑑賞してみても、句の世界を見せられているんじゃなくて、句の世界に自分がいるような気がする。私には、暑さというよりもあたたかさに近いのかなと感じられたな。自然の持つ母なる力のような、あたたかさ」

堀「そのあたたかさは、象から来ている気がする。象と触れ合うことによる、主観的なあたたかさ。こころがあったかい。象じゃないと生まれないんじゃないかな。この景に出てくるのがキリンやクマだったら、空気が違ってくる筈。象のイメージ喚起力はすごい」

涼「そうだね、ここは象だからこそのあたたかさがある。この象の持つあたたかさが大夕焼の色や温度と響き合っている句だよね」

堀「もうひとつイイなぁと思うのが、切れ。『背に水を撒けり』。ぐわっと……大胆な切れだよね」

涼「うん、この切れはすごい!下五の最後に体言止めをしたところで、この切れの安定感がより出ているし、単純に『象の背に水を撒けり』という語順にはせずにここで切れを持ってきたのも、この句の特徴だね」

堀「答え合わせ、みたいなものだと思うんだ。歌舞伎の大見得ばりに『背に水を撒けりぃぃ』と言って、視線を集める。で、『大夕焼の象』って、答えを見せる。この答えがまた綺麗なこと綺麗なこと。すべてが効果的になる構造をしてる」

涼「歌舞伎! 面白い^ ^たしかに答え合わせだね。この後からくるフレーズの美しさが、余韻として残るのがまた素敵。たった17音にこういう効果をつけられるとは」

堀「惚れ惚れする。これは、驚かせたい、効果的にしたい、って意識して作り込むんだろうか。それともはじめからこの形で生まれたんだろうか」

涼「そうだねぇ。私はあまり、この句から作為的な印象は受けなかったかな。考えてみれば語順に工夫があるのは確かだけど、いやらしさがないというか、これが作り込まれた句だとしても、いい意味ですんなり読める。それがこの句の良さじゃないかな」

堀「野暮なことを聞きました(^o^) おれが作り込むタイプなので」

涼「私は逆に、順当すぎてもう少し考えなさいと怒られます(笑)」

堀「涼さんは多作多捨タイプ?」

涼「それがそうしたいんですけど、なかなかそうもいきませんで…(´・_・`)(笑)一句を生み出すのにうーん…って悩んでしまう。句作ペースはゆっくりです。翔くんはどう?」

堀「もともと旭東自体が、一句じっくりひねり出すタイプだったのだけど、他校の圧倒的な多作多捨を目にして、がんばんなきゃな、と(笑)大学合格後は時間ができたので、後輩に毎日三つ季語をもらい、それで作るのを日課にした。一日で十五句くらい。それをあとでじっくり作り直したり」

涼「なるほど、それはいい心意気で!^ ^ 私は受験勉強のために俳句甲子園後はあまり句をつくっていなかったんだけども、今回の対談で俳句熱がよみがえってきそう!大学に行く前に沖縄で詠める句を、今だからこそ詠める句を、大事に詠んでいこうと思う^ ^」

堀「そうか、今しか詠めない句は、場所的なものもあるんだね(^^) いい決意が聞けたところで、そろそろ対談もおしまいにしたいと思います。ありがとうございました(^○^)」

涼「はーい、とてもわくわくする対談でした!どうもありがとうございました^ ^」

2013年11月25日~27日 対談はメール上で行われた。編集:堀下



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