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【小説】clock worker/空集合

 店を辞めてから十年余り。僕は一サラリーマンとして暮らしていた。朝起きて、出社して、働いて、帰宅して、風呂に入って。そうして一日が終わる。時計のように規則正しく短調な生活にはもう飽きてしまったが、こればかりは仕方がない。
 明日は日曜日か。久々に時計屋にでも行ってみようかな――と、そんなことを考えながら、今日も平坦な一日を終えた。

*  *  *

 最近では、街の時計屋もすっかり少なくなってしまった。僕が店をやっていたときはもう少し多かった気がするのだが……。昔のことを思い返したところで、そこに戻れるわけでは決してないのだが。
 久々に、時計屋に入る。店主のおじいちゃんが、俺を見て「ああ、君か」と嬉しそうに微笑んでくれた。
「はい、お久しぶりです」
 僕も微笑み返す。このおじいちゃんは、俺が店を出しているときも随分親切にしてくれたっけ。時計屋に来ると、どうしても過去のことを思い出してしまう。
 色々なことを思い出しながら店内を見回していると、ドアの開く音がした。
俺以外の客がくるなんて珍しい。
 そちらに目をやると、大学生と思われる男性と目があった。
「あっ、あなたはっ……!」
 若者がこんなところへ来たことよりも、相手のその反応に驚いた。相手は僕を知っているみたいだが、僕に大学生の知り合いなんていない。
 僕が固まっていると、相手は一方的に話を進めてきた。
「朝霧さんっ! 俺です、俺っ。ハルキです!」
「ハルキ……?」
 俺の知り合いにハルキなんて名前の人、いたっけ。
「あー……えっと、これ見ても思い出しませんか?」
 そう言ってハルキと名乗った男は、懐中時計を差し出す。一目みただけで、大事に使われてきたのがわかった。よく見たら、上蓋に“To Haruki”と刻印されていた。
 それで、思い出した。
「ハルキって……あの春輝君っ!?」
 僕が店をやっていたとき、六歳くらいの男の子がおじいちゃんに連れられて店にやってきたことがあった。その子供は店のことがひどく気に入ってしまったらしく、それから毎日のように来てくれたことがあったのだ。
 その子供は引越しをしなければならなくなったらしく、俺のところに来てわんわん泣きじゃくるものだから、俺は懐中時計をプレゼントしたのだ。
 そして、その懐中時計がこれだ。
「うん、俺だよ。春輝だよ。六歳のときに、朝霧さんの時計屋さんに通っていた」
「へぇー、懐かしいな。どうしてここに?」
「大学に進学するのにまた戻ってきたんですよ。だから久々に朝霧さんに会いに行こうと思って。でも、よく考えたら俺、お店の場所覚えてなくって……だから、色んな時計屋さんを回ってたんです。朝霧さんこそ、なんで? お店、今日休みなんですか?」
「えっと、それは……」
 いきなり現実を突きつけられた気がした。当然のことながら、春輝君は僕が店をやめたことは知らない。
 横目でちらりと時計屋のおじいちゃんを見る。おじいちゃんは、心配そうな瞳でこちらの様子を伺っていた。
「……立ち話もなんだから、カフェにでも行こうか」
 これ以上おじいちゃんを心配させるわけにはいかないと思った。

*  *  *

「えっ、朝霧さん、時計屋さんやめちゃったんですか……!?」
「うん。僕の母親が急に倒れちゃってね。お金が必要になって。やっぱり、時計屋じゃ生活していくのがやっとだったんだよ。それで、やむを得ずサラリーマンになったんだ」
「……そうですか」
 春輝君が俯きがちに言う。僕はなんと声をかけていいか分からず、沈黙が場を支配する。
「……あの、朝霧さん」
 しばらくして、春輝君が口を開いた。
「俺、時計屋さんを目指してるんです。なので、朝霧さんが暇なときでいいので、いろいろと教えてくれませんか……?」
「ぼ、僕が……?」
 急な申し出で少し驚いた。僕は一向に構わないが、ひとつだけ不安な点がある。
「今のご時世、時計屋なんて大変だよ? みんな携帯で事足りちゃってるし」
「それでもやりたいんです! バイトとかでお金もちゃんと貯めてますし……お願いしますっ!」
 その言葉を聞いて、なんだか嬉しくなった。今時こんなまっすぐ夢を終える若者もいるんだ。
 やはり彼の将来に多少の不安はあるものの、彼を応援したい、と心から思った。
「……じゃあいいよ。僕の住所と携帯教えるから」

*  *  *

 春輝くんは週に一回、土曜日の夜に来ることになった。時間が遅くなることも多く、そのときは春輝君が僕の家に泊まっていく。
 時計のようなつまらない毎日から、開放された気がした。
――時計がきっかけに、「時計のような」日々から開放されるだなんて、おかしな話だ。いや、もしかしたら「時計のような」なんて形容詞は間違っていたのかもしれない。時計はつまらないものなんかではないのだ。
 何はともあれ、僕は週一回、春輝君とこうやって時計のことを話し合ったり、時計を修理したりする時間が楽しくて、その時間が待ち遠しかった。

*  *  *

 土曜日の夜。インターフォンが鳴る。出ると、春輝君が大きな鞄を提げて立っていた。
「こんばんは。さ、早く入って」
 僕がそう促すと、春輝君は失礼します、と礼儀よく僕の部屋に入る。いつまでたっても居心地が悪そうに正座する春輝君に、コーヒーを差し出した。
「さて、今日は何をしようか」
「あっ、俺、家から時計持ってきたんです。古い時計なんですけど、直りますかね……?」
 そう言うと、春輝君は鞄から四角い時計を取り出した。確かに、相当年季が入っているのが見て取れる。こういう時計を見ると少し気持ちが高揚してしまうのは、最早天性なのだろう。
「朝霧さん、どうですかね……?」
「どうですかねって、これから春輝君が直すんでしょ? さ、やってみてよ」
「はっ、はいっ!」
 春輝君が時計裏のネジを外す。すると、時計の動力が見えた。思っていたものよりも古い型らしく、現在のものよりも大分前の動力だ。
「朝霧さん、これ……」
 見たことのない動力に、彼は動揺しているらしい。僕はというと、歓喜に震えていた。こんな時計、久々に見た。まだ見る機会があったなんて……
「ああ、これはね」
 春輝くんに説明をする。それと同時に、僕の手は時計へと伸びていた。

*  *  *

 時刻は午前一時。結局、四時間も掛かってしまった――まあ、僕が調子に乗って色んなところをいじりすぎてしまったせいもあるのだが――。
 時計がカチ、カチと時を刻む。どうやらちゃんと機能しているらしい。
「うわぁ……!」
 僕の作業工程を隣でずっと見ていた春輝君が、声をあげる。
「結局全部朝霧さんに任せちゃいましたね。ごめんなさい」
「いや、全然いいよ。僕も久々にこの型の時計をいじれて楽しかったし」
「そう言って貰えると、俺も嬉しいです」
 二人でははっ、と笑いあう。ああ、本当に僕は時計が好きなんだなぁ、と実感した。
 その後、眠る気にもなれず二人で酒を飲みながら――とはいっても、春輝くんはまだ未成年だからオレンジジュースだったが――色々な話を始めた。
 そのとき、不意に春輝君がこんなことを口走った。
「いやぁ、朝霧さんって本当に時計好きですよね。あんなのいじるだけで、すごいテンション上がっちゃうんだから」
「『あんなの』じゃないよ! あれは相当古い型だから今はなになか見ることができなくて……!」
「ほらーっ! そういうところとか、本当時計好き」
「ははっ! 所詮時計から引いた身だけどね」
 酔いが回ってきて、好きしいい気分になる。自虐的に言っても、心が痛くなることはない。
「……どうして、時計屋さんやめちゃったんですか? 本当に、勿体無いです」
「だーかーらーっ、それは前に説明したでしょ?」
 春輝君の真剣な訴えも、届いてこなかった。
「でも……どうして再開しようと思わないんです? お金は十分あるんじゃないですか?」
 その一言も冷静に受け取る事は出来ず、今度は怒りが押し寄せてきた。もう自分ではどうしようもない。
「……春輝君は何もわかってないね。今時大変なんだよ?」
 少し嘲笑気味になっていたのかもしれない。春輝君の顔にも怒りが広がるのがわかった。
「……わかってないのはどっちですか。本当は時計やりたいんでしょう? やりたいことやって何が悪いんですかっ!!」
 彼の怒鳴り声が、うるさい。
「やりたいことだけやってればいいってわけじゃねえんだよ!」
 気づいたら、口論になっていた。
「だからって夢を捨てるのも良くないと思います!」
「これだからお子様は。気楽でいいよな! 世の中なんて、所詮金なんだよっ。今時時計屋に人なんざ来ないんだよっ!」
「じゃあ朝霧さんは時計嫌いなんですかっ!?」
「んなわけねーだろ! 大好きだよっ!!」
「じゃあ時計屋さんやればいいじゃないですか!」
「っるせーよっ!」
――パシンッ……!
 何かを叩く音が、遠くから聞こえた。その音にはっとし、ふと我に帰る。その音は、自分が春輝君の頬を叩いた音だと気づくのには時間が掛かった。
「あっ……ごめん……」
 怒りで我を忘れていた。他人をひっぱいてしまった。どっと後悔が押し寄せる。春輝君の顔が、まともに見れない。
「すみません。俺、勝手なこと言いすぎました。帰ります」
 春輝くんは、淡々とここから出る準備を始めている。
 僕にはそれを止める権利なんてない。
「……ありがとうございました」
午前三時、春輝君が僕の家から飛び出した。
「本当、僕って最低……っ!」
 傷つけた。彼は僕のことを思ってくれていたのに。
 頬を叩いた右手が、じんじんと疼く。
――朝霧さんは時計嫌いなんですかっ!?
――じゃあ時計屋さんやればいいじゃないですか!
 春輝君の声が、脳内で反響する。
 その後、眠れない夜をどう過ごしたかは覚えていない。

*  *  *

 結局日曜日も何もせず、そのまま月曜日を迎えた。あれから、ずっと時計屋のことを考えていた。
 思い出すのは楽しかった記憶。あの頃に戻りたくないといえば嘘になるが、脱サラして時計屋になる勇気なんて僕にあるだろうか?
 色々なことを考えてはみるものの、何か答えが出るわけでもなく。サラリーマンの僕は会社へと向かった。
 平坦な机。平坦な画面。平坦な空間。
――時計のような、けれど時計とは明らかに違うこんな日々に、何の意味がある?
 自問しても、答えなんて出なかった。
 人知れずため息をつく。そのときだった。
 マナーモードにしている携帯が震えているのがわかった。メールだ。誰からだろう? 見てみると、そこには“春輝君”の文字。
 春輝君が……? 急いでメールを確認する。
『件名:ごめんなさい
 本文:朝霧さん、先日は本当にごめんなさい。
    でも俺、朝霧さんに時計屋さんを続けて欲しいって、心からそう思ってるんです。
    土曜日の夜、また朝霧さんの家に行ってもいいですか?』
 決して長くはないメール。それでも、僕の心は少し軽くなった気がした。
 春輝君と話せば、何か変わるかもしれない、なんて思ってしまったのだ。

*  *  *

 土曜日。あのメールに『こちらこそごめんなさい。是非来てください』といった返事をしたから、今日は春輝君がやってくるだろう。今までと変わらない訪問な筈なのに、今日ばかりはやけに緊張感を覚えた。
 ドキドキしながら待っていると、不意にインターフォンの音が聞こえた。ぱたぱたと急ぎ足で玄関に向かう。
「はーい」
「あの、先日は本当にごめんなさいっ!」
 扉を開けるなり、春輝君が頭を下げていて驚いた。
「とっ、取り敢えず中に入って……!」
 と促す。部屋に入っても、やはり彼は居心地が悪そうだ。
「本当にごめんなさい……」
 そんなに謝られた、こちらも困ってしまう。本当に謝らなければいけないのは僕の方なのに。
「俺、朝霧さんのこと何も考えてなくて……」
「ちょっと待って」
 流石にこれ以上謝られたらたまったもんじゃない。
「本当に謝らなきゃいけないのは僕の方だよ。春輝くんは僕のことを考えてくれていたのに……。挙句の果てにはひっぱたいちゃって。本当、申し訳なかったと思う。ごめんなさい」
 僕が謝ると、春輝君の顔は更に曇っていった。
「でも……」
 そう言って、黙り込んでしまう。
 この沈黙は何を意味しているのだろう? ただ、何となくこの沈黙を壊してはいけない気がして、ただ黙っていた。
 しばらくして、彼が重たい口を開く。
「俺っ……朝霧さんに時計屋さんをまたやって欲しいんです! 時計に関わってる朝霧さんは本当に楽しそうで……。けど、俺がここに帰ってきて初めて朝霧さんに会って、カフェで話したとき……。あのときの朝霧さんは、なんというか、俺の知ってる朝霧さんじゃなくて……。その時思ったんです。ああ。俺は時計と一緒にいる朝霧さんが好きなんだなあ、この人と一緒に働きたいなあ、って」
「俺と、一緒に……?」
 驚いた。春輝君が俺と働きたいと思ってくれていたなんて。春輝君を見てみると、顔が真っ赤だ。どうやらそこまで言うつもりはなかったらしい。
「あっ……はいっ……朝霧さんと一緒に働くのが、僕の夢だったんです……! でっ、でも、迷惑とかは全然かけませんし……」
 真っ赤になって言う姿がなんだか可愛らしくて。
「そっか……ははっ」
 思わず笑いがこみ上げてくる。
 こんなにも楽しいのは、時計があったから春輝君がいてくれたから。春輝君と時計が僕を救ってくれた。だから、僕は。
「じゃあ、少しだけ考えてみるよ」
「本当ですかっ……!?」
 春輝君と働きたいと思った。
「その代わり、今までみたいに毎週来てくれる? 一緒に時計触りたい」
「もちろんですっ!」
 春輝君が大学を卒業したら、時計屋を再開しようかな、と思った。そのときまで、春輝君が時計を愛してくれて、僕と一緒に働きたいと言ってくれたなら。
 まあ、今の彼を見ていたら、そんなことは容易にこなしてしまうと思えるのだが。
――春輝君が卒業するまでに、僕が脱サラする勇気をつける方が大変かな。
 そんなことを思った。



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